nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

共感をバカにする人達

信じ難いものを見た。
あるネットニュースで、海外の強制収容所の様子を伝える博物館を見学した方のツィートが紹介されていた。
その方は、殺された方々の悲惨な運命に思いを寄せ、涙した事を書いていらした。
それに対し、ネットニュースのコメント欄は、以下の様なコメントが多く見られた。

・彼らも歴史上悪い事をしてきたのだから殺されて当然
・虐殺は嘘
・他の国も悪い事をしてきた(している)
・ポエムを読まされて不愉快

などなど、目も当てられないコメントが溢れていた。
えっ!
信じられない、本気でこう思っているの?

ツィートの主は、自分たちと同じように日常の生活を営んでいた人間が、ある日、家族と引き離され殺されることの悲劇性を嘆き、彼らに心を寄せているだけだ。
なのに何故、国や集団同士の政治がどうとかいう話になるのだ?
個人と集団を混同していないか?
国や人種を、ただ一つの意思を持つ集団だと勘違いしていないか?

地球上のあらゆる国や集団のなかで、過去、他集団への侵略を一切行わなかったものは無いだろう。
だが、仮にある集団が過去に何かをしていたとして、その集団に今産まれた赤子や幼児は、殺されて当然の存在か?
その赤子や親自身が何かしたのか?
私はそうは思わない。

「殺された人々に同情して涙しました」という書き込みが、非難される理由が全く分からない。

何かと、共感という物がバカにされがちであるように思う。
しかし、人類が暴力や暴言を乗り越えるために必要なのは、最終的には共感なのではないか。
自分以外の誰かの立場に、自分を置き換えて考える。
他者の感情を想像し、感情に寄り添う。
『殴られたら痛いだろう』と我が身に置き換えて想像する。
思えば、言葉をろくに話せない子供を育てるのに必要なスキルこそ、想像と共感ではないか。
共感こそが、人間が進化の過程で獲得した安全な繁殖への鍵なのではないか。

共感をバカにして切り捨てる社会は、やがて、子を産み育てることを止めるだろう。