nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

とうとうピアノを……

知らぬ間に足の甲をどこかに強打したらしく、5cm四方の正方形の範囲が、紺、ピンク、紫、緑といったギャラクシーデザインになってしまった。
ゆめかわいい!


そんな中、CASIOのキーボード、LK-511を購入してみた。

 

CASIO 61鍵盤 電子キーボード 光ナビゲーション LK-511

CASIO 61鍵盤 電子キーボード 光ナビゲーション LK-511

 

 
こんな過去記事

niceslice.hatenablog.com

を書いている私が、再びピアノ(キーボードだが)を弾く日が来ることになろうとは思わなかった。
ではなぜ買ったかと言うと、一つ目には、娘がもうずっとピアノをやってみたいと言い続けている事がある。
幼稚園の先生の弾く様などをみて憧れを持ったようだが、私は、子供にピアノを習わせる事に不安がある。
ピアノは、他の習い事と比べ、家庭での練習を特に必要とするからだ。
子供が習いたいと自分で言っても、苦難と忍耐を乗り越えて自分だけの気力でやり遂げるのは難しいと思う。
私が毎日のように、

「ピアノの練習しなさい!
 いつまで遊んでるの!
 明後日レッスンでしょう!」

などと言い続けなくてはならなくなる事は目に見えている。

それが嫌だ。

私はピアノ自体好きではないのに、なぜ、そんなことの為に大好きな娘と言い合いをしなくてはならないのだ。
嫌われるリスクは、もっと、『絶対に身に付けさなくてはならない事』の為に取りたい。

第一、私自身が必要性を感じていないことを「やれ」と命令してたところで、何の説得力も無いではないか。

かといって、私の偏った考えの為に、娘のやりたがっていることを制限するのはよくない。
というわけで、いずれは習わせるにしても、まずは機材を買い、自分で再度やってみる事にした。
『苦難と忍耐は、まずは自分が』、である。


二つ目には、私が、NHKの番組『駅ピアノ』『空港ピアノ』を観たからである(単純……)。

 

空港ピアノ・駅ピアノ - NHK


この番組は、海外の大きな駅や空港に設置された、『誰でも弾いて良いピアノ』を、通りすがりの一般人が弾く様をひたすら映す番組である。
クラシック、Jazz、映画主題歌など、様々な曲が演奏される。
簡単なインタビューや字幕にて、各人のピアノへの想いや現在の生活状況が説明される事もある。
母が実家のアップライトピアノを弾くのを聴く限りにおいては、自分はピアノの音自体が大嫌いだと思っていたのだが、この番組は結構好きであった。
この番組を観ると、ピアノを習い始めるのが遅い人が多い事に驚く。
ハイティーン以降や、大人になってから始めた、という人が結構いるのだ。
そして、そういう人もなかなか上手い。
やはり、自分の中で『こうなりたい』という思いがあると、上達するものだなと思う。
私が子供の頃は、それが無かったのだ。

私は、前述した過去記事に書いたような理由からクラシック音楽とピアノの組み合わせは嫌いであるが、ピアノジャズは大好きだ。
多分、大野雄二氏(アニメ『新ルパン三世』以降のルパン三世シリーズの音楽を担当)の影響だと思う。
また、Bill Evans も大好きだ。
そういうジャズミュージックを弾けるようになったら、楽しいだろうなと思う。
一曲くらい、好きなジャズナンバーをピアノで弾けるようになれれば、あの駅ピアノに出ている人たちのように人前で弾く事もできるのかもしれない。
そう思った。

三つ目には、このキーボードを使用すると、音ゲーのようなプレイが出来るらしいからだ。
以下のブログを読んで、元々音ゲーは好きであったので、自分でも楽しめるかな、と思ったのだ。

curo.jp


上記のブログの方は、LK-228という機種を使用されているが、最新のLK-511では、Synthesia の他に、CASIO製の音ゲーアプリ『ソングバンクプラス』と連携する事も出来る。
ただし、ソングバンクプラスは現在ジャズのレパートリーが少なく、更にジャズとディズニー系など一部の曲では、肝心の音ゲー的部分(音符が流れ落ちてくる)が、権利の関係上表示されないので、ジャズ好きにはやや、しょんぼりである。

