nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

追記:『家事を後回しにして子供と向き合うべき』系の主張について

以前、

『家事を後回しにして子供と向き合うべき』系の主張について - nicesliceのブログ

という記事を書いたが、追記する。

我が家では『こどものとも(年少版)』という月刊絵本を購読しているのだが、10月号の絵本は、『ぺちゃくちゃばーぶー(たかどのほうこ氏作)』というものであった。
あらすじを簡単に紹介すると、公園のベンチで老婦人が話し相手が欲しいとつぶやくと、小鳥がそのつぶやきを近くの民家に住む乳児に伝え、乳児が兄である幼児に伝え、幼児が母親に伝え、親子三人で老婦人の話し相手に赴く、というものである。
それは別に良いのだが、作者のことばとしてこういう文が付いていた。

『私はこのお母さんが好きです。なぜなら、「片づけるまで待っててね」なんて言わず、取り込んだ洗濯物をそのままほっぽり出して、すぐに飛び出していくからです。お母さんたるもの、こうでなくっちゃ!』

たかどの氏がこの母親を好きなのは良い。
私はたかどの氏に嫌われても構わない。
問題は、『お母さんたるもの、こうでなくっちゃ!』という部分である。
たかどの氏は明確に、

母親はこうでなくてはならない

つまり、

『母親は幼児の言葉に従い、家事を即座に中断し老婦人の話相手をしに公園に赴かねばならない』

と断言しておられる。
この母親がどういう家族構成で、どういうタスクをどういう割合でこなしているかは知らない。
洗濯物を片付けず公園に飛び出しても、十分にリカバリー可能な環境と手腕なのであろう。

しかし、私は違う。
洗濯物を片付ける(畳んで各人の部屋の箪笥等に仕舞う)のは夕方である事が大半で、そこに遅れが発生すると、即ち夕飯に遅れが発生する。
夕飯が遅れると子供達がグズり始め、夕飯の準備も出来ない程、手の付けられない状況になり兼ねない。

私の経験からすると、お年寄りの話は長い。
こちらの話など聞かず、一方的に途切れることなく話し、切り上げるタイミングは存在しない。
まともに相手をするとなると、1h~2hは見積もらないとならない。
夕方にこの遅れは致命的だ。
よしんば洗濯物の片付けを後回しにしたまま他の家事育児を進行させたとして、その積み残しは確実に後々の作業に影響を与える

何より私は、何かのタスクを進行している最中に、割り込みタスクにより中断が発生するのが、物凄く、物凄く、ものすごく嫌なのだ。

育児中はこの中断が恐ろしい頻度で発生する。
以前、約1分半間隔で「おかあさーん!」と呼ばれると書いたが、その都度子供の要求を全て受け入れていると、本当に何も進まないのだ。
以前は可能な限りタスクを中断して要求への対応を行っていたが、本当に食事も排泄も出来ない有様なので、

「今ご飯中だから遊べない!」
「今トイレだから出てからにして!」

と断るようにしている。
尚、子供がもっと小さい頃は、断るとギャン泣きして手のつけられない状態となるので対応する方がインパクトが小さい事が殆どだった為、対応する事が多かった。
成長に伴い、多少は『相手の状況を鑑みる』や『待つ』という事が出来るようになってきたのだ。

つまり、私はこの絵本の状況であっても、家事を中断して飛び出していかないと思うのだ。
しかし、絵本に描かれた母親とその考え方を否定しない。
環境や優先度は人それぞれだからだ。

私は、この作者のことばを読むと苦しくなる。
それは、

『母親はこうでなくてはならない』

と書かれている内容と自分が異なり、また、自分が『こう』なるのが困難な状況だからだ。
私は、『母でなし』なのだろうか。


何故今こんなにも、家事より子供への対応を優先する事が正義とされているのだろうか?
もしこれが、家事ではなかったら?

漁から帰ってきた漁師だったらどうだろう。

『私はこのお母さんが好きです。なぜなら、「市場に届けるまで待っててね」なんて言わず、釣った魚をそのままほっぽり出して、すぐに飛び出していくからです。お母さんたるもの、こうでなくっちゃ!』

いやいや、市場に行けよ!
魚痛むよ!

営業の最中のサラリーマンだったらどうだろう。

『私はこのお母さんが好きです。なぜなら、「商談が終わるまで待っててね」なんて言わず、クライアントをそのままほっぽり出して、すぐに飛び出していくからです。お母さんたるもの、こうでなくっちゃ!』

老婦人と話をする為、子供に誘われてアポをドタキャンする営業……。

手術中の外科医だったらどうだろう。

『私はこのお母さんが好きです。なぜなら、「患部の切除と止血と縫合が終わるまで待っててね」なんて言わず、開腹したクランケをそのままほっぽり出して、すぐに飛び出していくからです。お母さんたるもの、こうでなくっちゃ!』

 


手術と家事を同等と見なせと言っているのではない。
家事が、育児の片手間にちょちょちょーっとやれるものであり、したがっていくら後回しにしても誰も困らず、すぐにリカバリー可能であるものと見なされている為に、

『家事を後回しにして子供と向き合うべき』

という主張が今こんなにもはびこっているのではないかと思うのだ。

しかし以前も書いたが、子育て中であるからこそ、家事の遅れは致命的なのだ

繰り返す。
家事を後回しにして子供と向き合う事を私は否定しない。
環境や優先度は人それぞれだからだ。

しかし、

『母親は家事より子供への対応を優先しなくてはならない』

という圧力を、そうでない考えを持つ母親に掛けるのはやめて頂きたい