nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

オタクの地球の歩き方 東欧編

昔むかし、東欧の某国を旅したときのことである。
成田からフランクフルトで乗り換え、現地の空港に降り立ち、タクシーで目的の街に着いた時、夜の古都は旧跡に不釣り合いなほどの煌びやかな光に包まれていた。
欧州の街灯は大抵、暖かなオレンジ色である。
雨のあとの濡れた黒い石畳がその光を反射し、街全体が蝋燭色に煌めいていた。

ネットで予約していた、旧市街の中心に程近い宿屋に赴く。
私は近隣の観光スポットの殆どに徒歩でアクセスできるこの場所に陣取り、一週間かけて旧市街の路地の隅々まで見て回るつもりだったのだ。
現地の言葉で『猫亭』を意味するその宿屋は、一階が小さなレストランになっており、2階の個部屋には木製の大きな梁が突き出していた。
正に、思春期に読んだファンタジーフィクションに出てくる宿屋のイメージそのものである。
ディードリットリナ・インバースがレストランのその椅子に、いま座っていてもおかしくないと感じる程であった。

なお、部屋のテレビをつけると風雲たけし城が現地語で放映されており、はるか平成の東欧から昭和の日本へ想いを馳せる羽目となった。

翌日、街のシンボルである時計塔に行く。
何段もの暗くて狭い螺旋階段を登り、登り、ひたすら登ると、いきなり、蒼穹が天から落ちてきた。
塔のてっぺんに着いたのだ。
眩しい。
360度、どこを見ても、抜けるような青である。
そして、眼下には欧州の古い街につきものの、オレンジ色の屋根が連なる。
それまで心のどこかに抱えていた、一人で知らない街を歩くことに対する漠然とした不安は、吹き抜ける大陸の乾いた風によって悉く吹き飛ばされた。
すぐ隣で、ラッパ吹きがラッパを吹く。
遥か下を見ると、私のような観光客が、時代めいた衣装のラッパ吹きをしきりにカメラに収めていた。

塔を降り、隣の観光案内所に行く。
ここで観光パスを買うのだ。
このパスを買うと、市内の主だった観光スポットに無料、もしくは割引価格で入る事ができるのだ。
市の職員であろう、窓口の若い男性が、何日間の滞在か聞いてきた。
一週間であると答えると、この小さな街にそんなに長く滞在するのは珍しいと言い、一つの Tips を授けてくれた。
いわく。
パスは5日間しか有効でない。
このプラスチック製のパスカードにはマジックで有効期限を書く欄がある。
自分が今からここに5日後の日付を書くから、6日後になったら、ほら、こうして指でこすってマジックを消して、日付を書き直すんだよ、と。
ちょっと、あなた市の職員じゃないの!?
と思ったが、この適当さがなんともこの街に似つかわしく思い、素直に受け取った。
なお、一週間の滞在が珍しいと言われるだけあって、5日もあればメジャーな観光どころは観終えてしまい、彼の Tips を活用することはなかったことを付記したい。

この街からバスまたは鉄道で少し離れた場所に、古い砦の村があった。
その村には昔の錬金術師のラボがあるということで、見たかったのであるが、何度地図で確認しても、あるはずの場所に無い。
これはどうしたことかと思い、近くの雑貨屋の女性に聞いてみると、おもむろに足元の床の金属環を引っ張り上げ、床下に隠されていた地下への秘密の階段を指さした。
ここが錬金術師のラボだと言う。
分かるかぁ!

その村にはまた、小さな祠のような旧跡があるのだが、そこは鍵が掛かっていて入れなかった。
この手のマイナーな観光スポットは、よく、何時間かに1回、現地のガイドの引率のもとでのみ入れ、それ以外の時間帯は勝手に入れないということがある。
この村の地下にはダンジョンがあるのだが、そのダンジョンには上記のシステムが適用されていたのだ。
したがって今回もそのパターンかもしれないと思い、向かいの屋台で店番をしている東欧美女に話を聞いてみると、20 cm はありそうな馬鹿でかい金属製の鍵を渡され、これで開けて入れ、見終わったら鍵を掛けて返せと言う。

え、私が?
これで?
開けるの?
史跡を?

