nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

渋谷のハロウィンとカーニバルとゲバ棒

季節外れであるが、ハロウィンの話題である。
毎年、渋谷で馬鹿騒ぎする若者たちが取り沙汰される。
私は、彼らを割と肯定的な目で見ている。
世界の歴史を紐解くと、苦痛に満ちた生活を送る大衆の、ガス抜きとしての馬鹿騒ぎというのは、社会の仕組みとして用意されている。
中世ヨーロッパでは、ある種の祭日には、日頃の社会階層を無視あるいは逆転したような形で、大衆が無礼講を繰り広げる。
例えば、誰も彼もが仮面を着けて身分を隠し、性的に奔放な夜を楽しむ。
また例えば、道化が教会の祭壇で神父の説教を揶揄し最後に放屁する、等。
なお、道化はタイミングよく放屁出来なかった場合、周りの大衆に打ち殺されたりすることもある大変重要な役目であった。

いつの時代であれ、大衆は時に社会規範をひっくり返してガス抜きをするものなのである。
それがどのような宗教に由来するものであろうが関係ない。

尚、
「何故、日本人なのにキリスト教のイベントを行うのか」
という問いに関して仮にキリスト教側に立って回答をするならば、
「聖書に『地の果てまで行って教えを広めよ』と書いてあるから、各地の習慣を取り入れつつ色々マーケティングを工夫したら上手く広がった」
という事であり、また仮に日本人側に立って回答をするならば、
「世の中には、誰かと仲良くなりたい、会話をしたい、或いは家族等の身近な人間と喜びを分かち合いたいという願望を持っている人間がおり、そういう人間にとっては『人と仲良くなる切っ掛け』としての各種イベントが便利なのである」
となるだろう。
なお私はキリスト教徒ではない。

時代を遡れば、人々はガス抜きの熱狂の中で石畳を剥がして機動隊に投げつけたり、大学の屋上から火炎瓶を投げたり、ゲバ棒を振り回したりしていたわけで、それらに比べれば渋谷でトラックをひっくり返したり半裸で踊ったりなどということは、大層大人しい秩序立ったガス抜きであるように思う。
どの時代の『彼ら』にも大義名分があろうが、宗教的正義も、大学学費値上げと空港建設と安保とベトナムの平和とが繋がる理由も、トラックをひっくり返す理由も、私には等しく『わからない』。
大学学費値上げと空港建設と安保とベトナムの平和とが繋がる理由については、何冊も本を読んだが結局分からなかった。
分かるのは、民衆は時にガス抜きを行うものであり、現代のガス抜きは歴史的に見て随分大人しいということだけだ。

漫画版『風の谷のナウシカ』に、新時代の到来を喜んで「ヒィハハハ」「ワッハッハ」と言いながら踊る若者たちを見て、ある古老が、
「ごらん 若衆達があんなに喜んでおる」
と言うシーンがある。
そのようなメンタリティでありたい。