nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

『子育ては親育て』と言わないで

私は、両親とは同居しておりませんが、子供を産んだ後も、両親と関わる機会はしばしばあります。
そんな時、母親がしみじみとした調子で

「子育ては親育て」

と言うことがありました。
私は、それを聞く度、何とも言えない嫌な気持ちになっておりました。
しかし、なぜ嫌かを上手く説明出来なかった為、嫌と言えませんでした。
なんとか言語化してみます。

1.私は親を育てる為に存在していたのではない。

2.私は私を育ててもらう為に子供を産んだのではない。

3.母が子育てを通して育ったのであれば、子育てのことや、子供たち(私や姉)の事を何でも全部忘れないで欲しい
(母は子育て中のエピソードを全て忘れています。一方、一人で行った旅行の事や、旅行先で出会った人の事は驚く程よく記憶し、何度も話します)。

4.子育てについて何か聞いたりお願いしたりするたび、
「知らない」
「自信ない」
「出来ない」
「やったことない」
ばかり言う人が、一体子育ての何を語るのか。

特に上記の4は、母が私に育児書を渡そうとしたり、薦めたりする際にも思っていました。

だから、もう私に

「子育ては親育て」

と言わないで欲しい。

分かっているのです。
この考えは酷く幼く、親に完璧であって欲しいという甘えた考えである事は。
また、「子育ては親育て」という言葉はもっと抽象的な意味であり、子育てを通して人は成長するのだという、文句のつけようもない程に大変正しい意味であると分かっているのです。

正しい言葉に対しては「やめて」という事が出来ません。
ですから、ここで書いてスッキリします。

あー、スッキリした。