nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

妖怪ニセおしっこ小僧のこと

妖怪ニセおしっこ小僧をご存知だろうか。
ご存知ないと思う。
私が作った妖怪だからだ。

先日、実家に帰った際、夜食に梨が出た。
それを食べる4歳の娘に、父が言った。
「おねしょしないでね」
梨には利尿作用がある為、何の気無しに笑いながら言った言葉である。
しかし私は内心、「(やっちまった!!)」と思った。

私は、言葉によるマイナスの暗示の存在を信じている。
「〇〇するな」と言うことで、その〇〇に意識が向かい、『〇〇してはいけない、〇〇してはいけない』と思い続けることにより結果的に〇〇してしまう、というものだ。
つまり、「空振りするなよ」と言えば空振りの確率が上がり、「こぼすなよ」と言えばこぼす確率が上がるのだ。
ミスというものは、わざとするものではない。
するなと言われても、どうして良いか分からない。
「バットをしっかり握って、腰を落として!」だとか、「コップを両手で持って、ゆっくり運んで」と具体的にプラスの言葉で伝えた方がミスを防げる可能性が高くなる。

ましてや、排泄というのはメンタルに非常に左右される。
「漏らしてはダメだ」と思うと尿意を覚え、「近くにトイレがない! しかもここは密室だ!」と思うと急にお腹が痛くなるものである。
だから、私は娘のトイレトレーニングは、メンタル面からの悪影響を受けないよう細心の注意を払ってきたつもりであった。
漏らしても叱らない、『まだ無理だ、お互いにストレスだ』と感じたらすぐに中止する、本人のやる気が出る時期を待つ、といった具合に。
特に、n 時間ごとにトイレに誘う、絞り出し方式でのトイレトレーニングはしないように心がけていた。
短時間隔で、尿意を感じていないのにトイレに誘って絞り出させてしまうと、『尿が膀胱に溜まる → 尿意を感じる → 排泄する』の自然な流れが身につかない上、膀胱の容量が発達せず、夜におねしょをするようになる、と読んだからである。
そう、子供と言えど、尿意を感じていないのにトイレに行く必要はないのである。
尿意を感じずに排泄をしてしまうとしたら、まだオムツをしていて良いのだ。

結局、娘と私が本気を出してオムツを外したのは、幼稚園に入園する直前であった。
「オムツバイバイ出来たら浮いたお金でプリキュアのおもちゃ買ってあげるよ」と物で釣ったのだ。
娘にしてみたら、十分快適なオムツを外したい理由など特に無いのだから。
そのせいか、はたまた本人の資質か、娘はおしっこの間隔がよく開き、おねしょも滅多にしない素晴らしいトイレマスターとなってくれた。

そこにきて、父の言葉である。
それにより娘の中で

『梨を食べてしまった = おねしょする』
『おねしょ = いけないこと』

の図式が出来上がってしまった。
可哀想に、その夜娘は、布団に入り眠ろうとすると、「トイレ行きたい」と起きる、戻ってきてまたウトウトすると「トイレ行きたい」と起きる、のループに陥り、その間隔は眠さが強まるに従い狭くなり、最終的に、トイレに行く → 戻る → 一瞬布団に入る → またトイレに行く、というひどい状態になってしまった。
「眠いのにおしっこしたい、おねしょするのこわい」と泣く娘が不憫でならなかった。
「梨くらい食べてもおねしょしないよ。
 ていうかおねしょくらい、いくらしても良いよ、何にも問題ない。
 そしてさっきトイレ行ったし絶対大丈夫」
といくら伝えても無駄だった。
父にも事情を話し、直接同じようなことを言って説得してもらったが無駄だった。
結局その夜は、「じゃあ、もう朝まで一緒に起きていよう」と私が言い、リビングでテレビを観ていたらやがて寝た。
翌日も、翌々日も全く同じ状態であった。
そのまた次の日、またも寝る前のトイレラッシュに陥った時、私は言った。

「ねぇ、妖怪ニセおしっこ小僧って知ってる?
 さっき、あなた『おしっこしたい』ってトイレ行ったけど、一滴も出なかったんでしょう?
 それ、妖怪ニセおしっこ小僧の仕業だよ。
 ほんとうはおしっこが溜まっていないのに、おしっこしたいな〜って思わせる妖怪だよ。
 実は私もずいぶん大人になるまでニセおしっこ小僧に取り憑かれていたんだ」

と。
そう、私も子供の頃から「おねしょはダメ! 絶対!」と強く思いつづけ、大人になってからもかなりトイレが近い人間であったのだ。
娘は半信半疑であったが、私が

「このニセおしっこ小僧め!
 あっちへ行け!
 私の大事な〇〇ちゃんから離れろ!」

と言いながら、娘のおしりをパッパッと払うマネをし、これで大丈夫だよ、と言うと安心したのか、やっと怒涛のトイレラッシュは終わり、寝てくれた。

それから半月ほど経つが、娘はまだ、完全には元の状態に戻っていない。
寝る前のトイレラッシュこそないものの、一回トイレに行ったのに、布団に入るとまた「おしっこしたくなっちゃった」と言うことが頻繁にある。
その度、「ニセおしっこ小僧の仕業だよ」というと納得するのであるが、まだ、尿意がフィジカルによる制御よりメンタルによる制御に偏っているのだと思う。
心配である。
本当に、マイナスの暗示というのは、掛けるのは一言なのに外すのはとても大変である。

  

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