nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

「生まれて来なければ良かった」といわれた

4歳娘の言葉である。
結構ショックだ。
娘は、1歳息子に作っていたシャボン玉を破壊され、それに対し抗議したところ叩かれ、世を儚んだらしい。

「私は生まれてこなければ良かった。
 弟くんなんていなければ良かった。
 私だけ産んでもう産むのやめれば良かったのに!」

と泣かれた。
私だって泣きたい。
上司に頭を下げて卵胞の育ち具合を確認しに日々病院に通ったこと。
毎回4時間ほども待合室で待ったこと。
毎朝早起きして自己注射を打ったこと。
妊娠中のつわりとマイナートラブル。
陣痛、出産。
連日の睡眠不足。
何もかもが思い通りに進まない育児。
そして、それらすべてが全く惜しくないと思えるほどの圧倒的な可愛さと大切さ……。

確かに娘や息子を産みたいと思ったのは私の身勝手だし、それに伴う大変さに対する責任はすべて私や夫にあり、娘が背負うべき責任は一切無い。
しかし、そういう大変さの結果が、娘の「生まれて来なければ良かった」という感想なのであれば、あんまりだ。

昔は、

「おかあさんに『かわいい』って思ってもらいたくて生まれてきたの!」

だとか、

「おかあさんの名前の書かれた箱を選んでおかあさんを決めたの!
 自分の顔と身体はくじ引きで決めるの!
 お腹の中の出口には『非常口』って書いてあるの!」

だとか、ファンタジーで可愛らしいことを沢山話してくれたのになぁ……。
更に息子を妊娠中は、

「わたし、もうすぐおねえさんになるの!
 楽しみ!
 小さい子大好き!」

とか言っていたのになぁ……。
毎日頑張る娘が色々気晴らしや楽しみが出来るよう、色々と気を配っているつもりなのに、何も響いていないのだろうか……。
いつも見せてくれるキラッキラの笑顔は幻なのか。

何とか娘には、

・私はそれを聞いて悲しかった。
・私は娘と息子を産んでよかった。
・あなたを弟くんから守れなくて申し訳ない。
・私の勝手であなたや弟くんを産んだ事で、あなたが辛いのは大変申し訳ない。
・辛さは全部私にくれ。
・あなたが生まれてきて良かったと思えるよう、幸せに出来るよう頑張る。
・弟がまだ言葉をうまく使えなくて手で人を叩いてしまうのと、あなたがまだ言葉をうまく使えなくて今のように言葉で人の心を叩いてしまうのは同じ事。どちらも大きくなれば治る。

というようなことを伝えた。
やがて娘は泣き止み、謝ってくれたが、本当に娘がどう思っているのか、どれだけ納得出来たのかはわからない。
一時期の、嵐のような酷い赤ちゃん返り(息子への嫉妬)は無くなって久しい。
今はとても息子を好きで、可愛がってくれているように見える。
しかし時々、弟を疎ましいというようなことを言う。
例えば、娘は眠くて寝たいのに、息子が騒いで寝られない時(二人とも私にくっついていたいので、空間を分けて寝ることは出来ないのだ)。
はたまた、おもちゃの取り合いなど、息子が何か気に入らないことがあり、娘を叩く時。

聞けば、

「わたしは弟くんのことはとっても好きだけど、叩かれるのは本当に嫌」

と言う。
娘は言葉の発達がとても早かった為か、それとも長期授乳や一人っ子状態の構われ放題で心が安定していた為かわからないが、肉体言語に訴えるという事がなかったのだ。

それでも、『自分が生まれて来なければよかった』とまで言われたのは初めてで、私はとても動揺し、落ち込んでしまった。

その時、この記事を読んで、なんだか理解でき、救われた気がする。


子供に『生まれて来なければよかった』と言われた時に親が出来ること - MiyabiyNoCafe


なるほど、この言葉を言われた親は、子供の出した「生まれて来なければよかった」という結論だけ見てビビってしまうけれども、そもそもその解答を出した『式』が、幼さ故に間違っているのかもしれない、と。
そういう事ですね。

思えば、大人だってその式、沢山間違っているではないか。
特に青年は間違えやすい。
10代から20代初頭の頃、彼氏彼女と別れただの、受験が心配だの、就活が面倒だの、『将来に対する唯ぼんやりとした不安』だの、全然大した事ではない事物に思い悩んで、家族や周りへの影響なんて全く考えず、カジュアルに『死にたい』とか思っていた元青年のなんと多いことか!
そういえば、『こころ』のKにしろ、『白夜を旅する人々』の次女にしろ、文学で命を捨てるのは何不自由無い、他人から見たら未来に希望しかないような恵まれた坊ちゃん嬢ちゃん達ではないか。

因みに、私の想定していた、娘の使用した式は、次のようなものであった。

 良かったこと - 嫌だったこと = 生まれて来なければよかった

プログラムっぽく書くと、

if ( 良かったこと < 嫌だったこと)
{
    return 生まれて来なければよかった
} else {
    return 生まれて来てよかった
}

みたいな。

でも実際に娘の使用した式は、このようなものではなかったか。

if ( 0 < 嫌だったこと)
{
    return 生まれて来なければよかった
} else {
    return 生まれて来てよかった
}

目の前の嫌なことのみ目に入り、良かったことが考慮されていなかったのではないのか。

いや、閃いた!
もしかしたら、人は自らの生の価値を考える時、以下のような式を使用しているのではないか。
良かった事と嫌だった事に、それぞれ、増幅及び減衰させる係数、happy 係数 h と unhappy 係数 u を設定する。
更に、単純に両者を比較するのではなく、逆境に陥っても絶望しない為の、へこたれない心の底力となる閾値 t を設定する。

if ( 良かったこと * h - 嫌だったこと * u < t )
{
    return 生まれて来なければよかった
} else {
    return 生まれて来てよかった
}

つまり、happy 係数が高いほど、日常に幸せを感じやすく、unhappy 係数が高いほど小さなことでクヨクヨし、閾値 t が高いほど、逆境に陥ってもへこたれないという具合である。

幼さ故に、各値が不安定な娘は、h が一時的に 0 になっていたのかもしれない。
私は月に一度の PMS の時期は u が限りなく大きく、 h が限りなく小さくなる。
しかし子供を産んでからというもの、 t はいつでも安定して高いと思える。

どんな親切を受けても捻くれた受け取り方しかしない人は h が負数なのかも知れない。
逆に、どんな不運もパワーに変えてしまう人は u が負数なのだろう。

なるほど!
これで方向性は定まった。
私は、子供達が、happy 係数と閾値 t を安定して高く、unhappy 係数を低くできるよう気をつけよう。
勿論自分に対しても。
良いことも悪いことも、どう生きたって時勢によって多かったり少なかったりするものだが、それを受け止め解釈し、自らの糧とする力があれば少なくとも自分が幸せを感じて生きることは出来るだろう。
でも、どうやって?

毎日好きだ大切だと伝えること?
褒めまくること?
天日によく当てること?
動植物を育てること?
読書をすること?
子供を生み育てること?
それとも宗教?

それは人類の永遠の命題なのだろう。
とりあえず今はショックを捨てて、

「4歳にしてその結論に至るとは、かなり早熟なんじゃないの!?
 今に鬱ポエムとかノートに書き始めるんじゃないの!?
 TRPGキャラクターシートとか作り出すんじゃないの!!?」

などと明後日な方向にワクワクしておくことにした。


 
ねえだっこして

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ちょっとだけ (こどものとも絵本)

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