nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

こんなプログラミング教育はイヤだ

書き取り練習30回

ノートに。


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もちろん手書きで。

 

音読練習

先生「じゃあ〇〇、お前読んでみろ」

〇〇「はい。
 いんくるーどすたんだーどあいおーてんえいちいんくるーどすとりんぐてんえいちいんとめいんかっこかっこ……」


1つのクラスにつき1〜2台しかPCがないので、皆ノートにソースコードを書く

もちろん手書きで。
書けたら先生の元に持って行き、OKをもらうとPCを使用してノートを見ながら入力できるシステム。

「先生!
 〇〇くんがずっとコンパイルエラーで、後ろに並んでる皆が困ってます」

〇〇「えぐっ、ひぐっ、なんで通らないんだよぉ、もうムリだよぉ」


何かとすぐにプリントアウトする

ガー!シャッシャッシャッシャッ
ガー!シャッシャッシャッシャッ
ガー!シャッシャッシャッシャッ
ガー!シャッシャッシャッシャッ

「先生!
 〇〇くんがまた片面印刷してます!」

 

古文としてアセンブリ言語COBOLFortranをやらされる

え、いいじゃん!

 

インターネットで調べる事がズルとして許されない

先生「ちゃんと教科書暗記しとけよー」

 

少しでも楽をしようとするとズルとして糾弾される

「先生!
 〇〇くんがちがうやり方でやってます!」

先生「なにい〜、先生そんなやり方教えてないぞ。
   だめじゃないか〇〇、もっと手を動かさないと」

 

 

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プログラミング知育玩具に思う

もうすぐ小学校でのプログラミング教育が始まる。
それを受けてか、世の中にはプログラミング知育玩具が多く販売されている。
カードやUSBのブロックでロボットに命令を与え、思い通りにルートを進ませる、という類のものが多い。
私もいくつか持っている。
以前、知人からプログラミング教室を開かないかという話をいただき、検討する過程で、人寄せになるかと思い試しに買ってみたものだ。
で、買う前から思っていることなのだが、これって、それほどプログラミングに関係なくないか???

いや、確かに、

・目的達成への手段を調べ
・プログラム実行の過程で起こる事を予測し
・失敗の原因を探り
・トライ&エラーを繰り返しながら解決をはかることで
・論理的な思考力や集中力を培う

ということをやっているのだから、合っている。
合っているんだけれども、非常に表面的というか、少しかすってるだけというか、やれることが浅いというか、『遊んでいる』というより『掌の上で遊ばせて貰っている』感がすごい。
プログラミングの本質を突いていない気がする。

ロボットをルート通りに進めてみても、工夫の余地が小さ過ぎてそんなに面白くないし、新たに何かが発見されることもないし、自分の独自のアイデアが形になる部分も小さいし、特に何かが便利になるということもない。

一通り動かした後、カードやUSBブロックに入っているデータの中身を見てみて、同じようなものが作れないか挑戦してみる、というなら非常に面白いけれども。

以下は完全に私の経験からなる私の意見であり、国や他の技術者諸兄諸姉の考えとは異なるかも知れないが、私の思うプログラミング教育の目的とは、

・論理的思考
・合理的思考
・探求心
・自分で調べてやってみる力
・最低限のコンピューター操作(おまけ)

を身に付けることなのである。
特に、合理的思考というのは今の日本に足りずプログラミングで養うべき重要な点である。
人がやらなくても良いことは人がやるべきではないのだ。
『人が手で丁寧にやらないと心がこもってない(出力結果は同じなのに)』という類の迷妄を吹き飛ばさなくてはならない。

最低限のPC操作と安全なインターネット利用の仕方だけを教えた後、すさまじく面倒なスプレッドシート操作の宿題と、キーワード『VBA』を与え、出力結果さえ合ってれば手でやってもプログラムを作ってやってもOK、とかいう方法はどうか。
全て一気に身につきそうな気がするが、ハードルが高いだろうか。
子供同士、ペアプロでやっても面白そうではないか。

