nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

【後編】バリキャリ女性は何故辞める?

中野円佳氏の著書、『「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか?』の感想などを私見を交えて語る記事の続き。

 

niceslice.hatenablog.com

 
女性は、高校くらいまでは、男女は平等であると教育され、実際平等に評価されるのであるが、例えば大学のサークル活動、就職活動、就労の過程などで、『実はそんなの嘘っぱちだ』ということに気づく機会がある。
就職活動では女性ばかりが結婚出産の予定を聞かれたりする(18~24歳の段階で分かるかそんなもん)。
出産育児をしようとすれば、昭和の父親的な働き方を維持するのはどう頑張っても物理的に不可能である事に気づく。
管理職の三割を女性にせよという号令はあれど、その三割に該当し得るのは、昭和の父親的働き方が可能な『名誉男性』だけであり、名誉男性になるには、出産育児を諦めるか、祖父母に育児を丸投げするか、超人(スーパーウーマン)になるかしかない。
他の七割の男性管理職にもケアワークを担わせよう、という風には決してならない。
男性管理職諸兄とて、仕事に100%のリソースを割り振るよう求められているからである。
名誉男性的な生き方をする女性が管理職をやっていたとして、「私もああなりたい!」と思う女性がどれだけいるだろうか。
何故、今の若い女性が管理職になりたがらないのかと首を傾げる企業も多いと聞くが、何故分からないのかが分からない。

さて、この本曰く、出産の前後に会社を辞めるのは意外にも、人生の遅い段階まで、男女平等が嘘っぱちであることに気づく機会の無かった女性が多いのだそうだ。
私もその一人である。
そういう女性たちは、自分が女性である事に何の不都合も感じず、平等に評価される中で名誉男性的な進学、就職をする。
そして、いざ出産育児を迎えて、気づくのである。
名誉男性として昭和の父親的働き方のルートを進んでいる限り、出産育児は不可能である、と。
人間一人の時間的体力的リソースには限りがあるのだから、そのリソースを100%仕事に割り振る事を期待される限り、両立は絶対不可能なのである。
反対に、男女平等が嘘っぱちであることに、人生のより早い段階で気づいた女性は、意外にも仕事と出産育児を両立できている。
彼女たちはケアワークが女性に偏る現実に気づき、早いうちから両立可能な職種及びルートを選択するからだそうだ。
これは、私の以下の過去記事にも関係する。

 

niceslice.hatenablog.com

 
男女が平等であるという教育を信じ、優秀な成績で男性と比肩して人生のルートを進んでしまうと、何故か、そうでないルートを進んだ場合よりもしんどいのである。

さて、私の近しい知人に、Bさんという女性がいる。
Bさんは有名企業で働く技術者である。
非常に頭の良い人であるが、たびたび、雛人形の事で父親と揉めている。
Bさんは子供の頃、いくら泣いてねだっても、雛人形を買ってもらえなかったと言う。
特に貧困だったわけではない。
日本全体が豊かな時代だったこともあり、Bさんの父親はBさんに、国内外の旅行にも頻繁に行かせ、習い事もさせ、私立高校、私立大学も奨学金無しで行かせ、歯科矯正もさせている。
成人式の振袖については不明だ。
バイト代で賄ったのかも知れないし、親に出して貰えたのかも知れない。
Bさんの妹は、はなから親が振袖などに価値を見い出してくれる訳がないと諦め、バイト代で安いドレスを買って成人式に参加したと聞く。

ともかく、雛人形のことは、Bさんにとってそれらを凌駕するほどの喪失感の源だったようだ。
結婚後、ある出来事を機に父親にその事をぶちまけ、大揉めした挙句父親に雛人形を買って貰っていた。
40代に差し掛かってからのことである。
更にその数年後、『海外旅行に行ったことをどう思うか』という父親の質問に対して、『それよりも雛人形が欲しかった』と答えている。
私は今まで、Bさんがそこまで雛人形にこだわる事を不思議に思っていた。
不思議ポイントは以下の通りだ。

