nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

完璧な人間しか親になれないのか?

私は、「毒親に育てられました」という人のエッセイ漫画をたまに読む事がある(以下、毒親系漫画)。
かつて子供であった自分と重ねて、『うちはここまでじゃなくて良かった』と思いながら読んだり、現在親である自分と重ねて、『なるほど、こういう風にはならない様にしなくては』と自戒して読んだりする。
しかし、色々な作者の様々なエピソードの中には、『この程度のことで毒親と言われるのか! 避け切れる自信がない!』とショックを受けるものもある。

それぞれ具体的な書籍名は避けるが、例えば、子供が母親の為にサプライズでケーキを作ろうとしたがうまくいかず、モタモタしていたら、母親がキッチンに飛んできて、怒りながら完成させて「もうこんなことするな!」と言われた、というエピソードである。

はたまた、子供が皿洗い中の母親に「見て見て、ねぇ見て〜」と話しかけたら、

「今皿洗い中だろうが!」

と怒鳴られた、というエピソードである。

いやぁ〜〜……。
これらのエピソード、確かに子供にとってはとても悲しく理不尽な出来事であっただろうし、避けるべき言動ではあったとは思うのだが、乳幼児の親としては、母親の気持ちも分かりすぎてしまうのである。

例えば一つ目のエピソード。
子供の年齢が書かれていないが、一人では上手く料理のできない年齢の子供が、一人でモタモタとキッチンで粉や白い液体を使用している状況。
親にとってはちょっとした恐怖である。
自分なら、それを見た瞬間

・粉が散乱する地獄
・クリームでぐちゃぐちゃの台所
・数時間単位で占拠されるキッチン、からの〜、
 遅れる洗い物、からの〜、
 遅れるご飯の準備、からの〜、
 子供達の愚図り

が、次々と頭に浮かび、早くなんとかしなくては!という義務感に駆られそうである。
「あらあら、何作ってるのかしら、楽しみね、ウフフ〜」
などとはとても言えない予感がする。

そして二つ目のエピソード。
皿洗いをしている最中に「見て見て!」をやられる。
漫画には描かれていないが、子供はず〜〜〜〜〜〜っと「見て見て!」と言っているものである。
この漫画家さん、子持ちか否かは知らないが、是非、漫画を描いている最中に1分おきに「見て見て!」をやられてみて欲しいものである。
絶対、

「今漫画描いてんだろうが!」

と怒鳴りたくなるから。

とにかく、子供に一切毒親と思わせないよう、ギャルゲーのごとく全て正解の選択肢を選択していくことは難しい。
かつてはほとんどの人間が親となっていたのだろうが、全員が児童心理学を勉強していたとは思えない。
かといって子供が理不尽に悲しい思いをするのは良くないのは勿論である。
より多くの大人たちが子供に関わるようにする、ということが、解決の一つとなるのかもしれない。
しかしそれも、よくない大人と関わるリスクを高めることもあるし、助けにならないかもしれない。
結局、「親にされた嫌なことは子にやらない」「親にされた良いことは子にもする」を繰り返していくしかないのであろう。

 

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

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