プログラマーとして優秀なのは、面倒臭がりな人間である。
理不尽で単調で詰まらなくて面倒な作業を割り振られ、深夜まで残業続きの日々−−−。
その時、自分を奮い立たせ指先ばかりを動かし続ける勤勉な人は、企業では評価されるかも知れないけれども、少なくとも優秀なプログラマーではない。
作業内容を見直し、少しでも人間がやらなくても済む部分を見つけ、自動的にやる方法を考え調べ、トライ&エラーを繰り返しやり遂げる者こそが優秀なプログラマーである。
注:あくまでプログラマーの話である。システム構築全体や社会全体がそうであるとは言っていない。

昔、要件を調整せず、人員も調整せず、クライアントにただ土下座外交を繰り返すばかりで部下もろとも巻き込んでプロジェクトを大炎上させてばかりの先輩がおり、彼がある時、若い部下に

「おいお前、なんで手ぇ動いてないの?
 手ぇ動かせよ!」

と叱責していたのだが、ねぇねぇ、
システム屋は手を動かすのが仕事じゃないからね。
頭を動かすのが仕事だからね。
今、部下君、考えてたんじゃん。
この状況を脱する為の、もっと効率良い方法考えてたのかも知れないじゃん。
そんでお前は人を動かすのが仕事のポジションなのに、なんで毎日手ばっか動かしてんの?
少しは上司とクライアントを動かそうよと思ったものである。

上記は企業内での話であるが、教育機関も、子供に敢えて手間の掛かる方法で面倒なことをさせることで精神の修養が云々〜、みたいなところがあるので、そもそもプログラミングと相容れない部分がある。

なぜ突然このような記事を書いたかというと、今朝のNHKのニュースで『理系の女性を増やすために女児向けプログラミング知育玩具が出ています』という特集をやっており、例のごとくカードを読み込ませロボットを進ませ、着せ替え人形のアイテムを集めてワーイ!というのをやっていたからである。

うーーん、ロボットの進路上にファッションアイテムを配置したら女児が喜ぶと思ってるのかぁ……。
そしてそれがプログラミングなのかぁ……。
うーーーーーん。
うーーーーーーーーーーん……。

あのね、実は世の多くの女児は、プログラマー的思考を育むのに超☆適している玩具を既に持っていますよ。
それは、変身ヒロインアニメの変身アイテムである。
ブローチやら筆やら瓶やらのコレクションアイテムを本体に差し込むと音が出たり液晶画面にキャラクターの絵が表示されたりする類のあれだ。
あれで遊んでいる際に、子供に話しかけてみてほしい。

「なんでこっちの筆とそっちの筆で、差し込んだ時の音が違うんだと思う?
 見比べてみよう。
 そうだね、筆の横にある刻みが違うからだね。
 差し込む穴の内側を覗いてみよう。
 小さいスイッチがいっぱいあるね。
 筆をさすと、刻みがこのスイッチを押すの見える?
 初めにこのスイッチとこのスイッチが押されて、もっと差し込むと別のスイッチが押されるね。
 1回目と2回目の組み合わせのパターンで、違う音が出るみたいだね。
 1回目に押されるスイッチが n 個で、2回目が m 個なら、組み合わせパターンは全部でいくつ?
 でも2回目のこのスイッチはどの筆でも必ず押されるね。
 『2回目押されたよー』の合図なのかも。
 必ず押されるなら組み合わせパターンから除かないとね。
 じゃあ、刻みの場所を自由に変えられる道具を工作してみたらどうなる?
 さっきと違う音が出たね。
 他にも音が出るか試してみよう!
 でも、めちゃくちゃに変えてちゃ効率が悪いよね。
 ここに表があるよ、マトリックスって言うよ。
 縦の列が Column 、横の行が Row って言うよ。
 ここに、全部の組み合わせパターンを書き出して、他に音が隠れていないか一緒に探してみようよ」

キラやば〜☆
たったこれだけの課題なのに、プログラミングに必要な要素がバンバンでてくるよぉぉ。

プログラミング的な思考力を養うなら他に、昔からある電子ブロックや電子工作も適しているように思う。
若しくは、ピタゴラスイッチを作るとか。
ソフトウェアというのは、昔、ハードウェア(配線等)でプログラムを組んでいたのがめんどくさくなり、一部の配線を動的に変えられねーかなーと工夫した結果、ソフトなウェアになったのだ。

