私は結婚するにあたり、姓を夫のそれに変えた。
私は自分の元の姓が好きではなく、また特にこだわりが無かったので、変えた。
しかし、パスポート、運転免許証、クレジットカード、銀行口座など、各種変更の手続きはかなり面倒であった。
何故私だけが、有給休暇を消化して、あるいはプライベートの時間を費やして、このような面倒な手続きをしなくてはならないのかと思っていた。
「パスポートの姓変更の手続きのために有給休暇を申請します」
と私に言われて、
「パスポートって旧姓のままでも使えるらしいぞ?(だから有休を取るな)」
と返してきた当時の勤務先の上司の言葉を私は一生忘れないだろう。
私が海外の入管で止められた時、あるいはクレジットカードとパスポートの名義の違いにより海外のホテルで面倒な事態に陥った時、あなたが現れて説明してくれるのでしょうね?
自分自身は配偶者に姓を変えさせたのでプールサイダーでいられる立場の上司が。
なお予め断っておくと、我々夫婦の経済的優位性は同じであると考えて頂いてよろしい。
長い人生で、夫の方が経済的優位性を持つタイミングもあれば、逆もまたある。
だから、経済的優位性と姓の名乗りを紐づけるのはナンセンスであり、全く無関係な問題であるという立場を私はとっている。
ここで、姓変更手続きに掛かる時間的金銭的コストについて計算しておこう。
時間的コストは金銭的コストに変換可能であるから、単位は金額(JPY)で出すとする。
姓変更手続きが必要なサービスのリストを以下とする。
本当は、不動産名義や法人の名義、職業に関わる免許の名義の変更などもあるのだろうが、ここでは割愛する。
また、各種通販、スマホ、すべてについて手続きが必要であるが、ここでは単純化のため割愛し以下をパラメーターとする。
・パスポート
・運転免許証
・銀行口座(3口座とする)
・証券口座(1口座とする)
・クレジットカード(3枚とする)
パスポート変更のための時間的コストを 16h、運転免許証については 4h、銀行口座、証券口座については 1口座につき 4h、クレジットカードについては1件につき 2h と仮定すると、合計で 42h の時間的コストが掛かる。
姓を変更する性別は、現状、95% が女性であるという。
以下の資料をもとに、結婚前後にかかる女性の有職割合を 50% であると仮定する。
男性については結婚前後にかかる有職割合を 99%以上であるとし、丸めて100% と仮定する(データが見つからなかった)。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/judan/seinen09/kekka3-3.html
女性の平均年収を 314万(JPY)、男性の平均年収を 569万(JPY)であると仮定する。
女性の有償労働時間を 1446 h/year、男性は1825 h/yearと仮定する。
すると、女性の平均時給は 2171 JPY/h, 男性は 3117 JPY/h である。
2024 年の年間婚姻件数は 48.5 万件であった。
さきほど算出した、姓変更コストと姓変更の男女比、および男女別の時給をもとに年間の姓変更コストを算出する。
年間婚姻件数 * 女性の姓変更割合 * 有職割合 * 1婚姻にて発生する姓変更の時間的コスト * 女性の平均時給 +
年間婚姻件数 * 男性の姓変更割合 * 有職割合 * 1婚姻にて発生する姓変更の時間的コスト * 男性の平均時給
で表せる。
485,000 * 0.95 * 0.5 * 42 * 2171 + 485,000 * 0.05 * 0.9 * 42 * 3117 = 23,863,251,300
えーと、240 億JPY/yearくらいですね。
結婚に伴う姓変更のために失われる労働収益が、年間 240 億円。
10年で 2,400 億円。
実際は、申請者側だけではなく、申請を受け付ける側にも時間的金銭的コストが発生するわけだから、この何倍かにはなるだろう。
ただしその分は経済活動として相殺されるとしてもよい。
こう書くと実感の湧く数字ではないかもしれないが、パートナーのどちらかだけが突如 8~12万円失わなくてはならないと考えると、結構釈然としないものがある。
話は逸れるが、私は某通信会社のサービスを多く利用している。
仮に、 hogehoge 通信と呼ぼう。
hogehoge 通信は、携帯電話サービス、光通信サービス、GPS による子供見守りサービス、銀行サービス、コード決済サービスなどを手広く提供している。
それらすべてにアカウントが必要であり、hogehoge ID というアカウント体系により管理される。
しかし、個々のサービスに加入する際に、既に所持している hogehoge ID との紐づけが促されることは稀であり、たいてい、新規に hogehoge ID を発行することになる。
それはおそらく、ユーザーは多くの場合 ID を忘れており、「アカウント ID はなんだっけ、パスワードはなんだっけ」などどやっていると時間がかかるのと契約契機を逃すおそれがあるので、多くの代理店および公式ウェブサイトが、新規で発行することを選んで(選ばせて)いるのだと思われる。
したがって、一人のユーザーに対していくつもの hogehoge ID が発行されていくこといなる。
