nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

母親だから出来るわけじゃない。やらなくてはならないから出来なくてもやるのだ。

子育て中の皆様。
特に、家族の中でもメインで育児に従事している(と感じている)皆様。
他の家族やそれに準ずる人に育児関連のタスクをお願いした時に、
「やり方が分からない(←教えてるのに)、出来ない、怖い、やったことない、自信ない」
と言われて断られた事はお有りだろうか?

私はある。
特に実の母親から散々上記の事を言われた。
初めて子供を産んで、いざ二人っきりの母子同室となった時、赤子がオムツを汚したのだが、替え方が全く分からなかった。
妊娠中のかなりの期間をサラリーマンとして過ごしていた為、平日昼間に開催される母親学級の類には一度も参加出来なかった。
更に、出産後にそれらを産院で教えて貰えるという話だったのであるが、出産が立て込んでいたとかで、教えて貰えなかったのだ。

困り果てた私は、産院近くに住む実家の母に来て貰った。
そして、オムツの替え方を教えて欲しい、一回一緒に替えて欲しい、他にも分からない事だらけで不安だから、しばらく一緒にいて教えて欲しいとお願いした。
母は、
「知らない、出来ない、やったことない、自信ない」
を連発し、退院後もミルクや沐浴等に関して何か聞いたりお願いしたりする度に
「知らない、出来ない、やったことない、自信ない」
と繰り返し、『文句は言うけど手は出さない』スタイルを貫いた。
因みに、母は姉と私を育てた経験があり、ミルクも紙オムツも使用したことがある。
私は上記の件を非常に遺憾に思っているのであるが、それは、『育児を直接手伝ってくれなかった』故ではなく、『私を育ててくれたあの母は一体どこに行ってしまったのか?』という喪失感故である事を補記しておきたい。
尚、母が若い頃に一人で行った海外旅行先の出来事などは詳細に記憶しているので、ここ数年の間に別人と入れ替わったという事は無いように思える。

一方、夫も、沐浴、ウンチオムツ替え、部屋も親も本人も全てがグチャグチャドロドロになる離乳食食べさせ、毎回ギャン泣きとなる歯磨き等々を、怖がって、若しくは難しがって、随分と長い間敬遠していた。
特に、夜泣きや夜間授乳については、「こんなに泣いているのになんで気付かないのか」と不思議に思うほど、いつも夫は涼しい顔をして寝ていた。
時々育児エッセイや育児情報冊子で目にする、『夜中の数時間おきの授乳は大変。時々お父さんがミルクを作って代わってあげましょう』などという父親像がファンタジーの存在に思えた。
母親は出産後にホルモンが変化するから細切れ睡眠でも大丈夫なように体が変化する、だから母親は辛くない筈だ、という説もある。
しかし、私に言わせれば、『寝かさない』という古来からある拷問、それを受けても死なない程度には耐性は出来るのかも知れないが、やはり、母親だって眠たいものは眠たいのだ。
眠くて、眠くて、気が狂いそうな程に眠くて、このままずっと寝ていられたらどんなに良いかと思うけれど、でもやはり赤子が泣いているから、渾身の体力と根性と気力を振り絞って、振り絞って、振り絞って、なんとか起き上がるのである。
一晩に何回も。
その辛さに母親と父親の違いなど無いのである。

それでも私は、夫に対して家事育児に関する不満を感じていない。
何故なら私は、育児に従事する為に仕事を辞めたからだ。
私は仕事は好きだったが通勤と無意味な長時間労働が大嫌いであった為、あのエクストリーム通勤地獄を代わってくれていると考えれば、育児のメイン担当は私で全然構わないと思えるのだ。
そして二人でバリバリ働いたら、絶対私はタスクの偏りに不公平感を覚え、夫に不満を抱えるようになる。
だからあらかじめ分業制にしたとも言える。
何より、夫は第二子出産後、長い育休をとってくれ、敬遠していたほとんどのタスクをやれるようになってくれたので感謝している。

話は戻るが、
「やり方が分からない、出来ない、怖い、やったことない、自信ない」
と言って断る時、その人は目の前の人の存在をどう思っているのだろうか?
『やったことない』がやらない理由になるのであれば、人間は歩くことすら出来ない筈ではないか。
新しい仕事を覚えることも、絶対に出来ないではないか。
目の前の人(赤子の世話をいつもしている人)だって、やったことない、やり方の分からないことを、怖い怖いと思いながら、それでもやらないと赤子がシンでしまうから、勇気を出して、時には汚れるのやだなーなどと思いながら仕方なくやるのである。

だから、そんな言葉で断られるよりは、
「そのタスクは自分の担当ではないのでやらない」
とか、いっそもっと簡単に
「面倒だからやりたくない」
と言われた方がよほど潔く思えるし、納得できる。

「やり方が分からない、出来ない、怖い、やったことない、自信ない」
と言われると、
「私だって同じなんだよ!」
としか思えないのである。