nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

結局のところ、ケア労働の責任は誰にあるのか

ヤングケアラーの話題が盛んである。
『大人がやるべきケア労働を、未来ある子供に押し付けやらせるべきではない。
 子供は自分の人生を生きるべきだから』
ということだ。
ふむ、もっともである。

尚ここでは、ケア労働を『近親者あるいは姻族のための無償労働』と定義する。

では、そのケア労働をやるべきなのは一体誰か?
一応、『大人』であるらしい。
なるほど、ケアが必要な乳幼児は保護者に保護責任がある。
高齢者に関しては、実子に扶養責任がある。
保護責任も多分実子にあるのかな。

しかし、乳幼児に関してはともかく、高齢者に関しては、現在においては、『介護で仕事をやめるのは詰みルートだから避けるべき』『自分が生きるためのルートは残しておくべき』という論調が強い。
で、あるならだ。

もしケアワークが、子供の人生をすり潰すような人権侵害的な奴隷労働であり、且つまた、大人であっても一度足を踏み入れたらいずれ詰むような過酷な無償労働であるならば、そんなことは、子供のみならず大人にだって誰にだって、押し付けてはダメなんじゃないのか?

近代、多くの社会では、高齢者を子供世代の家族が養うことが一般的であっただろう。
特に、儒教の影響の強い日本では。

夫婦間での役割分担がはっきりしていたために、実子ではなく実子の配偶者がケアを行うことが一般的であったという話も聞く。

現在、ちびまる子ちゃんの祖父、友蔵が、仮に独立した世帯になったとして生きていけるだろうか。
友蔵は月に8万円の年金を受給していたが、独立した生計を営むのは難しいのではないか。
また、磯野波平は現在54歳だと言うが、6年後あるいは11年後に退職し、フネと二人で独立した生計を立てていけるだろうか。
波平とフネはともかく、友蔵は難しい気がする。
年金は、最低限の衣食住を子供世代が支えた上で、自分が食べる分をやっと賄えるくらいにしか、そもそも想定されていないかったのではないか?
ヒロシが衣食住を支えていたからこそ、友蔵はまる子にローラースルーゴーゴーを買ってやろうなどと思えたのではないか?

しかし、そのシステムはここ数十年で儒教とともに崩れ去った。
それを補うように、介護保険制度なども開始され、それに加え『高齢者だけで独立した生計を営むには年金以外にも2000万円必要です』という問題提起もなされた。
これらは、老後のケアの責任を国と個人に移管する動きであっただろう。
しかしそれにも関わらず、老後のケアを完全に国と個人が負うことは出来ずに、ヤングケアラーのような形で問題が表面化してくるのである。

結局のところ、『ケアワークって一体誰の責任なのよ』というところが曖昧のままなのではないか。
ヤングケアラーの問題を突き詰めていくと、その本丸を突かなくてはいけなくなるだろう。
その答えは私も知りたい。

ここまで書いて、1970年の消費者物価指数を元に、再度友蔵の年金額を現代の貨幣価値に変換したところ、約24万円であった。
これが、配偶者と合わせての額なのか、友蔵一人の額なのかは分からないが、結構貰っているなぁ。
さくら家は貧乏という設定であるが、衣食住を子世代に頼って、その他に24万円の年金を受給できるのであれば、少なくとも友蔵はリッチに見える。
現代の現役世代が年金を一人でこれくらい貰うには、若い頃からずっと1000万プレイヤーであり続けないと難しいレベルだろう。
あるいは、友蔵は年齢的に徴兵されていた可能性があるから、退役軍人への年金なども含まれているのかも知れない。
持ち家ならなんとか配偶者と二人で生活していける額ですね。