nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

20年赤ちゃん返り

私には二人の幼い子供が居る。
姉弟である。
下の子(息子)が産まれてから半年ほど、それは凄まじい上の子(娘)の赤ちゃん返りを経験した。
新生児である息子の世話の大変さなど霞んで見えなくなるほどに、娘は文字通り一日中泣き叫び、私に抱っこされる事、私に注目される事、私に遊んでもらう事を要求し続けた。
息子の存在を否定するような言葉まで言ったことすらある。
その頃の私は幽鬼のようであり、半年間ずっと、笑うことも、子供達が大変可愛いのだということも忘れていた。

今、その時のことが嘘のように、二人は仲が良い。
朝から晩まで、抱き合いながらコロコロと転がったり、笑いながら追いかけっこをしたり、お互いに真似しあって踊ったりと、子猫のきょうだいの様である。
「今は一番辛いだろうけど半年もしたら『スーパー癒しタイム』が訪れるよ」との助言をくれた会社の先輩の言葉は本当であった(当時は嘘だと思っていた)。
娘は息子を文字通り猫可愛がりしているし、息子は娘を心から信頼し甘えている。
それは子供達の生まれ持った性質の所為かも知れないし、上の子の努力と諦観の結果なのかもしれないし、ありとあらゆる工夫をし続けた私と夫の成果なのかも知れない。
おそらくその全てなのだろう。
今後どうなるか分からないが、少なくとも子供達が子供でいるうちは、私はもう、娘に息子を憎まないでほしいと思っている。

私には姉が居り、姉は私を憎んでいる(いた)。
これは長じてから姉自身から聞いた話であるが、姉は私に母を盗られたと思い、つらく当たっていたという事だ。
姉は、妹である私の生後半年を経て、それどころかかなり大きくなって尚、赤ちゃん返りが継続していたのだ。
姉は、私の年齢なりの幼さや未熟さを許さなかった。
『年齢なりの幼さや未熟さ』というのは、漫画『ちびまるこちゃん』のギャグを面白いと感じてしまうことや、クリスマスパーティーを楽しみにしていることや、ちょっとした言葉の誤用などである。
私は姉に、「『ちびまるこちゃん』のギャグが面白くて、笑ってしまってごめんなさい」と謝る必要があった。
9歳か10歳の私がとても楽しみにしていた家族でのクリスマスパーティーは、思春期に差し掛かった姉の「そんな子供っぽい行事は今年からもうやめよう」という言葉で消えて無くなった。
「姉が成長したからといって子供っぽいという理由で行事をなくしたら、数歳下の私は子供なのに子供向けの行事を一切経験できなくなるではないか」という私の訴えは封殺された。

そして、自分と同じだけの知識や技術を持たない、数歳下の私を『知恵遅れ』と呼称した。

姉の攻撃は、私以上に、私を産んだ母に向いた。
私の子供時代の家庭における主たる思い出は、姉と喧嘩している私の光景であり、母と喧嘩している姉の光景である。
毎日毎日、毎日毎日、姉と私、母と姉は喧嘩をしていた。
その頃の母の口癖は、「もう、〇〇(姉)はいつも私を目の敵にして!」であった。
『めのかたき』という言葉の意味を、私は母と姉の関係性から学んだのだ。
小学二年生となった私は、家庭に於ける日々の喧嘩を題材に作文を書き、『ひすてりー』という言葉についてクラスメイト達に説明をした。
家庭は、幼い私にとって心休まる場所ではなかった。

家族旅行の思い出といえば喧嘩である。
日本のどこに行っても、世界のどこに行っても、姉と私、母と姉は喧嘩をしていた。
旅行は、行く前の期待感に背いて、毎回毎回憂鬱な思い出となった。
姉になじられるからである。
その理由は例えば、親に命じられて私が準備した携行荷物の中に、姉の想定する以上の絆創膏を入れてきてしまったから、というものであった。