どうか子供達よ、プログラミング教育を受けた未来の大人たちよ。
正しく面倒臭がりになってほしい。
『手でやらないと心がこもってない』と言う前に、心の定義および、その注入プロセスにおける機序を明確にできる人間になってほしい。
人間は人間にしか出来ない事をすべきであるという意識を持ち、人間にしか出来ない面白い探求に、興味ある物事の探求に、自己のリソースを振り分けてほしい。

 

ルビィのぼうけん こんにちは!プログラミング

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チコちゃんに叱られたくない

私は、真面目な人間である。
逸脱が無い、という意味では無い。
全ての言葉に対して、真に受けすぎるのである。
詐欺や押売りには引っかかった事は無い。
彼らの嘘は、『騙す事で彼らに利益が生まれる』ので、理解出来る。
分からないのは、軽い冗談などの『益無き嘘』である。
例えば、駄菓子屋などでおっちゃんに
「はい、30万円ね」
と言われたことがあろう。
これが苦手である。
流石に、おっちゃんが子供を派手にカモろうとしようとしているのでは無いだろうと理解はできるものの、
『え、突然何言ってるの、この人。
 私、どうしたらいいの???』
と混乱して固まってしまう。
あるおっちゃんはそれを見て
「冗談通じないんだね」
とか何か、呆れたふうな事を言っていた気がする。

また、私が新人の頃、新人だけの飲み会に、会社のちょっと偉い人が突然参加してきたことがあった。
その偉い人は、別の新人に「飲め飲め」と酒を勧め始めた。
彼は
「いや〜、勘弁してくださいよ」
「もうホンット無理っす」
「いや、流石に飲めないっす」
とか言いながら、でもなんだかんだ言って飲んでいた。
何度飲んでもまた勧められる。
何回も、何回もである。
私は、彼が本気で嫌がっていると思い、そんな彼に飲ませる偉い人が余りに意地悪であると思った。
また、まわりの空気も重苦しく、皆がその偉い人を持て余しているように感じた。
彼も皆も自分のお金を払い、時間を費やし、何故こんなひどい虐げを受けなくてはならないのか。
楽しく飲むために集まったのではないのか。
私は彼が余りにも不憫になり、酒の勢いもあってか、静かに泣き出してしまった。
これは社会人にあるまじき情けない失態であり、自分でもとても嫌であったし今でも反省はしているが、抑えらなかったのだ。

すると皆は私をみてギョッとし、
「いやいやいや、冗談でやっているんだから大丈夫だよ」
「皆冗談って分かっているんだよ」
などと言い出した。
飲まされていた彼さえも、である。
なにやら、そういう冗談の型があるらしい。
今でも理解不能である。

私の実家の家族で他に、斯様に言葉を真に受ける傾向があるのは、父と姉である。
母はその点に関してはまあ普通である。
父は私に輪をかけて冗談が通じない。
例えば、姉の昔のピアノの発表会のレコードを皆で聴こう、となる。
誰かが間違えて別の、立派なフルオーケストラのレコードを掛けてしまう。
私がそれに対して
「へぇ、おねえちゃん随分上手だったのね」
と言う。
無論冗談である。
しかし父は笑いもせず
「これは◯◯(姉)の演奏ではないよ」
と言うのである。

また、テレビ番組のCMまたぎの演出で、CM前にレポーターが何かの光景をみて驚きの表情を見せるのだが、肝心の光景は視聴者にはなかなか見せず、CM後も同じシーンを繰り返し、相変わらず光景はなかなか見せず、という型がある。
父はこれに完全にキレていた。
「これでは視聴者がレポーターの感情に全く共感できないじゃないか!」
と言いながら。

そして父も姉も私も、人がウェブサイトの事を『ホームページ』と言うと怒る。
その場では怒らないが食事の時間などに
「ホームページとは一連のページ群のトップに表示されるページのことを言うのだ!
 何故こんなにも誤用が広がっているのだ!」
と互いにぶちまけあう。

