nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

戦争の日常を想像する

シリア空爆に関わる以下のニュースを読んだ。

www.msn.com


空爆を受けた5歳の女の子が、瓦礫の中、7ヶ月の妹の服を必死で掴んでいるのである。
この写真とその拡散が、どの程度の政治的意図を含んでいるのかは知らない。
中にはこうやってブログに書いたりして反応することを浅慮であるという人もいるかもしれない。
しかし、一人の親として、この光景はあまりに切ない。

5歳の女の子は、まだ、赤ちゃん返りの真っ最中だったかもしれない。
7ヶ月の妹の存在に、複雑な思いを抱いていたかもしれない。
それでも、妹を救おうとするのである。
その姿は、私の4歳と1歳の子供達の姿と容易に重なる。

戦争は過去のものではなく、今まさに、私の子供達と同じ年頃の子達が直面している日常なのである。
と、書いても書いても月並みな言葉しか出てこないのがもどかしい。

世の中には、辛すぎて知りたくないニュースがたくさんある。
しかし、平和と豊かさを享受する者として、辛くてもそれらを知る義務があると思う。
何かを決定する時、知らないでいる事や、我が身に当てはめて想像せずにいる事こそが恐ろしい。

私は政治的に、特に強く左右どちらかに振れているつもりはない。
強いて言えば、義務教育における度重なる反戦教育に、若干の反発心を持っていた若い時期はあった。
「もう、そんなに何度も言わなくても分かってるよ!」と言うような。
しかし、分かっていなかったのである。
『子供』という圧倒的弱者、それも、絶対に失いたくない存在を守らなくてはならない立場になって初めて、『戦争』という日常が、恐ろしいまでのリアリティをもって私に迫ってきた。
そして、もう政治的な細かい理屈は全部どうでもいいからとにかく戦争だけはやめてくれないか、という気持ちになった。
だが例えば、かつての日本のように国全体がもう飢え死にするレベルで困窮し、想像するのもおぞましいが、幼い上の子を女郎屋に売らなくてはならなくなったらどうするか。
辛すぎて考えたくもないが、生まれたばかりの時期の下の子を間引かなくてはならなくなったらどうするか。
隣家もしくは他国から泥棒すればそれは避けられるとしたら。
自分の家族だけは助けたいと思うだろうか、どうだろうか。
そしてそれは、結果的に助かることになるのだろうか、どうだろうか。

私は、父方の本当の祖父に会ったことはない。
フィリピンで戦死したからだ。
以前はそのことに特にそれほど感情を揺さぶられることはなかったが、子供を産んで、愕然とした。
祖父は、初めての子供、それも、まだ1歳かそこらの、ヨチヨチ歩きでニコニコ笑いながら「だぶー」とか「とーと」とか話す、ぷにぷにほっぺの、一番可愛い時期の自分の息子を置いて出征したのだ。
出征直前に撮った祖父の写真がある。
悲壮感に溢れてる。
出征したら、おそらくもう幼い息子には二度と会えないのだ。
ほっぺも太腿もぷにぷに出来ない。
「きゃっきゃっ」と笑う声も聞けない。
抱っこも出来ない。
そして、やはり同じような歳の子供を持つ他の国に住む知らない父親を、ころしに行かなくてはならないのだ。
私がもし、1週間後に出兵し、子供達とはおそらくもう会えず、知らない子供の父親や母親や子供自身をころさなくてはならないとしたら、『辛い』という言葉ではとても表しきれない。

辛いけれども我が身に当てはめて想像してみる。
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夫の職場でも、召集令状を受け取った人が増えてきた。
プロジェクトメンバーが半分になってしまったらしい。
特に、テストを任せていた若手達が皆、ごっそりと出征してしまったという。
来月からSTフェーズに入るというのに、リリースに間に合うのだろうか。
基盤チームのメインとなる設計者も出征してしまったのだという。
これからトラブルが発生したら、一体誰に問い合わせればいいのか、という状態だという。
ただでさえデスマーチだというのに、更に炎上してしまうではないか。
夫はこれからは出征者のカバーのため泊まり込みになるだろう。

出征したメンバーにはかつて私と同じプロジェクトをやった人もいる。
色白で小柄で眼鏡で白いワイシャツに黒いスラックス、やや小太りで人当たりの良かった、魔神英雄伝ワタルを愛するあの人が、軍服を着て銃を握るのだ。
似合わなすぎる。
彼は技術者としては優秀だったが、銃なんて重くて持って走れないだろう。
あの人が一体どんな顔をして他のひとを撃つというのか。
適材適所の真逆もいいところだ。
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最近はもう、スーパーにお菓子が並ばなくなってしまった。
下の子は、プリンが食べたいとよく泣く。
イヤイヤ期も相まって本当に手が付けられない。
卵と牛乳があれば自分で作れるのだが、なかなか手に入らない。
砂糖も無い。
上の子はもう最近は泣かなくなってしまった。
一生懸命ガマンしていることが伝わり、かえって切ない。
甘い物が大好きだったのに。
こんなことなら、お菓子くらい平和なうちにたくさん食べさせてあげればよかった。
ごめん……。

私が、
「おかあさん、今日もお菓子あげられなくてごめんね。
 昔、おうちにもお店にもいっぱいお菓子あったのに、『そんなにたくさんはダメ』って言ってばっかりでごめんね」
と言うと、
「いいよ」
と言う。
娘は、わたしが「ごめんね」と言うと、いつも「いいよ」と言うのだ。
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子供達の体重が減り、頬がこけてきた。
最低限の食料もなかなか手に入らないのだ。
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とうとう夫に召集令状が来た。
最後の一週間くらい、家族で過ごしたいのに、リリースがあるから休めないという。
日本人は、これだから日本人は。
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夫が出征した。
急いで私も復職しなくてはならない。
完全なるワンオペの日々が始まる。
保育所に入れるだろうか?
保育士も次々に召集されているという。
子供を守り育てる手に、よその子供の親をころさせるのか。

そして今後、私も召集されたら、子供達をどうしよう?
実父も舅も召集されている。
母は高齢で子供を見られないし、姑は大姑の介護をしている。
私も夫も戦死する可能性が高いから、あらかじめ福祉施設に入れるしかない。
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続きは、あまりにも辛すぎて、というか人によっては不謹慎だとか誤解されそうなので書かないが、この漫画に描かれる多くの名も無き母子のように熱線に焼かれるのかもしれない。

『原爆と戦った軍医の話』

 

rookie.shonenjump.com



そうでなけでければ、私は牟田口某のような人に絶望的な戦線に送られ、残された子供達は戦争孤児として東京駅でお腹を空かせて座り込むのだ。

とにかく、そんな日常はいやだ。
絶対的な弱者である子供達が守られず、家族が永遠に離れ離れになる日常は嫌だ。
子供達が辛いのはいやだ。

私は良かった。
屋根があって良かった。
壁があって、床があって、食べ物があって、弾が飛んでこない場所で寝られて良かった。
子供を守れる環境で本当に良かった。
これは、当たり前のことではないのだ。

 

原爆に遭った少女の話

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