nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

八百比丘尼について考える

昔から、寝る前によく、何でも幾つでも願いが叶うなら何を願うかを考えることがある。
願い事は人生のステージによって色々変わってきたが、中でも不老不死というのは、恒常的に候補に挙がっている。
しかし、何億年か経てば必ず地球は今の様ではなくなるだろうから、そういう状況で進化もせず今の人間の機能のまま生きているのはツラいよなぁ、と思ったり、子供達より先に死ぬのは辛すぎるから、子孫も不老不死になれる設定にする?いやいや、そうすると、いつの日か不老不死人間で世界が溢れてしまう、などと考えたりし、不死の部分は放棄すべき、という結論にいつも至る。

結局、生物は遺伝子を運ぶ舟である訳だけれども、一個体が運び続けるのはしんどすぎるから交代で運んでいるわけで、ある程度の年齢になったら交代出来る(=繁殖と死)というのは救いなのである。

では不老のみの設定にする?
だとしたら何歳で固定する?
と考える。

私は、大学生くらいの頃から、27歳に憧れていた。

27歳は美しい。
まず、27は3の3乗である。
次に、2も7も素数である。
次に、2は私にはベビーピンクに見え、7はクリーム色に見える。
別にどちらも好きな色では無いが、組み合わさると明るくて良い色合いだ。
だから、歳を固定するなら27歳が良い。

しかし。
今の歳だって嫌いではない。
それ自体が素数だし、薄いオレンジと限りなく白に近い黄色という組み合わせが美味しそうで中々良い数字だ。
その上なんと双子素数でもある。わー!元気出てくる!
仕事や育児をする上では若く見えることが必ずしも優位に働くことばかりではないし、私は今の年齢の自分と、自分を取り巻く概ね全ての状況を気に入っている。
何より、不死の設定を放棄した以上、若いままある日突然死ぬのである。
それってキツくないか?
私自身はまだ死に直面した事はないけれども、老いを得て、病を得て、うわ〜体中しんどすぎ、もうムリ、私をあの世に連れてって、となるからこそ、死への恐怖が緩和されるのではないかと予想している。
若く健康なままいきなり死ぬというのは、やっぱり怖い。

結局、不老も不死も両方放棄するのが得策であるという、古今東西のフィクションが散々導き出してきた結果に繋がるのだ。

あと、上記に書いたような理由から、71歳と73歳にはやっぱりなっておきたいのである。