とにかく冗談が通じず、言葉を真に受け、曖昧な事が苦手な父と姉と私は、システム屋であることが快適である。
曖昧さを解決していく仕事であるからだ。

因みに父は昔アメリカで働いていたのだが、こんなにもジョークを理解出来ずにどうやってあの国で円滑なコミュニケーションをはかっていたのであろうか。
父は日本に帰ってきた事を
「人生最大の miss take だった」
と語るくらいなので、恐らく上手く適応していたのであろうが、一体どうやって?
人生の参考として聞いてみたいが、冗談が通じないという自覚が恐らく無い彼に対して
「あなたは大変冗談が通じないですがどうやってアメリカで通用していたのですか?」
と聞くのは何だか失礼な気がして聞いていない。
アメリカの技術者も大概ジョークが通用しない人々なのかも知れない。

前置きが長くなったが、NHKの『チコちゃんに叱られる』(以下、『チコちゃん』と呼称)である。
私は近年、テレビは自分ではドキュメンタリーと紀行ものとロシア時代劇とルパン三世シリーズしか観ていない。
ワイプやCMまたぎなどの演出がイライラするからだ。
観る時間が無いという理由もある。
しかし夫と娘が『チコちゃん』を好きなので、リビングに居ると観る羽目になる。

この番組、言葉を真に受けるタイプの人間が観ると、非常に疲れるのである。
まず、チコちゃんという5歳の少女のキャラクターから
「何故、◯◯なの?」
という問いかけがある。
これが耳に入った瞬間、真面目な自分は、持てる知識を総動員して答えねばならないと感じる。
そこで答えるのであるが、『チコちゃん』は普通のクイズ番組と違い、わざと質問と答えのニュアンスに微妙にズレが生じるように構成されているのだ。
「答えは、◯◯だから〜〜」
と発表された言葉は、大抵視聴者からすると意外なもの、それだけでは理解できないようなものであり、『え? なになに、どういうこと?』と興味をひいて詳細へ誘導するような作りになっているのだ。

例えばこうである。
チコちゃんが、

「何故、桃太郎は桃から産まれるの?」

と問う。
私はそれに対し、

「桃には古くから鬼を払うという言い伝えがあり、例えば古事記にはイザナギイザナミを黄泉の国に迎えに行った時に黄泉比良坂でイザナミの遣わした醜女達に投げつけて追い返したという記述がある。
 もっと元を辿れば中国の神仙思想に行き着く。
 西遊記では桃を食べて若さを保つ神仙たちのエピソードがある。
 主人公が鬼を倒すという運命を示唆するために、神聖な桃という属性を付与したのではないか。
 そもそも桃太郎の物語自体、中国の古書である『捜神記』あたりに原型があるのではないか。
 また、人間が物から産まれるという物語は世界各地に存在し、日本の垢太郎竹取物語チェコの切り株太郎など、偉業をもたらした者や恐ろしい事を成した者に人外の属性を与える物語形態の一種と思われる」

などと答える。
私の専門ではないので割と適当なのであるが、それでも問われた事に対して出来得る限り真摯に答えるのである。
しかしチコちゃんの答えはこうなのである。

「それは、大人が忖度したから〜〜」

曰く、昔から伝わる桃太郎の物語では、桃太郎は桃から産まれたのではなく、桃を食べたおばあさんが若返って桃太郎を産んだ、となっていたのであるが、明治時代にそれでは生々しいから桃から産まれたように改変した、とのことである。

え?
問いかけは、そこなの?
『なぜ、桃から産まれたか』
ではなく、
『なぜ、人以外から産まれたか』
なの?
元の問いかけと答えが、一対一になっていなくない?
『なぜ桃か』
の部分に対する答えが欠落してない?
そういう答えにするならば、質問文をせめて
『なぜ桃太郎は人間以外から産まれたのか』
としなくてはならなくない?
私は激しく混乱した。

あるいはこうである。

はやぶさ2は何の為に宇宙に行ったの?」

と問われる。
私は、

小惑星の欠片を取りに行ったんじゃなかったかな?」

と答える。
チコちゃんの答えはこうである。

「生命誕生の謎を解明する為〜〜」

もう、続きは耳に入らなかった。
質問が曖昧過ぎるのだ。
『何の為』と問うた時、答えのレベルはミクロからマクロまで無限に考えられ得る。

何の為に宇宙に行ったか。
小惑星の欠片を取りに行く為。
取りに行ったのは何の為か。
何かの実験の試料として使う為。
何の為の実験か。
生命誕生の謎を解明する為。
何の為に解明するのか。
何らかの病気の治療法を探る為、若しくは純粋に学問の為。
それは何の為か。
人間がよりよく生きる為。
それは何の為か。