姉は、家族で外出するとなると、

「△△(妹である私)が来るなら、私は行かない!」

と言うのが常であった。

想像してみて欲しい。

教室で放課後、「サッカーしようぜ」などと誘い合っている子供達。
そこで、自分の目の前で「えー、俺、あいつが来るなら行かない」と言われる事を。

会社で、飲み会のメンバー集めがされている時。
自分の目の前で「えー、私、あの子が来るなら行かない」と言われる事を。

これほどまでに嫌われ者であることを自覚させられる言葉はない。
そして、嫌われ者としてどこをどう改善すれば良いかも分からないのだ。
当時は、生まれてきた事自体がいけなかったのだとは気づかなかったのである。

もしも私が親であれば、そういう物言いは相手の存在自体を否定することと受け止められかねず、相手を深く傷つける可能性があるため、家族に対しても社会に出てからも決してしてはいけない、と教えると思うのであるが、我々の親はそういう視点からの注意は何故か余りしなかったように思う。
そして結局、大抵の場合、姉も同行することになり、姉は終始不機嫌で、私はなじられ泣くこととなる。
たのしい外出【地獄編】のスタートである。

しかし私には、外出に関してたった一つだけ、とても平穏だった思い出がある。
あるとき何故か、母と二人で、都心に買い物に行ったのだ。
その日私は、レストランで出されたグラタンの皿で火傷をし、母は「せっかくのお出かけなのに、台無しになってしまってごめんね」というような事を言っていたが、そんなことより私は、誰にもなじられず外出を満喫出来た事がなにより嬉しかったのだ。
もしかしたら、仲の良い家族のお出かけや旅行というのは、毎回なじられる心配もなく、こんなにも楽しいのかも知れないと思ったものだ。

母は、私や姉が子供だった頃のエピソードや、家族で旅行に行った時の事を、ほとんど忘れている。
一方で、母が一人で行った旅行や、その旅行先でたった一度会った人の事などはとてもよく覚えている。
母は、喧嘩ばかりの記憶を消したのではないか。
母にとって楽しかった事だけを覚えているのではないか。
そこに母の子供達は居ないのではないか。

父は、自分の家庭が喧嘩ばかりだったことを現在覚えていないか、当時から知らなかったようである。
近年、父による「うちは喧嘩というものをしなさ過ぎたかも知れない」というビックリ発言が、私により確認されている。

そして少し大きくなった私はようやく気づいたのである。
私の実家が毎日喧嘩ばかりなのは、私が産まれたからではないのか、と。
私が産まれなければ、母と姉とは仲が良く、家族旅行は極めて平穏に、父、母、姉の三人で、フィクションのように楽しいものとして遂行されたのではないかと。
『フィクションのように』というのは、私は私の育った家庭しか知らないので、『家族みな、笑顔での楽しい旅行』というものが他の家庭において一般的であるのか、それともフィクションと言っても差し支えないほど稀な事象であるのか、分からない為である。

しかし現在では、私が産まれた事が、そんなにもいけなかった事であるとも思えないのである。
胎児が、新生児が、一体どうやってそこに責任を持てるというのだ。
『在ろう』と意識すらしないのに。
これは、子供達を産んで気づいたことである。
もしも、下の子が産まれたことで娘が誰かを憎み責めるとしたら、その矛先は『二人産む』という判断をした私や夫に向かうべきで、絶対に息子に向かうべきではない。
私は心情的に娘に深くよりそっているつもりであり、その前提で赤ちゃん返りへの対応をしてきたつもりである。
息子が泣いても放っておいて、大抵の場合は娘のケアを優先した。
それは、二人の子に平等に時間を振り分けるよりも、少し上の子に多く手をかけ声を掛けることで、上の子の愛(定義の難しい言葉であるので、昔風に『御大切』と言い換えても良い)が下の子に注がれると思うからである。
それでも、今後再び、娘が息子を、産まれてきたからという理由で憎んだら、私は全面的に息子を庇わずにはおられないだろう。
誰であれ、そんな理由で憎まれる謂れはないのだと、彼らを産んだ母として強く思うからだ。
息子には私のように産まれたことに罪悪感を抱くようにはなって欲しくない。

