nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

算数と暮らしの思い出

ケーキ割り勘

11歳の頃の思い出がある。
クラスの友達4人と私、合計5人でケーキを作ることになった。
一人 ¥500 ずつ持ち寄り、皆で材料を買いにスーパーマーケットへ行った。
材料費は合計で ¥800 であった。
レジで、A子とB子がお金を出し購入した。
その後、清算をすることになった。
私は、A,Bの残りの ¥200 と、他の3人の ¥500*3 を出し合い、合計を5で割って分け合えば良いと言った。
各人、手元に ¥340 が残ると言うわけである。
しかし、私以外の4人のメンバーは納得しなかった。
曰く、
「A,Bのお金はもう手元に無いのであるから、他のメンバーより精算額を多く受け取らなくてはならない。
 他のメンバーは、一度お金が手元を離れるとは言え、お店に払ったわけではなくすぐに戻るのであるから、A,Bより少なく受け取るべきだ。」
と。
まるで宇宙人と話しているようであった。
私が
「じゃあどうやって精算すれば良いと思うのか具体的に教えてよ」
と言っても、彼女たち自身が式とその根拠を示す事はなかった。
彼女たちはただ、感情でしか反発していなかった。
私とて11歳の語彙力を駆使して必死に彼女らを説得したのであるが、納得できる結果に終わらなかったという記憶がある。
4対1である。
謎の感情論と数の力で押し負けてしまった。
今、大人としての語彙力をもってすれば、彼女らを説得出来るのであろうか。
何となくであるが、出来ないような気がする。

極端な例であるが、漫画などで、ガリ勉キャラが不良を論破して不良が逃げていくという描写があるが、あれは幻想なのではないか。
論破というのは、相手が自分の言葉を理解出来るという前提が不可欠である。
感情のままに暴力をふるう人々は、多くの場合語彙力に乏しく、言葉が通じないので、まともな会話が成り立たない。
イヤイヤ期で癇癪を起こす子供に理屈が通用しないのと同じである。

それと同じで、いくら正しい式を提示しても、それを理解できる能力か、根絶丁寧な説明を聞く耳を相手が備えていなければ、説得は難しい。

コピーの倍率

17歳の頃の思い出がある。
高校のクラス全員で、大きなサイズの絵を作成するという課題があった。
私は下絵の担当であったので、下絵を描き、一人のクラスメイトと一緒に、高校の近くの文房具屋へコピーを取りに行った。
その際、原画よりも拡大する必要があったのであるが、コピーボタンにある『2倍』という倍率を表す数字が、面積の倍率を表しているのか、長さの倍率を表しているのかが分からなかった。
私は、文房具屋のおばちゃんに質問した。
「これは、面積が2倍になるのですか?
 それとも、辺の長さが2倍になるのですか?」
と。
おばちゃんは答えた。
「全部よ、全部。
 全部2倍になるのよ」
と。
そんなはずはない。
辺の長さが2倍になれば、面積は4倍になるのだ。
これは義務教育の領域である。
混乱し、助けを求めるように傍のクラスメイトを見遣ると、彼女は言った。

「そうだよ○子!
 長さも面積も2倍になるんだよ!
 当たり前じゃないの」

その高校は、進学校であった。
彼女とて、勉強の出来る人であった。
私などよりも遥かにテストの順位は上であった。
実際、有名私立大学へ推薦で進学した。
それなのに、なぜ……。

ゲームの価格

ハタチ前後の頃、友人達とゲームを作成した。
世の中には、ダウンロード販売代行サイトというものがあり、審査を通過し登録することで、ゲーム等デジタルコンテンツのダウンロード販売を代行してくれるのである。
1本売れる毎に、売上の中から決まった割合の手数料を取られる。
この時は、10%であった。
元々、我々にとって手元に入らなければならないある価格(仮に¥1,000 とする)が存在するので、手数料を差し引いた後の残りが ¥1,000 となるよう販売価格を算出することになったのだが、何故か、¥1,000 に ¥1,000 の10%を足すという式で計算をし始め、 ¥1,100 で売ろうと言う話の流れになったのには驚いた。
言うまでもなく、10%の手数料を引いて ¥1,000 を残すには、
X * 0.9 = 1000
X = 1000 / 0.9
X = 1111

の価格付けが必要である。
「ちょっとまって!
 その計算はおかしいよ!」
とあわてて止めて、式を提示してメンバーを一応納得させることは出来たが、リーダー含め
「私は寝不足の為あなたの言ってる事が理解出来ないので、もうそれで良いです」
というような論調であった。
なお、この当時はメルカリなどのフリマ市場は存在しないかあるいはそれほど普及しておらず、手数料の計算をそこらの学生が日常的にするような状況ではなかったことを付記する。
彼女達は、いわゆるケーキの切れないような層ではなかった。
都内の有名な私立中学やら私立高校やらを出て、立派な大学に通う、どちらかと言うと経済状態とそれに伴う教育水準の高い人たちであった。


さいごに

算数は、答えが定まっている。
世の中のあらゆる事の『正しさ』が人によって違っても、数に関する『正しさ』は、人によらない(宇宙際タイヒミュラー理論がどうとかいうような特殊な数学世界においても常に正しさが一意になるのかどうかは私は知らない)。
しかし、正しい式を提示しても、理解されない事がある。

正しい式を提示した際にそれが正しいと認められるコミュニティに属する事は、とても幸せな事なのだ。
もしあなたの属するコミュニティがそうであるならば、その環境は大事にしたほうが良い。