ソングバンクプラス 追加曲リスト

https://web.casio.com/app/ja/songbankplus/file/songlist_01.pdf


しかし、キーボードが光る機能や伴奏機能、反復レッスンをする機能はジャズであっても利用できるので、そういう部分は楽しめる。

ただ、弾いてみて気付いたのだが、やはり、楽譜が欲しくなる。
鍵盤が光るというのは、確かに自分のように譜読みが苦手な人間にとっては大変便利なのだが、それだけでは、どうにも流れが掴みづらいというか、憶えられない。
だから楽譜も欲しくなるのだが、ソングバンクプラスでは楽譜はダウンロードできないのだ。
どうやら自分にとっては、

・楽譜

と、それと対応し譜読みを助ける

・光るキーボード(ひいては、Synthesia に読み込ませる為の MIDIファイル)

の二つがあるのが良いらしい。

しかし、楽譜と全く対応するMIDIファイルを用意するのが大層大変なのだ。
上記のブログの方は、Kawai の『スコアメーカー』というソフトを使用して楽譜をMIDI化されているので、真似してやってみたのだが、まずこのスコアメーカーが、下手するとキーボード本体よりも高価なのだ。
しかも、体験版を使用して2曲ばかりMIDI化してみたが、どちらもあまり正確にできず、調子外れ、音外れなMIDIファイルになってしまった。
おそらく色々修正や調整をすれば良いのだろうが、そんな時間は勿体ない。
挙げ句の果てには2ファイルとも Synthesia が認識せず、要因を探るのも面倒で、断念してしまった。

結局自分は、楽譜販売サイトから購入した、難しいが格好良いアレンジの『Fly me to the Moon』を練習し、難しすぎて飽きた時に、ソングバンクプラスで購入した伴奏付き且つ光るキーボード機能対応且つやや簡単な『Fly me to the Moon』を弾いて息抜きする、という方法でピアノライフを送っている。

娘はといえば、私作のキュアセレーネの衣装一式を身に付け、ノリノリで LK-511 に内蔵されたプリキュアのテーマソングを弾く真似をして楽しんでいる。
その間は私は、

「お母さんはキュアマシェリね!
 弟くんはハグたん!
 今日はプリキュアたちの演奏会よ!」

などと言われ、ツインラブギターで弾く真似をする係に甘んじているのである。
アラフォーなのに、である。

 

HUG(はぐ)っと!プリキュア ツインラブギター

HUG(はぐ)っと!プリキュア ツインラブギター

 

 

 

LUPIN THE THIRD 「JAZZ」?the 2nd?

LUPIN THE THIRD 「JAZZ」?the 2nd?

 

 

 

ワルツ・フォー・デビイ

ワルツ・フォー・デビイ

 

 

 

スマホで平仮名を覚えた話

数ヶ月前から、年少の娘に平仮名を教えている。
元々、特に子供に早く平仮名を覚えて欲しいという気持ちは無く、年中や年長になってから幼稚園で教えて貰えばいいや、くらいに考えていた。
その為、のびのび系だけれども読み書きの教育はしっかりやります、という幼稚園を選んでいた。

しかし、同級生の園児の書いた手紙を貰ったりするうち、
「あれ、3〜4歳でみんな読み書きするの?」
と気付き、同時に、一人で絵本が読めれば娘自身も面白いだろうと思い、なんとなく平仮名くらい今のうちに教えておくか、という考えに至った。
使用した教材は概ね以下のようなものである。

・あいうえお積み木

ミッフィー ブルーナ 文字あそび DB2210

ミッフィー ブルーナ 文字あそび DB2210

 

 
・学研のディズニープリンセスのあいうえお絵本

ディズニープリンセス あいうえお

ディズニープリンセス あいうえお

 

 
・マグネットペンで描くお絵かきボード

パイロット 磁気メモボード ジッキースーパーライト JB-05-SG ソフトグリーン
 

 
・なぞり書きするタイプの各種ワークブック
ライトボックス(なぞり書き練習の為)
・めばえの学習用 DVD
・文字の描かれたボタンを押すと「あ」「い」などと発音するおもちゃ

上記で、まあまあ効果があったかな、というのは、あいうえお絵本とお絵かきボードであった。
あいうえお絵本で文字の紹介をした後、私がお絵かきボードに娘の好きそうな単語を書き、読みながら教えたり、クイズ形式で当てさせたりした。
これで、50音の半分くらいは読めるようになったが、娘が飽きてグズったり、私が『文字を見て発音を当てるのと、文字および単語の連なりとしての文章を読めるようになるのとの間には、発達上、割と大きなステップの差がある。前者だけ急いでも仕方ない』という事に思い至ったりして、しばらく中断していた。