以下、エンドレス。
もっと具体的に問うてくれないと、答えが一意にならない。
大学入試で出題されたら、どこかの予備校からツッコミが入るヤツである。
こんな意地悪なクイズ、一体どうやって答えろと言うのだ。
当てようが無いではないか。
混乱を通り越し、怒りが湧いてくる。

挙句、

「ボーッと生きてんじゃねーよ!」

と怒られるのである。

何故、精一杯真摯に回答したのに、曖昧な質問文によりミスリードされ、減点された挙句、5歳児にダメ出しされなくてはならないのか。
私は彼女に叱られるほどボーッと生きているのだろうか。
朝から晩まで子供達の世話でてんてこ舞いで、ボーッとなんてもう何年もしていない気がする。
なんでこんなやつに叱られなくてはならないのか。

満身創痍、疲労困憊である。

皆様ご覧ください。
これが、言葉を全て真に受ける人間の思考回路である。
夫曰く、
「テレビを観るのに絶望的なまでに向いていない」
のである。

 

 

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スマホはもう、デジタルガラガラと呼べば良い

先日、所用があって上野駅を利用した。
上野駅の構内には、たくさんのレストランが入っている。
その中のひとつに入り昼食を食べていたところ、不意に、近くのテーブルから音楽が流れてきた。
見ると、先ほど入店してきたらしき、1歳になるかならないかの双子の男の子を連れた夫婦が、双子たちにスマホを渡して、動画か何かを観せている様子であった。
音はそれほど大きいとは言えなかったが、やはり店内であるため、私を含め周りの人々が「なんだ?」という様子でチラホラとそちらを見ていた。
夫婦も周りの目が気になるようで、音量を小さくしようとしたり、無音にしようとしたりしていたが、そうするとたちまち双子たちがグズって泣き出し、元々のスマホの音量よりも泣き声の方がずっとうるさくなり、夫婦は申し訳なさそうに、焦ったような感じで急いで荷物をまとめ、双子たちを連れて退店していった。
注文した料理はテーブルにあったが、滞店時間からみても、まだ殆ど手をつけられていなかったのではないだろうか。

私は、この光景をみて、あの夫婦は一体どうしたら良かったのだろうかと考えさせられた。
1歳児を連れて出先で食事するというのは、物凄く、物凄く、ものすごく!!!大変だ
私は今の所、子供達が1歳の時にそういう必要が生じた事はないが、3歳の時分の娘を連れてレストランに行った事はあるし、機動力の低い0歳の頃の息子と、夫も含めて4人で外食をした事もある。
それらの際は、空いてる時間帯を狙い、子供の存在を許容して貰いやすいファミリーレストランで、子供がグズったらすぐに連れ出す、それが可能なだけの人員を伴っていく等、とにかく気を付けて行ったが、それでも余りに大変過ぎ、とてもゆっくり食事を楽しむ、という状態ではなかった。
何故なら、子供に食べさせている間は、大人が食べる暇はほぼ無いと言って良いし、子供は大人が食べ終わるまで待てないからだ。
ましてや、1歳の男児二人を夫婦だけで連れて、レストランで食事をするというミッションは、あまりに困難である。

しかし、生きていればそういう必要が生じる事もあるだろう。
あの一家は、朝からずっと公共交通機関で移動していて、午後もまた移動が必要で、どうしても上野駅で食事を摂る必要があったのかもしれない。
子供連れでレストランに入るのは迷惑だろうかと考えたところで、あの近辺で安全に食事をする場所があるかと言われると、上野は不案内でもない私でも、思いつかない。
ましてや遠方から来た人であれば、レストランに入るくらいしか思い浮かばなくても無理は無い。

上野公園まで行きパンでも齧る?
寒空の下?

