nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

ピアノその後

以前、CASIO のキーボード LK-511 を購入したと書いた。
自分でも三日坊主になると予想していたのであるが、なんと吃驚、殆ど毎日練習できている。
ただし、まとまった時間など取れるはずもなく、通りすがりに一回、二回と弾き、子供に呼ばれ中断し、という感じである。
本物のピアノと違い、蓋を開けて、フェルトのカバーを外して、楽譜を立てて、という手間がなく、本当に通りすがりにささっと弾けるので、練習に取り掛かるまでの心理的ハードルが低いのだ。

普通の楽譜の『Fly me to the Moon』(難しいけど格好良いアレンジ)をメインで練習し、息抜きとして CASIO のソングバンクプラスでダウンロード購入した光るキーボード対応の『Fly me to the Moon』(前者に比べると簡単)を練習していると書いたが、後者が割と通して弾けるようになってきてしまったので、今はそちらをメインに弾いている。
やはり、キーボードが光るというのはUIとして分かりやすいのだ。

ちなみに、私がピアノを習っていた子供時代に最後に弾いた曲は『人形の夢と目覚め』であった。
その曲が LK-511 に入っていたので、弾いてみた。
まあまあ弾けたのだが、いやもうこれが実につまらなかった。
ピアノの練習曲というのはどうしてこう、優等生っぽいというか何というか、色気がないのだろうか。
『この曲を弾けるようになりたい!』という気が全く湧いてこない。
この手の曲を好きな人はご気分が悪くなるだろうが、全て私の主観という事でお許しください。
子供の頃の自分よ、よくこの曲を我慢して練習したな、と思うのである。
クラシック音楽は元々嫌いではなく、中でもバロック音楽などは好きなくらいである筈なのだが、バイエルをはじめとした、ピアノ練習曲全般の色気のなさは一体何なのだろうか。
簡単な曲だから色気がないのだろうか。
いやいや、『簡単=色気がない』ということはない筈だ。

『色気』の反対は『禁欲』である。
禁欲といえばヴィクトリア朝である。
もしかしてこれらのピアノ練習曲、ヴィクトリア朝の影響下で書かれたものなのでは!?
と思い、調べてみたところ、『人形の夢と目覚め』も『バイエル教則本』も、年代的には一致していたが、どちらも国がイギリスではなくドイツであった。
しかしドイツといえばプロテスタント発祥の国である。
プロテスタントといえば、やはり禁欲のイメージがある。
バイエルに至っては、神学校で音楽を学んだという。

そうか!
ピアノ練習曲の色気の無さは、プロテスタントの真面目さと装飾嫌いと禁欲が根底にあるのか!
(単純な言葉遊びと連想ゲームなので、真に受けないでください。)

中世、西洋音楽は、ロマや吟遊詩人など、流浪の民が受け継ぎ育ててきた。
彼ら自体蔑視された存在(貴族であった吟遊詩人、トゥルバドゥール達を除き)であり、音楽自体俗っぽく決して上品なものとは捉えられなかっただろう。
近世以降、音楽は『高尚な趣味』となり、貴族がサロンで嗜むものとなった。
私は、そのような上品な曲ではなく、大衆が場末の酒場で女を口説きながら聴くような曲が好きなのだろう。
ロマの娘がカスティーリャを叩きながら失恋を踊る、または戦争帰りのアフリカ系アメリカ人が貧しさの中でピアノを弾く、そういうところに音楽としての『色気』を感じるのかも知れない。

因みに最近娘は、LK−511 に初めから入っていた『千本桜』が何故か気に入ったらしく、繰り返し聴きながら鏡の前で踊り狂っている。
息子はそれを見ながら激しいリズムで屈伸運動をしている。

 

 

niceslice.hatenablog.com

 

 

niceslice.hatenablog.com

 

 

中世賎民の宇宙―ヨーロッパ原点への旅 (ちくま学芸文庫)

中世賎民の宇宙―ヨーロッパ原点への旅 (ちくま学芸文庫)