nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

【お年玉】子供本人にどうにも出来ないことで子供を叱りつけるのをやめろ

私が子供の頃、親戚にお年玉を頂くと、親はとても申し訳なさそうな顔をして、


①「あらぁ〜、本当にすみません、こんなにたくさん


といいながらペコペコと頭を下げた。

そして、決まって、非常に厳しい顔と声色で自分の子供に、


②「ほら、ちゃんとお礼言ったの!?」


とたしなめた。


え、、お礼言ってるところ、目の前で見てたよね?


思うに、①は謙遜のポーズ、②は『私ちゃんと躾してます』のポーズなのだろう。


子供にとってはたまったものではない。

特に自分からお金をせびった訳でもないのに親が他者に謝る。

子供にとって、親が、自分のせいで情けない思いをしたり、誰かに謝罪をしなくてはならなくなったりすることほど辛い事はない。

自分はなんの行動のトリガーも引いていないのに、親がペコペコ謝る羽目になるとは。

更に、いくらお礼を言っても更に『お礼言ったの!?』と叱られなくてはならないとは。


このイベントには子供自身に回避策はなく、親戚の数だけ繰り返される。


「お金なんていらないから叱らないで!!

 謝らないで!!」


とどれだけ思ったことか。

そもそも、お年玉というのは、大人の為のイベントである。

滅多に会わない甥や姪に対して、喜ぶ顔が見たいという気持ちで上げる人がどれだけいるか。

親戚間、大人間の義理やメンツの為のイベントではないのか。

折角貰ったお年玉とて、貯金をしろなどと言われて殆ど使えないパターンすらある。

これは各人の経済観念と教育のポリシーによるもので、否定はしないが、果たして子供が、十年後の貯蓄とこの強制イベントとを秤に掛けて妥当であると判断出来るかどうか……

そんな中、子供は、大人と大人の間で猿回しの猿のように叱られたり頭を下げたりするのみだ。


お年玉に関わらず、私の知る限りの日本という文化圏においては、①と②のような謝罪と理不尽な叱りつけが多いように思う。

子供を褒められたら


「いえいえ、うちの子なんて全然○○……


というような。


子供を褒められたら


「ありがとうございます、本人もそう言われて喜ぶと思います」


子供に何か貰ったら


「ありがとうございます、子供も喜んでいます」


で良いではないか。

親がお礼を言う人間であれば、子供もその姿を見てお礼を言うことを覚えるものだ。

その方がよほど、全員気持ちよく過ごせるではないか。


『私ちゃんと躾してます』のポーズも厄介だ。

子供を産む事がマイノリティーとなりつつある中で、子供と親への視線の厳しさから、子供ではなく、周りの第三者を意識して敢えて不必要あるいは過剰な注意を子供にしてしまったという経験が、私も何回か、ある。

しかしこれ、子供にとっては誇りと自己肯定感をズタズタにされ、更に恥ずかしさでいっぱいになる行為であるので是非ともやめた方が良い。

私の母は、私が大人になってもまだこれをやる人であった。

だから未だに好きになれない。


日本では『他の社員がいる場所で部下を叱る』という行為がタブーではない。

ある人など、「他の社員にも見せつけるために敢えてフロア中央で叱っている」と言ってのけていた。

文字通り『恥を知らない』行為であるが、これは、前述したような子育てにより培われた感覚なのかも知れない。

人前で相手を叱るという事が相手の自尊心を打ち砕く、相手を対等な人間と思わない行為であるという感覚を養うためにも、子供を人前で叱る事は控えた方が良いかもしれない。


三者に良い格好をしたいから、我が子を無能であるかの様にこき下ろす行為。

子供の為という動機ではなく、第三者の方向を横目で見ながら不要な注意をして誇りと自尊心を傷つける行為。

『よそ様の子』ばかりを必要以上に優遇し、我が子の所有物を掠め取る行為。

これらは、自らの保身の為に我が子を差し出す行為である。


子供は、親のメンツや第三者へのポーズを取るためにすり潰してよい存在ではないので、そこのところに十分に留意して生きていきたい所存である。