どちらかがレストランの外で子供を見ている間に、もう片方が交代で食事を摂る?
それも無理だ。
あの夫婦はベビーカーを持ってきていない様子だった。
抱っこ紐を使用しても、一人で二人を抱っこする事は出来ない
ちなみに、交通機関の都合により、ベビーカーを持っていくと却って大変になるから持っていかない、という選択は普通に取られ得る。
なにより、それでは子供たち自体が食事を摂れない。

そう考えると、子供たちにスマホで動画を観せながら食事を摂る、という以外、あの夫婦に選択肢はなかったのではないかと思う。
育児では、ベストな方法がとれず、その他の、何かしら問題のある選択肢から、いくらかマシな(ベターな)方法を選択せざるを得ない、という場面が多々有る。
周囲からみて悪手であると思われても、他の方法はもっと悪手かも知れないのだ。
あの夫婦が最初に取った行動は実はベターなものであったのだろうが、私も含めた周囲の人間がチラチラ見てしまった結果、それをやめ、結果として、もっと悪い事態に陥ってしまった。
あの夫婦は、周りの視線から、音を出してしまっている事に対する罪悪感以上の、『子供にスマホで動画を観せているバカ親』という意図を読み取ってしまったのではないか。

そもそも何故、スマホがこんなにも悪者として扱われているのだろうか。
大人は、特に子供の親とその周囲に居る人間は、新しいメディアやそれを提供するデバイスに対する警戒心が強い
面倒&うろ憶えなのでソースは出さないが、

新聞なんて子供に読ませるな

小説なんて害悪だ

ラジオに子守をさせないで!

子供にテレビを観せすぎるな

漫画、アニメが子供を犯罪に走らせる

ゲーム脳の恐怖

スマホに子守をさせないで!

みたいな感じで、明治維新からこっち、ずーーーーっと同じ事を言っているのではないか。
それこそ、楔型文字で粘土板に、「最近の若者はけしからん」と書かれていたように、おそらくもっと昔から。

時に私は、中学生時代、ゲームが大大大好きであった。
特に、剣と魔法の世界を旅するRPGが好きで好きでたまらなかった。
今はもう、ゲームをするだけの集中力も無いし、憧れの中世ヨーロッパに触れるなら、実際に現地に行くか、図書館で歴史の本を借りて読んだ方が、リアルで面白い。
しかしハマっていた当時は、本当に寝食を忘れる程で、その世界に対する憧れから、読書や、絵画や、更にはCGデザイナーやシステム屋という職業に対する憧れや興味など、あらゆる思考に影響が及んだ。
あの時期のあの体験がなければ、当時の体験を同世代の人間と共有する喜びも無く、現在の各方面への興味も無く、人生に於ける『Fun』は、かなり減少していた可能性が有る。
何なら就職も出来ていなかったかも知れない。

尚、私の父はゴリゴリのシステム屋であり、デジタルなモノに対する許容度はかなり高かった。
私が子供であった昭和の時代、まだ珍しかったパーソナルコンピューターで、タイピング練習用ソフトを使ったタイピングを教えて貰ったり、一太郎(懐かしい!)で文字を打ったり、花子(超懐かしい!)で CG(3Dじゃないよ)を作って年賀状にプリントしたり、Mac で上海などのゲームをさせて貰ったりした。
余談であるが、昭和の当時使用していたタイピング練習用ソフト(名称は忘れた)は、タイピングのタイムが遅いと

「遅いですね。
 足で打っているのですか?」

等と聞いてくる超失礼なヤツだった。
もちろん手で打っていた。

また、長じて私がゲーム好きになってからは、父は東京ゲームショウに連れて行ってくれたりもした。

父がラジコンを買ってくれれば、幼い私と姉は、どうしたらより電波が受信し易く、遠くまで走るようになるか試行錯誤したし、オルゴール盤を読み取りながら音楽を鳴らして走る汽車のおもちゃを与えられれば、私も姉も、付属のオルゴール盤を使用せずにオリジナルの音楽を鳴らすという挑戦に夢中になった。

上記の事柄との因果関係は分からないが、私も姉もシステム屋となった。
ちなみに、私は通勤は死ぬほど嫌いであるが、仕事は大大大好きだ。
システムを作ることは、大体において脳にとって甘くて美味しい体験だ。

