nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

オタク文化に見る「しびれる」女性リーダー像

アニメや漫画で見られる、女性リーダーが好きだ。
クシャナ第四皇女(風の谷のナウシカ)、バラライカブラックラグーン)、エボシ御前(もののけ姫)、葛城ミサト新世紀エヴァンゲリオン 他)などが好きだ。
彼女らが、「(撃)てええぇぇい!」とか「焼き払え!」とか「薙ぎ払え!」などというところを見るのが好きだ。
手は、真っ直ぐ前に出して、それから横に払う感じで。伝わるだろうか。

しかし個人的には大大大好きではあるものの、ちょっと、時代遅れだよね、とも思う。
これらの女性リーダー像は、女性が社会参加するためには、名誉男性であらねばならなかった時代の像だよね、と。

今の若い女性たちを見ると、わざわざハラスメントとバックラッシュを我慢しながら濃灰色のスーツ・オブ・ザ・ラウンドの中に割り込んでいくよりも、同じ女性達とシスターフッドを構築しながらブルーオーシャンに漕ぎ出す方がうちららしいよね、みたいな感じに見える。
彼女達は、かわいい。
とてもおしゃれで、どこまでも『女』である。
『女』であるがしかしそれは、異性からのモテを意識したものではないように見える。
もはや結婚が女性達にとってのゴールではなくなったので、そこを狙わなくなったのかなと思う。
彼女たちが意識するのは、『女性モテ』なのかもしれない。
恋愛的な意味ではなく、お互いにお互いの可愛さを褒め称え合うような。
昨今の若者は、テーマパークにオソロの服で行くという。
それを聞いたとき私は、
「え! そんなの絶対いやだ!
 お出かけには自分で一番好きな服着たいよ!」
と思った。
しかし彼女達にとっては、オソロでテーマパークに行き、虫歯ポーズでツーショットを撮りまくるというのは、シスターフッドを構築する一つの手段なのかも知れない。

さて、話をオタクに戻そう。
先に挙げた女性リーダーのうち、葛木ミサトだけは、名誉男性の中にある女性の弱さ的なものを、過剰なまでに描かれている。
この作品において、TVシリーズではシンジ14歳のモラトリアムを、旧劇ではやる気の無い新人を押しつけられた女性中間管理職の苦しみを、とてもリアルに描いているのであるが、それに加えて、全編を通して、ミサトの加持リョウジへ寄りかかりたい気持ちがとても前面に出されていて、名誉男性としてはだいぶ違和感がある。
そういう意味ではもはやミサトは、名誉男性ではないのかな、と思っていた。
しかし、シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇では、子供と過ごす時間を犠牲にして、仕事に邁進する姿が見られた。
なんだ、おもいっきり名誉男性じゃん。
そこは新世紀の女性リーダーとして、どちらも実現して欲しかった。
親性とリーダー性を両立して欲しかった。
そういう意味では、ヴンダーは家からリモート操作して欲しかったなぁ。
なお、魂の座云々の話は今いいです。