nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

こどもを地獄で脅すことについて

やや昔、こども向けの地獄の絵本が流行ったことがあった。
子育て漫画を描く漫画家が、言うことを聞かない4歳の息子に読ませたら一発で言うことを聞くようになった、とかなんとかいうことを描き、話題となったのだ。
なお、上記で言う「言うことを聞かない」というのは主に、夜遅くまで起きていて寝ない、と言うことに関してであった。

当時、私のこどもたちは影も形も無かったが、
「いずれ来たる子育てに役立つのではないか」
などと思い、私も一冊買った。

しかし、ふと気づくと、私は子育てで今のところ上記の本を使用していない。

私は、超常的な存在を示すことで人の行動を制御する試みに対してそれほど抵抗(罪悪感)を感じない。
人間は、年齢やあるいは知力、あるいは人類の発達段階によっては「なぜそうであるか」を理解することは難しい。
そうした時に、色々理屈をすっとばして超常的な存在を示し、つまり脅しをかけ、行動を制御する事で、本人と社会にとって秩序がもたらされるのであれば、それは良いことだと思っている。
たとえば昔の人が、理解できない自然現象に妖怪という形を与えて理解を試みたように。
あるいは現在にいたってなお、宗教が人の行動のブレーキとなり、ある意味で社会に秩序を与えているように(戦争に対してはアクセルであるとしても)。
超常的な概念に制御されている状況を本人が嫌であれば、自分から抜け出せば良いのだ。
それは本人が勉強することでのみ成し得ることであり、制御する側が考慮しなくてはならないことではない。

つまり私は、なんらかのポリシーがあって地獄を子育てに持ち出していないわけではないのである。

では何故今、私が地獄の概念を持ち出していないかというと、そこまで強い恐怖で脅さなければならないシーンがなかったから、ということに尽きる。
わたしの娘も2歳くらいのころは寝なかった。
本当に寝なかった。
寝かしつけに対する時間的精神的肉体的コストは半端なかったが、それでも地獄を持ち出して脅さなかったのは、そんなことをしたらもっと寝なくなる、ということを感じていたからかも知れない。
さらに言うと、『地獄』のような攻撃力の高い概念を持ち出さなければならないほど悪いことは、幼児はなかなかしないのだ。
地獄を持ち出す必要のあるような悪い事とは、例えば盗みや殺人、暴力である。

あらかじめ地獄で脅しておくことで、大人になってから悪いことをするのを防ぐという効果はあるかもしれない。
本来の宗教的使用法はこちらであろう。
しかし、成長後の大人と幼児では、もはや別人格といっても差し支えないほど考え方が変わっているだろうし、
「あなたは今のところ悪い事をしていないけど、成長後に罪を犯すかも知れないから、幼児であるあなたに今から強い恐怖を与えるね。
ちなみに表現は映倫で言うとR15+くらいのグロさ。
人を生きたまま粉々に切ったりする」
というのは、現代の感覚ではあまりにも理不尽なように思う。
さらに言うと、超常的な脅しによって行動規範を狭めてしまうと、イノベーションの妨げになるような気がしてならない。
中世ヨーロッパといえば宗教的な縛りが大層きつかった時代と場所であるが、その中で戦争に革新を起こしたのは、カトリックに反旗を翻したフス派であった。
革命的な戦略と技術革新によってカトリックを散々苦しめた。
フス派は内部分裂を経てやがて消滅してしまったが、その残火は何世紀も経て新大陸に辿り着いた。
時は下り、ITの巨大企業はその殆どが新大陸で生まれた。
巨人たちのルーツがフス派にあるなどとは言わないが、そのイノベーションスピリッツを醸成した土壌の要素の一つとして、既存の縛りに立ち向かうフス派のスピリッツがあるように私には思えてならない。
まあこれは根拠のない妄想。
こう考えるとロマンティックで素敵!という程度の妄想。

話を地獄に戻そう。

「親の言うことを聞かないと地獄に落ちるぞ!」
という、ワイルドカード的な脅し方も考えられるが、これには賛同できない。
私も含め、絶対的に正しい人間というのは存在しないので、きっと親として間違った接し方をしてしまうシーンというのは出てきてしまうし、そもそもこどもは親とは違う考えと固有の人権をもった、親とは別の一人格であるので、必ずしも私の言うことを聞かなくても良いし、私が間違っているところはむしろ子供に指摘して欲しい。

こどもが万が一、いじめや万引き(窃盗)をしてしまったら持ち出すか?
しかし、そんなことをするような年齢に到達したら、もう地獄を持ち出すより、
「悪いことをするとその履歴が一生ついて回り、まともな就職や結婚ができなくなる。
人の恨みと検索エンジンの力を舐めてはいけない」
という脅しの方が効く気がする。

う〜ん、結局使い道がないな、この本。
親の本棚に入れておいたのをこどもがこっそり読み、何かに目覚め、将来的に水木しげる伊藤晴雨的方向性に進むくらいしか、役立つルートが見いだせない。

実は昨夜寝る前、7歳の娘に地獄の話をしたのである。
それは脅すためではなく、昔の人は親より先に死んだこどもが行く、賽の河原というこども用の地獄の概念を持っていたんだけどそれは一体何のためなんだろうね、という話からであった。
今の常識から考えると、死んだ子どもが鬼にいじめられるなんて、子も救われないし、親も救われないし、誰も救わない概念であると思うのだけれども、宗教が人間の頭の中で作られたものである以上、なんかしらの役に立つ理由があって作られた概念である筈だから、ある時代と場所においてはこども用の地獄という概念が必要であったのかもしれない、という話をしたのだ。
聞いた娘は、
「昔の人はひどい!
 死んだ子をさらにいじめるお話をつくるなんて!」
という感想を持ったようだ。
予想外にショックを受けてしまったようなので、
「では今はポケモンのことでも考えておいて、怒りや悲しみに囚われずにこのことを考えられる年齢になったら、昔の人がどうしてこども用の地獄という概念を必要としたのか調べてみたらいいんじゃない?
もし分かったら私にも教えて」
と答えておいた。