nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

昭和の学校は藪の中

小学校の時の担任の先生。
二言目にはすぐ、

「(前の赴任先であった)◯◯小学校の子達はもっとずっと優秀だったぞ」

と児童たちに言っていた。
言われるたび、非常に嫌な思いをした。

「どうせ俺らは出来損ないだよ」みたいな空気がクラスに流れるのが嫌だった。

今思い出してもそれほど不出来な子供の集まったクラスではなかったと思うが、なぜ彼はそんなことを繰り返し言ったのであろうか。
そして何かあるとすぐ、クラス全員、『足首を交差させて』机の上に正座させ、長々と説教していた。
足首を交差させるのはおそらく、より多くの苦痛を与えるため。
さて、彼にとって、机は座るものだったのだろうか。


3年生の時の学年主任。
問題児の耳を持って引っ張り上げ、そのまま勢いをつけて廊下に放り出していた。
その年代の男児の平均体重は30キログラム。
30キロの重りを勢いつけて耳にぶら下げて振り回したのと同じ。
耳取れたんちゃうか。

80年代、田園風景の広がる田舎の日常と非日常の風景。

子供の頃の私は、理不尽であることとそうでないこと、守られるべき権利と我慢すべきワガママを区別する判断力を持たず、それ故に、誰かに訴えるという発想を持たなかった。
学校で起きる理不尽なことを、私は親には話さなかった。
話すという発想すら無かった。

若者の間で昭和ブームがきているというけれど、マジか、、、と思う。