だから、というわけでは無いが、新しいメディアやデジタルなものが一概に悪いとは、言えないのではないかと思う。

とはいえ、歴代の人類が警戒してきたメディア及びデバイスには、それなりに警戒するに足る理由はあると思う。
それは、時間を忘れてハマりやすいという点と、完全に受動的な体験となってしまいやすいという点だ。
しかし、寝食を忘れてハマるという体験は、悪い事ばかりではないと思うし、他に能動的なアウトプットをする場所があれば、受動的にインプットばかりする体験があっても良いだろう。
何にせよ、短時間の使用で人生に悪い影響が出るようなものでは無いと思う。
駅でちょっと見掛けただけの親が、子供にスマホを観せていたからと言って、彼らが家でもずっとそうであるとは限らない
すぐさま『バカ親』という目で見るのは、短慮なのかも知れないと、改めて自らを戒める体験であった。

子供の『テレビ近過ぎ問題』への対応

最近、娘が夢中になっている相手がいる。
テレビ先輩である。
 
3歳になる娘とテレビ先輩の付き合いは長い。
娘に先輩を初めて紹介したのは確か、黄昏泣きに困り果てた7ヶ月の夕方であった。
 
 
空腹でもなく
オムツでもなく
ひたすらギャン泣き つづける君
部屋には二人きり
頼れる人もない
すがるような気持ちで Eテレ点けたあの日
モニターに映る サボさん見つけ
ぴたりと君は泣き止んだね
Woo..
 
 
その日から娘とテレビの付き合いが始まった。
 
私は子供の頃、座椅子に座ってテレビを観過ぎ、年齢に見合わぬ無駄な知識と引き換えに激しい腰痛を発症し、更に今では眼鏡なしには 10 cm 先も見えない程の近視である。
テレビの益も害も身を以て知っているので、娘の眼を守りたいという強い思いがある。
 
まだ娘が喋りも拙く、機動力も低い年齢のうちは、容易に二人の関係を私のコントロール下に置くことが出来た。
コンテンツも、アンパンマンEテレジブリ等、安心して子供に与えられるものに限ることが出来た。
しかし、2歳も後半になると親の制御も利き難くなり、テレビ先輩を通じて、若干好ましくないコンテンツを観るようになってきた。
 
『おもちゃの動画』である。
 
youtube の、おもちゃ紹介系のコンテンツ群の事であるが、娘は、子供をターゲットとしたyoutube のコンテンツ全般をそう呼称している。
そもそも発端は、娘が高熱を出した事にあった。
 
 
うなされ苦しむ君
眠る事も出来ない
泣き続ける姿
見守る事しか出来ない
旦那が アンパンマンたいそう
観せてあげようと言った
試しに youtube で検索したら
いっぱい出てきたよ
おもちゃの動画ばっかり
 
 
一度観せたが運の尽き。
際限なく観たがるのである。
 
娘が一番好むのは、他所の子供が遊んでいる姿をひたすら映したものである。
おもちゃは、出てくる事も出てこないこともある。
これが、私と主人にはさっぱり理解出来ない。
これらの動画が面白いと思うのならば、公園や児童館で遊ぶ他所の子を観察するのでも良いではないか。
なぜ、わざわざテレビモニターで観なくてはならないのか。
 
娘は youtube にハマってからというもの、
それまで夢中になっていた、アンパンマンEテレも、プリキュアすらも観なくなってしまった。
 
しかし私とて元テレビ&ゲーム大好きっ子である。
アニメ版ルパン三世が Jazz への興味を育み、スーパーファミコンRPG が中世美術や神話、更にはプログラミングへの興味の種となる事を知っている。
親が好ましく思えないからという理由で、子供の好きなものを制限したくはない。
極端に言えば、近視になりさえしなければ、ある程度好きに観せても良いとすら思っている。
そして何より、どうしてもテレビ先輩に子守を手伝って貰わなくてはならない時がある。
 
そう、二人目育児である。
 
いつか書こうと思っているが、弟誕生に伴う娘の赤ちゃん返りはそれはもう激しいもので、育児の大変さが一気に 10 倍になった様な勢いであった。
朝から晩まで抱っこ抱っこ抱っこ遊んで遊んで遊んでのループとなり、それは半年経った今でも緩やかに持続している。
 
そんな中でたった一人で長男の世話をし、人として最低限の家事をするにはどうしたら良いのか。
そう、テレビ先輩の お力 を借りるしかないのである。
 
テレビで youtube を観せてさえいれば、娘は静かになる。
それまで辛うじてコントロール下にあった娘とテレビ先輩との付き合いは、一気に歯止めの効かないものとなった。
家に居る間、ほぼ全ての時間をテレビ先輩と過ごし、消そうものなら
 