これは非常に混乱した状況であるので、 hogehoge 通信では、「hogehoge ID おまとめサービス」という機能を提供している。
これは、無限に増殖した hogehoge ID を、ネット上の手続きにより統合する機能である。
hogehoge 通信ユーザーページで派手に宣伝しているものであるので、 hogehoge 通信会社としても世に無限増殖する hogehoge ID に対する課題感はもっているのであろう。
私もこの機能をもってして、増殖した hogehoge ID の統合を試みたが、これは非常に困難なものであった。
まず、 hogehoge ID には、内部で管理される実キーと、ユーザーがエイリアスとして利用できる表示用キーがある。
最初に発行されたランダム文字列のキーでログインすると、「電話番号やメアドでログインできるようにしませんか」的なリコメンドがある。
そして、そのようにすると電話番号またはメアドをログイン名として利用できるようになるのであるが、ここで内部的にある変化がおこる。
ここで設定した「ログイン名として利用できるようになった電話番号やメアド」は実キーではなく、エイリアスに過ぎない。
そして、恐ろしいことに、実キーは、ユーザーがいっさい認識できないうちに、末尾にランダムな数バイトが付与された別のものに変化するのである。
つまり、もともとユーザーが認識していた実キーでは、ログインできなくなるのである。
これは通常問題にならない。
なぜなら、ユーザーは以後、電話番号やメアドでログインするようになるからだ。
しかし、 hogehoge ID おまとめサービスでは、エイリアスを利用できない。
実キーで指定する必要がある。
しかし実キーを指定しようとしても、「そんなユーザーはいない」といわれる。
実キーはユーザーの預かり知らぬうちに、末尾にランダム数バイトが付与された別のものに変化しているからだ。
困り果てた私は、サポートに連絡して、おまとめの手伝いをしてもらう=現在の実キーを教えてもらうハメになった。
hogehoge 通信のサポートの男性が、おまとめの際に
「おまとめ先とおまとめ元で、名義が一致している必要があります。名義は何ですか」
という。
私は、人生で何回でも変わる可能性がある情報に、ユーザー同一性の担保をさせる設計であるわけがないと思い、
「名義というのはどのプロパティのことですか?」
と聞くと、
「名義は名義です」
という。
「氏名のことですか? でも氏名は変化する可能性がありますよね?」
ときくと、
「はぁ〜〜〜(呆れ)、だからあ! 姓が変わった時に変更手続きをしていればいいだけでしょ!」
と激怒された。
私はちゃんと改姓時に姓を登録しなおしているし、極力丁寧にサポートの男性と接したつもりであるが、それでもサポートの男性からは激怒されるのである。
hogehoge 通信のアカウント体系が、人生で何回でも変わる可能性がある情報に、ユーザー同一性の担保をさせる設計ポリシーであるせいで。
そもそも改姓強制の仕組みがあるせいで。
今、私がネット上で利用しているアカウントサービスは200をゆうにくだらない。
改姓時には、これら膨大な数のアカウントの姓を変えてまわる手間も必要なのである。
閑話休題。
選択的夫婦別姓制度の議論がある。
この議論、私はひとつ大きな疑問があるのだが、他人の姓ってそんなに気になるか?
「田中さんが田中さんであり続けようとすることは特に構わないと思うから賛成」
これはわかる。
「鈴木さんになりたい田中さんのことも特に阻止しようと思わないから賛成」
これも、わかる。
「田中さんは鈴木さんにならなくてはいけない!
田中さんが田中さんであり続けることは断固阻止する!」
え、それってどういうこと!?
あなたと田中さんに、一体何の関係が?
選択的夫婦別姓制度が導入されても、あなたは自分の姓を変えようが変えまいが、自由なんですよ。
なんで見も知らぬ田中さんの姓にそれ程執着するのですか?
同姓を選択した人には、何のデメリットもないと思うのだが。
まずそれが分からない。
彼ら/彼女らは言う。
「家族の一体感が失われる」
「日本の伝統が失われる」
「戸籍制度が破壊される」
と。
うーん、わからない。
「一体感」とはなんなのだ。
「伝統」という言葉の定義は?
「伝統」が開始されるのは何年から?
「戸籍制度が破壊される」という根拠は?
「破壊」の定義は?
子が親と異なる姓になるのが不憫という声もあるようだ。
しかし、私は夫の姓となり、私の両親と私とは異なる姓となった。
それにより特に親子でなくなったとも思わぬ。
親が病院で危篤になれば、私は姓は違えど子として面会するだろう。
既に現行法でも、親子で姓が異なる状況は生まれておる。
親と姓の違う私は不憫かい?
また、選択的夫婦別姓制度下においては、夫婦の姓を統一したいと考える人は、自分のほうが姓を変えれば良いだけなので、トラブルにはならない。
姓を変えたくない人、夫婦で姓を統一したい人、誰も困らない。
まさか、「自分は姓を変えたくないが相手にはどうしても姓を変えて欲しい」などというジャイアニズムを発揮してくる人もなかなか居ないだろう。
仕事で何かの提案を顧客に対して行う際、複数の案を比較するための表を作るだろう。
比較の表のセルに、「家族の一体感が維持される/破壊される」、「日本の伝統が維持される/失われる」などと書いた資料を、もしも私が提示したら、顧客からは
「こんな表で比較できるか!