夫は、私には産まれてきた価値があるという。
私は夫や子供達にとって必要な存在であるという。
大変ありがたい事である。

姉の結婚の際、私は相場よりも多くの祝儀を包んだ。
それは、『自らが憎み、なじり、知恵遅れと呼称してきた相手から、姉自身が金銭を受け取る構図』を作るという、誰にも理解されないであろう私の歪んだ企みであった。

ただ、姉は私を100%憎んでいたわけではないのではないかと思える、小学生の頃の三つのエピソードがある。
一つ目は、旅行で泊まった旅館にあったゲーム機で私が遊んだ際、初見だったのですぐCPUに負けてしまったのだが、それを嘲笑った見知らぬ子供達に姉が毒づいてくれた時。
二つ目は、私が趣味の裁縫で作った犬のマスコット人形を、捨てるならちょうだいと姉が言った時。
三つ目は、私が木材を加工して作った小物入れを、もういらないからとゴミ箱に捨てておいたら、いつの間にか姉が拾って長い間ひそかに使っていた時である。
私は自分の作ったものが認められた時、自分が認められたように思ってしまうのである。

人は、この記事をして『何十年も昔の事、しかも子供の頃のことで家族をネタにするなんて』と言うかも知れない。
しかし、何十年も昔の事で家族を責めることや、子供に大人並の語彙や責任を求めること、人間としての未熟さを認めないということは、姉の十八番とも言えることなので、少なくとも姉は文句を言わないであろう。

しかし、姉の、他者の誤りを微塵も許さないという姿勢には、母の姉への態度が影響しているのではないかと思わないでもない。
私は今まで、姉の、正しさへの強烈な拘りはおそらく家系的に高機能発達障害の傾向を持っているためであろうと思っていたのであるが、母の、孫(私の子供)への接し方をみているとその可能性を察せられるのである。
なお、正しさへの強烈な拘りは私も持っており、社会で生きる上で時に葛藤の源となっている。

母は、たった1歳や2歳の孫の言葉の言い間違いを徹底的に否定し直そうとした。
『背中』のことを『せかな』と言う。
『お腹』のことを『おかな』と言う。
『子供』のことを『こもど』と言う。
そういう舌足らずな言い間違いは、言語を習得途中の幼児には普通にみられることであり、「そうね、『せなか』ね」という語りかけによって、一度受け止めた上での穏やかな修正をするか、若しくは何もせずとも自然に直るものである。
逆に、そういう言い間違いをするたびに強い否定を繰り返すと、『言葉を発するということ』と『否定されるということ』が子供の中で結びついてしまい、話すことを諦めると私は思っている。
母は、孫が年齢なりの言い間違いをするたびに

「ううん、ちがう。
 『せなか』だよ。
 言ってごらん、『せ・な・か』」

と、首を振って否定の言葉を繰り返した。
母は、姉の言葉の発達が遅かったとしばしば語っていたが、母の孫への接し方を見てからというもの、私は、母が幼かった姉の『言葉の芽』を徹底的にむしり取ったのではないかと疑うようになった。

なお、父は父で、大きくなった我々娘達が何か言葉を発するたびに、必ずどこかを否定せずにはいられないようになってしまい大変不快であるので(双方同じことを言っていても、一度相手を否定してから自らの言葉として言い直すのである)、我々娘達は父と腹を割った会話をするということを長らく避けている。

今、姉は昔のように毎日怒り狂ってはいない(私も今なら、なじられても負けはしないであろう)。
いつの間にか、常にニコニコとした表情の女性になっていた。
私にとって姉とは常に『怒っている人』であるため、現在の姉が『穏やかさ』の仮面を被っているようで、その下には昔のような怒りのマグマを押し隠しているようで、そうでないならば違う人間と接しているようで、いつも一抹の違和感を憶えているのである。

最後に、本記事掲載にあたりこころよく許可をくれた姉へ謝意を表する。

 

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