まず、何故、急に言いだしたのか、である。
10代後半から30代後半に掛けては、雛人形への執着は形をひそめていたのだ。
確かに、きっかけとなる出来事はあった。
しかし、Bさんの反応は明らかにその出来事を飛び越えたレベルであった。

次に、何故、父親に買って貰ったのか、である。
Bさんは世間的に見て十分な収入があると思われる。
そして、結婚して既に家を出た身である。
いくらでも自分で好きな雛人形を買える筈なのである。
そしてその方が、父親と大揉めするより恐らく楽なのだ。

最後に、買って貰った後で何故更に、父親に、雛人形を買ってもらえなかった事を言うのか、である。
もう買って貰ったから良いではないか、と思ってしまう。

しかし、Bさんにとって、雛人形とは物体としての人形ではなく、『伝統的な女性らしさや、伝統的な女性としての幸せを、親が子に託すという事』のメタファーであると仮定した途端、一連の謎が一気に理解できた気がした。
これから述べることは、理解できない事象に対してストーリーを付与して理解を試みたものであり、その意味では妖怪の発生過程に近い。
つまり、真実ではない可能性がある。
全くの的外れである可能性もある。
ご了承いただきたい。

Bさんは、私と同様、名誉男性的な生き方が推奨された時代を生きてきた。
そして、DINKSである。
あらゆるメディアは、『早くに子供を産むのは馬鹿』というメッセージを流し、バリキャリやDINKSこそが新しい時代の自立した女性像であると喧伝してきた。
親もそのように娘を育ててきた。
母親が専業主婦であっても、「あなただけは手に職を付けて」と言い、決して「結婚して子供を産んで」とは言わない時代である。

そして梯子は外された。
2010年代、世間のメッセージは一変し、やれ卵子の老化だの、働くママは輝いてるだのと一斉に言い始めた。
そして結局、親も世間も、「とは言え結婚出産は当然するんでしょう?」と言うのである。
しかし、急旋回するにも年齢的な限度というものがある。
Bさんは自分の選択に自信を持っているだろうし、迷いも無いであろう。
しかし親や世間にとっては、DINKSという生き方はスティグマである。
結婚しないこと、子供を持たないこと、離婚したこと、乳児を預けて働くということ、会社を辞めること、良い会社に就職しなかったこと、非正規で働くこと、専業主婦でいること、兼業主婦でいること、それら全ては、世間から見ればスティグマである。
誰からも非難されない生き方は不可能である。
女性の人生における選択肢の多さは、同時に、どれを選んでも選ばなかったものを指差して非難されるダブルバインドの連続でもある。

Bさんの怒りの対象はもはや、雛人形を買って貰えなかった事そのものではなく、伝統的な女性像を否定して育てられ(Bさん自身は雛人形を強く欲していた)、その期待に応えて名誉男性的な生き方を選択したにも関わらず、当の親からその事をスティグマとして扱われるという矛盾に対しての物なのではないだろうか。
こう仮定すると、20代の頃はその怒りは噴出せず、結婚後噴出したことも、自分で買わず父親に買わせたことも、それによっても尚満たされなかったことも、全てが理解できる。
雛人形は、象徴であり、仮託であり、メタファーに過ぎないのだ。
Bさんと父親が真に雛人形の呪いから解放される為には、Bさんの親が完全にBさんの生き方を認め、またそれが自分の、伝統的な女性像を否定するという育児方針の帰結であると認める事が必要なのであろう。

私は、Bさんの人生の選択はBさんにとって正解だと思うし、女性たちが家父長制から脱出する為には一時的な名誉男性化は避けられなかったのかも知れないと思うし、娘を家父長制の犠牲にさせまいというBさん父の方針が大きく間違っていたとも思わない。
この世から、経済的要請や社会的要請によって喧伝される生き方の流行というものや、そこから外れた生き方に対する非難というものが無くなるように願う。

最後に、本記事掲載にあたりこころよく許可を下さったBさんへ謝意を表する。

 

niceslice.hatenablog.com

 

「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか? (光文社新書)

「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか? (光文社新書)