全くわからん!
言葉を定義しろ!
数字で示せ!」
と突き返されるだろう。
これらの言語のベースは、「感情(sentiment)」である。
論理的ではなく、合理的ではなく、客観的でもなく、感情である。
感情論である。
別に感情論がいけないとは言わない。
政治の世界では、客観的な数字を示すことに価値はないと聞いたことがある。
数字ではなく感情で会話するユーザーがメインターゲットであるからだ。
ドイツの⚪︎⚪︎⚪︎ーは国民にデータを提示することに労力を割いたわけではなく、徹底的にセンチメントを煽った。
そして選挙に勝ったのだ。
仮に、「家族の一体感」という曖昧模糊としたものを、離婚率でもって数値化するとする。
しかし、現状日本では別姓が認められていないので、比較することができない。
他国と比較しようにも、国家間の制度や宗教観、男女間賃金格差の違いによる影響が大きすぎて、単純に別姓の影響のみを考慮した比較が難しい。
つまり、「家族の一体感」や「伝統」というセンチメンタルな観点では、比較ができないということになる。
次に、旧姓の利用拡大について。
私は、旧姓の利用拡大が本件の解決案になるとは全く考えていない。
いくら旧姓の利用が拡大しても、ユーザーの姓変更手続きに掛かる時間的金銭的コストは変わらない。
それなのにシステム変更のコストは掛かる。
おそらく、選択的夫婦別姓にした際のシステム変更コストよりもはるかに大掛かりなシステム変更が必要になる。
また、旧姓の利用拡大は完全に日本国内向けの閉じられた仕様であって、他国からは理解されず、他国の入管やホテルや店舗や学会で混乱とトラブルを産む原因にしかならない。
日本の発行する身分証明書の類の、国際的な信用を落とすことにしかならないだろう。
これは、旧姓の利用拡大に伴うトラブル発生時に領事館へ問い合わせが発生する件数などにより数値化できるかもしれない。
民間でも対応が必要だ。
戸籍上の姓のほかに別姓使用への対応まで検討しなくてはならないとしたら、もう、ただでさえ複雑に肥大化した hogehoge 通信のアカウント体系など、一体どうなってしまうのか。
別姓利用をいくら拡大しても、拡大しきれないところにかならず乗り越えきれないギャップがうまれる。
そこで生じるのは、今まで以上の『個人を表す情報の連続性の喪失』である。
hogehoge 通信の例を見るまでもなく。
ゆえに私は、一人の技術者として、別姓の利用拡大には反対の立場をとらざるをえない。
選択的夫婦別姓に根拠をもって反対するには、何か客観的に比較可能な、数字に変換できる観点を示すしかないのだ。
これは、システム変更コストを観点として持ち出すほか、ない。
何も要件を変更しなくても、システムというものは定期的に更新しなくてはならない。
仮に、10年に一回システムを更新すると仮定する。
このときのコストを1とした場合、選択的夫婦別姓化にともなうコストは、初回は、5程度となるだろうか。2回目以降は1である。
旧姓の利用拡大に伴うシステム変更はもっと複雑で、控えめに見積もっても、初回 10 くらいになるのではないか。
しかし、現状、すでに徐々に旧姓の利用は拡大されているということだから、旧姓の利用拡大を是とするグループでは、そこのコストはあまり重視していないということなのだろうか。
とにかく、選択的夫婦別姓問題を根拠をもって論じるにはシステム変更コストを持ち出す他ないと思うのだが、私の観測範囲ではそのような主張は見られない。
いつもいつもいつも、センチメンタルな論点ばかりが持ち出される。
これは選択的夫婦別姓に賛成/反対どちらの人々についてもあてはまり、「自分の姓に誇りをもっているから」「先祖の姓を絶やしたくないから」という、センチメンタルな論点が持ち出されてしまうので、客観的な議論にならないのだ。
最後に、私は別に、センチメンタルであることを否定しない。
客観的に比較できる時間とお金という指標で幸せを測り始めたら、子供を産む人はいなくなる。
私は、子供を可愛いと思った瞬間のセロトニン分泌量という、数値化の難しいものの虜であり、時間とお金がいくら失われても、このセロトニンの方に価値をおいている。
ただ、「家族との一体感」や「伝統」という価値観に対しては、嫁による介護や、パートナーによるDVなどネガティブな面と隣り合わせであるので、警戒するし、また、数値化できないものを基準にしては客観的な議論ができない。
ユーザーが納得できる議論を行うには、客観的に比較可能な指標を基準とするしかないと思うのだが、現行の政治システムがセンチメントを重視する仕組みである以上、難しいものであるなあ。