nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

どこまで我慢強いんだよ日本女性!

大人が全員外で働いていたら毎食外食でいいんだよ!といっている私であるが、家事を否定しているわけではない。
自分自身、綺麗に整った部屋に暮らしたいし、インスタント食品よりは、手作りの食事が美味しいと言う気持ちも否定し難い。
私が否定したいのは、家事育児介護のタスク量を変えないまま、そこに昭和のサラリーマンと同等の出力を必要とする仕事までも追加して、人員を増やさずなんとかしようという考え方である。
タスクの洗い出しをせず、人月計算をせず、勢いだけでなんとかしようとしてもそのプロジェクトは炎上する。
それは、仕事が増えても人は増やさない、精神論や根性論での解決を提示する、ブラック企業のやり方そのものだ。
その思惑に気付いてか気付かずか、「自分が休んだら迷惑が掛かる」などと考えてギリギリまで頑張ってしまう、過労シ寸前の社員そのものだ。

今は子供を持つことに対する社会的圧力は弱く、子供を持つ事は趣味と同等に扱われているので、そんな状況になる覚悟がなくては子供を持てないのであれば、持たなくても良いと思う人が多くいるのも不思議では無い。
余談であるが、子持ちが(趣味で子供をもうけた癖に)税金を多くあてがわれているという指摘は誤りである。
税金をあてがわれているのは子供の親ではない。
一人の国民である子供自身である。
指摘しているであろう人も、税金をもとに教育や医療を受けたはずである。
もちろん当人が子供であった当時は児童手当などは無かったであろうが、世代間の不公平は言っても仕方ないことである。
それを言うなら、今の子供ほど将来経済的に割りを食う世代はないし、無茶な戦争に出兵させられた世代ほど不運であった世代もない。

閑話休題

以前新聞で、離婚した夫婦の子供の、親権に関する記事を読んだ。
日本も共同親権にすべき、という論旨である。
そこに描かれた夫婦は、共働きで子供を育てていたが、家事育児の分担で揉めて離婚し、妻が親権を得たが、夫も親権を持ちたい、ということであった。
子供を育てるということは大変なことで、一人では到底無理であるために現代日本では一般的に夫婦で育てるという形が採られている。
時代や地域やコミュニティーが変わると、女性側の親族が育てる妻問婚のような形態が採られることもあるようだ。
家事育児も良う分担できんと親権だけ分担したがるとかどないやねん、というツッコミはさておき。
よりよい生活や、社会との繋がりを求めて折角夫婦で頑張っていたのに、結果として一馬力で全タスクをやらねばならなくなるのは悲しい。
手段と目的が入れ替わっているように思う。
この手の離婚を、『家事分担決裂離婚』とでも呼んではどうかと思う。
名前が付けば警戒することも出来よう。
夫婦間で家事育児介護がうまく分担できなければ離婚に繋がる時代なのだという、誰かの夫や父親にも長時間労働をさせず早く家に帰してやれという、世の中へ対する警鐘にもなろう。

なによりも、この国が女性の就労率を上げようとするならば、『綺麗な部屋や整った生活を道徳的に良しとする価値観』を、放棄しなくてはならないのだと思う。
家事を外注するという方法も勿論あるが、それは、外注する人と外注される人に大きな賃金格差があって初めて成り立つことであるから、全ての世帯が利用出来るわけではないし、そういう大きな賃金格差があること自体どうよ、と思ってしまうので、抵抗を感じる。

そして、昭和の母親像を放棄するという大人の決定に、子供がどう思うか?
生活に関する近代の道徳的価値観を切り捨てて、大丈夫なのか?(たぶん大丈夫なんだろうと思うが)
一体どうすべきなのか?
その答えを求めて、色々な本を読んでいるが、よくわからずにいる。

 

 

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「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす (光文社新書)

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