nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

婚活パーティーの男女参加費を同じにするにはどうしたら良いか

たまに、婚活パーティーの参加費が男女で違う事に対する非難の声を見る。
また、デートで男が女におごることに対する賛否の議論も盛んである。
突き詰めればどちらも、女が男に経済力を求める事に対する賛否の議論であると言える。

私は、互いのニーズに応じて各々好きにすれば良いと思っているのでどちらの側にも与する気は無いが、ここでは仮に、女が配偶者に経済力を求めることをやめさせるには、どうしたら良いのかを考えてみたい。
更に、女が配偶者に経済力を求めることをやめた先にどのような社会があるのかを示してみたい。
以下はその思考実験である。

なぜそもそも、女は配偶者に経済力を求めるのであろうか。
日本においては、結婚は子供を産む事に直結する傾向がある。
日本における婚外子率は2.3%という脅威の低さである。
妊娠中及び出産後の数年間、女は、ほぼ経済力を失う。
「ノンストップで働きながら産み育てる人もいるだろう」というのはかなり楽観的な見方であり、不測の事態が日常となる中で仕事上のパフォーマンスを維持するのは困難である。
切迫流産、切迫早産、突然である事が当たり前の陣痛、昼夜問わず続く授乳、育児、突然の発熱、10秒おきに朝から晩まで続く「ママ見てー!」「あれやってー!」「これやってー!」。
今の人類の繁殖の仕組みと資本主義という組み合わせは、男女間の経済力の非対称性を宿命的に孕んでいる。

つまり、女が配偶者に経済力を求めるのは、経済的に無防備となる妊娠出産育児中に母子が生きる事が必要であるからである。
私はこれをおかしい事だとは思わない。
男の側だって遺伝子を残すためにはそれくらいしても良い。
結婚には様々な役割と目的があるが、今のところ、母子を経済的に守り生存率を高めるという役割を持つというのは確かだろう。

もしも、女が配偶者に経済力を求める事を非とするのであれば、この、『繁殖の仕組みと資本主義の組み合わせからどうしても自然に産まれてしまう男女間の経済的非対称性』を、何らかの形で人工的に矯正しなくてはならない。

まず、妊娠から出産後の数年間を、配偶者以外の何者かが経済的に保障する必要がある。
それは、育児休業給付金などといった生易しいものであってはならない。
育児休業給付金は、もともとある程度の経済力と自立心のある女にしか付与されない。
この手の女は子供を産む前に自分でガッツリ貯金している。
肝心の、配偶者に経済力を求めるタイプの女は、元々非正規雇用であったり不安定な職に就いていたり無職であったりするので、育児休業給付金が付与されない可能性が高い。
であるので、女が配偶者に経済力を求めることを止めさせる為には、育児休業給付金を貰えるキャリア層のみならず、それを貰えない、個人的経済基盤の弱い層に対しても、妊娠から出産後を、配偶者以外の誰か(国や地方自治体?)が経済的に手厚く(それこそ、大黒柱になれるほどに)保障する必要があるのだ。

また、育児休業給付金が貰える層もそうでない層も、育児がひと段落した後に経済的に自立できる社会でなくては、配偶者に経済的に寄りかかりたい欲が湧いてきてしまう。
今は日本の多くの企業では、子持ちの女が元の待遇で雇われる事は難しいように思う。
なので、社会全体で雇用を流動化し、再就職を容易にし、その裏返しとして企業都合による解雇を容易にし、同時にセーフティネットを整える必要がある。
『誰でもすぐに雇い、誰でもすぐに解雇される。でも何となく大丈夫』な雇用システムである。
日本型の新卒一括採用や企業による手厚い人材育成のシステムは無くなり、教育機関での学習内容が真に意味を持つようになる。

キャリアの途絶に対する考慮も必要となる。
出産育児期間を、徴兵制度がある国における徴兵期間、つまりポジティブなキャリアと同様に見做すなどの工夫が必要となるだろう。

ここまですると、ようやく多くの女が一家の大黒柱になることが出来るので、配偶者に経済力を求めなくても良くなる。
代わりに女が男に求めるものは、
・容姿
・癒し(優しさ、共感力、察し力、トーク能力)
・家事力
・若さ
となり、婚活パーティーの参加費は男女同額、あるいは女の方が高額となるだろう。
デートで男が女におごるシーンも絶滅する。

独身状態での妊娠や若すぎる妊娠に伴う悲劇性は薄れ、婚外子率も高まるだろう。
子の生物学上の父親が逃げても、経済的なダメージは無いからだ。

女が経済的に配偶者に頼る必要が無くなれば、結婚自体の必要性も薄れる。
顔の良い、好みのイケメンの子孫を、一人で、あるいは気の合う別の人と擬似家族的なコミュニティを作って育てる事を良しとする女たちも出てくるだろう。

そして、容姿も癒し力も家事力も若さも持たない男は、いつ解雇されるか分からない中、顔も知らないイケメン優男のばら撒いた子孫を育てるため高額の納税をし続けることになる。

ただし同時に、『男たるもの大黒柱でいなくては』『男は稼げないと恥ずかしい』という、経済力のプレッシャーからは解放される事となる。
そのプレッシャーは女が代わりに背負う事になるからだ。

これが、婚活パーティーの参加費を同じにすべきという声の理想とする社会である。

なにものにも、良い面と悪い面がある。
上記の社会を望むのか望まないのかは、個々人の判断によるところである。

私はどう思うか?
私は、個々のスキルセットはさまざまであるから、カップルの組み合わせもさまざまであって良くて、男が大黒柱でも、女が大黒柱でも、二人が大黒柱でも、お互いに納得が行っていれば良いと思う。
ただしどのようなパターンであっても、お互いに相手の立場への理解と、感謝と、リスペクトが無くては結婚出来ない/続かないと思う次第である。
ただ、大黒柱を一本にするのか二本にするのかは完全に個々のカップルの好みと都合によるものであるから、金銭的な平準化(ケアワークや家事に対する金銭的な報い)は家族内で個々に行われるべきものであり、そこに税制上の不公平が生じてはならないと考える。
国としてケアワークや家事に金銭的に報いることが必要であるならば、それは就業形態や年収や家族形態に関係なく行われる必要があるのではないだろうか。

婚活パーティーの参加費については、いっそのこと男女の参加費比重別に3コース作れば、利害の一致する男女どうしが出会え、また少なくとも外野からの余計なチャチャは無くなるんじゃないですかね(適当)。