nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

買わなさすぎるのも問題だ

20代の頃、私は服を買うのが大好きであった。
暇さえあれば街に出て、一日中、さまざまな服屋をまわって、試着しては買っていた。
ほんの少しシルエットが気に入らないからと、自分でミシンで調整して着たりもしていた。
夜な夜な、部屋の床に新聞紙を敷き、靴はどれを合わせようか、バッグはどれを合わせようかと鏡の前で一人ファッションショーを繰り広げていた。
当時は、服を買うのが嫌いな人なんているわけがないくらいに考えていた。
しかし、30代を経て、出産、育児に区切りをつけた今、まったく服が欲しくなくなっていることに気づく。

まず、今のcomfortableなトレンドがいまいち理解できない。
世界全体で、上昇モードが終わってサスティナブルで質実剛健な価値観が重んじられていることは理解できるし賛同もするのだが、ファッションって気分上げるためにあるんじゃないの? という固定観念が自分の中にあり、だからと言ってキメ過ぎたファッションはもはや時代に合わない。

次に、専業主婦時代の節約モードが抜け切らない。
子供やレジャーに出費することに対する抵抗はほぼ抜けたが、自分にお金を掛けたくないモードが抜けきらない。
将来を考えて敢えてそうしているということはなく、癖で、自動的にそうなってしまっている。
たまに会社に行くたびに、「会社に着ていく服がない!」と嘆き、夫に「……買えば?」と呆れられる。

再就職をした時に揃えればよかったのだが、試用期間が終わるまでは油断できない、などと買わず、試用期間が終われば終わったで、いやいや自分はまだまだヒヨッコだ、いつレイオフされるか分からない、などと買わず、今に至っている。
今日、レイオフされるかも知れない、葉隠の心意気である。

あら、葉隠には、明日をも知れない身だからこそ身なりを整えろと書いてあったでござるか。

しかし何を着て良いかわからない。
昔買った服は、それなりにしっかりした質で普遍的なデザインのものも多いからまだ着られるものも多いが、さすがに年齢や体型に合わなくなったりして躊躇われる。
たまに昔よく通った街に行って色々な服屋で試着をしても、昔のような「似合う! 絶対欲しい!」という衝動が湧かない。
そう、歳をとったのだ。
しかたなく、自分の年齢にマッチすると思われる近所のモールに出かけて、渋々ながらcomfortableなデザインの服を買ってみる。
しかし、自分が若かった頃に比べて主要価格帯が低すぎることに驚き、また、たったワンシーズンでへろへろに劣化してしまう質の悪さにも同時に驚くこととなる。
本当に、ここ数十年で、人々はファッションにお金を掛けなくなったのだ。

毎日オフィスに行くのであれば、本気で良い服をたくさん揃えるのであるが、基本的に私は一日中フリースを着ている全身ユニクロのテレワーク民(終始カメラOFF)であるから、モチベーションが湧かない。
ほとんど外出しないのに買うのは勿体無いと思ってしまう。
とはいえ、たまに用事で会社のオフィスに行くこともある。
そんな時、同僚のウルトラハイクラスな女性達は皆、キラキラして時代にあった上質なファッションを身につけているので、近所のモールで買いへろへろになった服を着ている自分がひどく浮いているような気分になる。
そう、近所のモールのユーザーターゲットおよび利用シーンは、オフィスで働くサラリーウーマンを想定してはいないのだ。
いやいや、本国のIT長者たちは軒並みラフな格好をしているからそれを見習っているんだよと心の中で強がるが、別に私は長者というほどでもないし。
アメリカでは女性技術者がおしゃれをしていると、仕事が出来ないと見做されるというような記事を読んだこともあるが、少なくとも現段階の日本ではあきらかに、ちゃんとした身なりをしていたほうが対人面で仕事がうまく行くと思うし。

結局、今の自分のジョブと、出没箇所のTPOに対して恥ずかしくないくらいの装備を身につけるためには、専業主婦時代の節約モードを解除して、覚悟を決めて装備を揃えなくてはならないのだという結論にいたる。
幸い、オフィスの近くの街には、自分の年齢にもジョブにもしっくりくる装備がまあまああった。
そりゃそうだ、近所のモールには、近所で活動する冒険者向けの装備が置いてあり、オフィス街の近くの服屋には、オフィス街で戦う冒険者向けの装備が置いてあるのである。
最初からこうしておけばよかったのだ。
アリアハンで買ったぬののふくを着てゾーマ城に挑んでいた私が間違っておったのだ。