初対面の東洋人に史跡の鍵を託す適当さ!!
私はこの国が大好きになった。


この国から少し離れた別の国(またもや東欧)に行った時の話もしよう。
今度の国ではチート行為を勧めてくる市職員とは遭遇しなかったので国名を出しても問題ないだろう。
クロアチアである。
ザグレブ国際空港から、クロアチアドゥブロヴニクという旧市街に行く途中、山奥にある大きな滝を観るプランを立てていた。

長距離バスと路線バスの中間のようなバスに乗り込んではみたものの、英語の車内放送がないため、間違いなく目的のバス停で降りられるか心配になってきた。
ガイドブックと睨めっこをしていると、隣の席のおばあさんが、どれ見せてみろ、降りる場所を教えてやる、と言う。
おばあさんは現地語しか話せないわけであるが、そこはなんとなくの以心伝心である。
ここで降りたいのだと地図を指さすと、あいわかった、万事任せろ、降りるべきときに教えてやると自信満々である。
一抹の不安を覚えながらも、現地の人が教えてくれるのだし、と思い、ガイドブックをしまう。
するとおばあさん、これを食べろとティッシュのような包みを開ける。
中身は、琥珀色をした少々いびつな角砂糖であった。
これがクロアチアのおばちゃんの『飴ちゃん』なのだわと思い、おしいただく。

バスは山道をひたすら進む。
するとあるバス停でおばあさんが、ほれいまだ、降りろ!と背中を押す。
慌てて降りると、当たり前だが山の真っ只中である。
さて、目的の滝はどこかしら、予約したホテルに荷物を置きに行かなくては、と思い、地図を確認すると、南無三、目的のバス停より一つ手前の別のバス停であった。
お、お、おばちゃーん!

スーツケースを押しながら山道を歩くのは過酷である。
が、歩くしかないと覚悟を決めた。
その時、近くにインフォメーションの『i』マークを掲げた小屋があることに気づいた。
中に入り、案内所のおじさんに事情を説明し、滝に行くにはこの道を進むので合っているかを聞く。
すると、小屋の前のベンチで座って待っていろ、という。
詳しい地図でも出してくれるのかしらとしばらく待っていると、青い回転灯を光らせた、見るからに山岳救助感のあるパトカー的な車が目の前で止まった。
はて、誰か遭難したのかしら、ははーん、そっちの件で忙しいからしばらく待ってろってことなのね、と思っていると、驚くべき事に、私に乗れと言うではないか。
遭難者って、私のことかー!!
申し訳なさに押しつぶされそうになりながら、案内所のおじさんにお礼を言い、パトカー的な車の運転手さんにもお礼を言い、滝の横のホテルまで無事連れて行ってもらったのであった。

滝のホテルの支配人は、滝を観るのに最高の穴場スポットがあると教えてくれた。
一般観光客が行くのとは反対の、裏道から行くルートで、絶景なのだそうだ。
教えられた通りの山道を進むが、どう考えても他に誰も通らなさすぎる。
またもや遭難か、と思いはじめたその時、滝壺をのぞむ崖が目の前に現れた。
ここかぁ!
山道は崖の上に続いていたのだ。
確かに、崖上から望む滝壺は絶景である。
そして、ルートは明らかに、崖の中腹を連なる細い細い道を通って、滝壺のふもとに降りるように続いていた。
体感にして 30 cm 幅ほどの崖の中腹の道を、体を横にして崖にしがみつくようにしてゆっくりと進みながら降りていく。
ちなみに私には、登山のごときリア充な趣味はない。
落ちて死ぬのでは、という恐怖と戦いながらひたすら降りていく。
やっと滝壺のふもとに降りると、そこはもう一般観光エリアであった。
これほどまでに他の観光客が恋しく感じたことはないように思う。

さて、滝の近くのホテルで一泊したあと、色々な街に寄りながら、ドゥブロヴニクへと向かう。
アドリア海の沿岸の街道は、まさに紅の豚の世界である。
いつポルコとフィオの乗った飛空艇が見えるかと、空を見上げるばかりであった。
しかし、沿岸の素晴らしい旧市街の観光地の数々の合間合間には、寂れた集合住宅もまたあり、旧共産圏であったこの国の歴史を偲ばせる。

やがて到着したドゥブロヴニクは美しい街であるけれども、メジャーな観光地であるので特にこれといって特殊なエピソードはない。
強いて言えば、街を囲む城壁の上を歩くことができ、それが、ディードリットがパーンに「あなたの背中は私が守る」と言った時の背景とそっくりだったことくらい。
そして、城壁の上を歩く際にずっと目の前を歩いていた西洋人のおじさんの着るTシャツの背中に『大阪な』とプリントされており、気になって気になって妄想の世界に入りにくいなー、と思っていたことくらい。
あとは、現地の子供達が

「かーめーはーめー波ー!!」

と言いながら例のポーズをとりまくっていたので、魔貫光殺砲を出してしまいそうになるのをずっと我慢していたことくらいである。