「おもちゃの動画ぁ〜〜〜〜!」
 
と泣き叫ぶ。
その声で息子が更なる大声で泣き叫び、全てのタスクがストップする。
 
近視になることを防ぐ為、せめてテレビから離れて観るように言い続けているが、娘は山の様なタスクを処理する私の目をかいくぐり、ふらふら〜っと、誘蛾灯に惹かれるようにテレビに吸い寄せられてゆく。
 
このままではいけない。
近視になってしまう。
 
私は、『テレビに近づくと消える装置』を探す事にした。
 
しかし、ネットでいくら探すも、無い。
かつてその様な機能を備えたテレビが販売されていたようだが、今は無いようだ。
第一、テレビ買い替えではインパクトが大きすぎる。
予算は 4 桁、それも出来れば前半としたい。
 
しかし無いものは仕方ない。
作るしかない。
 
初めに考えたのは、『電源遮断方式』である。
 
赤外線人感センサーをテレビ前面にセットし、人の接近を検知するとコンセントからテレビへの電源供給を遮断するのだ。
 
しかし。
そう、これでは、テレビの前を通るたびに録画がストップするのだ。
 
次に考えたのは『モーター巻上げ方式』である。
 
赤外線人感センサーをテレビ前面にセットし、人の接近を検知するとモーターが作動。
ワイヤーやテグスによってテレビの前にスクリーンを巻き上げ覆い隠す仕組みである。
人が離れると、モーターがオフし、重量により布が降り、再びテレビを観られるようになる。
 
スクリーンはロールアップカーテンがベストだが、不織布や軽い布などでも何でも良い。
何ならテレビ全面を覆い隠す必要も無い。
画面中央あたりに布が持ち上がれば、充分邪魔になろう。
 
というようなアイデアを、興奮気味に夫に話したところ、
 
「ラズパイでやれば?」
 
と言われた。
 
ラズパイとは、超小型コンピューターである。
夫いわく、今、これに、リモコン信号出力ユニットを組み合わせて、スマホ等から家電を操作する遊びが流行っているらしい。
 
ほほぉ〜〜、そういうのもあるのかぁ。
 
私とて元はシステム開発者であるので、ラズパイの存在は知っていたが、そのような楽しい遊び方があろうとは知らなかった。
 
成る程。
 
人感センサーも接続出来るようだし、モーター巻上げ方式よりも、スマートな仕組みに出来そうだ。
つまり、
 
1.テレビ前面の人感センサーが人の接近を検知
2.ラズパイに接続したリモコン信号出力ユニットから電源 OFF の信号を射出
3.テレビが OFF になる
4.テレビ前面の人感センサーが人の離脱を検知
5.ラズパイに接続したリモコン信号出力ユニットから電源 ON の信号を射出
6.テレビが ON になる
 
これならば、リモコンによる ON / OFF と同じことなので、録画には影響し無い。
 
早速 Amazon で材料を揃えようとする、が、ここで問題が発生する。
 
予算オーバーである。
 
ラズパイは今回の件だけではなく、これからもおもちゃとして大いに活用できるだろう。
しかし、乳幼児二人を抱え、次にそのような時間の掛かる趣味に取り組めるのは何年後であろうか。
その頃にはもっと良いモデルが発売されているのではないか。
 
そう考えると、ラズパイ方式は見送るしかなかった。
 
今回はモーター巻上げ方式を採用するとして、Amazon で材料を揃える。
ギヤとモーターのセット、電池ユニット、赤外線人感センサー等、電子工作部品はどれも安くて有難い。
今回は使用しない材料まで、つい欲しくなってしまう。
 
うっひょぉ〜!
たっのしぃ〜〜!!
 
電子工作など何年振りであろうか。
目をギラつかせながら発注する。
 
しかし。
 
結局、届いたギヤとモーターのセットを娘に荒らされ、息子のハイハイ期&何でも口に入れるペロペロ期がはじまり、久々の電子工作には手を着けられないまま、娘はテレビ先輩と程よい距離を取れるようになっていたのであった。
 
合掌。