しかしある日、そういえば私、昔システム屋だったじゃん、それどころかユーザーインターフェースのコンサルとかやってたじゃん、なんでこういう時にスマホ先輩に頼らないんだと思い到り、早速、それらしいアプリをいくつか試してみた。
良いものがなければ自分で作ろうと思っていたが、幸い、とても素晴らしいアプリが見つかった。

レインボーミミズ『ひらがな』

https://www.rainbowmimizu.com/fun_hiragana_jp/

 
これは以下の点が素晴らしい。

・なぞり書きをしながら読み上げ音声が流れるので、読み/書きが同時に学習できる。
・アニメーションを駆使して書き順を表現している。
・動物など、モチーフが可愛く、子供が興味を持ちやすい。
・とにかく事あるごとに褒めて褒めて褒め上げてくれる。

鉛筆の持ち方にも慣れさせたかったので、タッチペンを購入し、スマホとともに娘に貸し与えてみたところ、楽しんで自分でやっていた。
かといってハマり過ぎて何時間も連続してやるわけではなく、10分ほどやっては飽きてやめ、しばらくしてまたやる、という具合であった。
程良い詰まらなさも備えた良いアプリと言えよう。
そうしてしばらくすると、娘は街中の看板やら、絵本やら、菓子の箱やらのひらがな部分を普通に読めるようになっていた。
それどころか、たどたどしい文字で私に手紙を書いて渡してくれるようになった。

「だいすきだよおかあん(原文ママ)」

と!!
かわいい!!!

あんなに色々教材を買ったのはなんだったのだろうか。
グズる娘に躍起になって教えようとしたのはなんだったのだろうか。
アプリを一つ買えばよかったのだ。

スマホを子供に触らせる事に懸念を持つ人は多いと思う。
ジョブズ氏も自分の子供にはスマホを持たせない主義であったと聞いたこともある。
しかし、私は、スマホはただの道具だと思う。

文字を学習する上で、タッチパネルは素晴らしいデバイスである。
動的なアニメーションで書き順を表現できるし、すぐさま、ユーザーによる反復練習とその評価を行う事が出来る。

石板、粘土板、パピルス、羊皮紙、紙、と入出力の手段が進化してきて、今、タッチパネルなのだ。
道具の表現力が上がるほど、ユーザーインターフェースも向上する余地が生まれる。
実際に向上するかはコンテンツのデザイン次第だが。
必ずしも、古いもの、古い学習方法ほど優れているということはない。
ある目的を達するために、より多くの苦労が伴う方がその人の為になる、という事も無いと思う。
今回の私の目的が、『幼い頃から学習する習慣を付けさせたい』ではなく、『とりあえず平仮名を読めるようにさせたい』であった為、スマホアプリの利用は最適であった。

 

 

 

そろそろ、『家事の放棄』を許容しないか?

某サイトで、とある女性の話を読んだ。
簡単に述べると、彼女は共働きで子供を育てており、全ての家事を放棄して、以下のようなライフスタイルを続けていたところ、夫に離婚を切り出されたという。

・平日、仕事が終わったら、子供を迎えに行き、公園に連れて行く。
・夕食は、外食か惣菜。
・朝食は夫が作る。
・その他の家事は週末に夫がやる(家事代行の利用を夫が嫌がる為)。

一方の話しか読めないため、どちらが良くてどちらが悪いかなどは分らないし、私はそれを判断する立場にないが、国を挙げて女性の就業率を上げようとするのであれば、上記のようなライフスタイルを、家族や周囲が受け入れなくてはならないと思う。

上記のようなライフスタイル(料理を含めた家事のタスクを最小限に抑える)は、女性就業率の高い多くの国では一般的な事である。
日本はかつて、専業主婦に支えられた男性が、100%のリソースで外で働く、というスタイルで成長してきた。
未だに、個人のリソースを100%振り分けられる前提で就業スタイルが成り立っており、周囲も、サラリーマンとして働く以上は仕事が何よりも優先されるべきであると期待している。
そして、家庭内に於いては、これまた100%リソースを家事育児に振り分けられる前提として、昭和並の家事育児が期待されている。
誰が期待しているのか?
夫もそうだろうし、周囲の外野もそうであろう。
でも何よりも、妻本人が、昭和の主婦のようで在ろうと自分に期待、いや、自分を束縛しすぎているのではないか。

こんな記事もある。

時短料理「手抜きでは」 家族7人分、毎日手作りする女性の胸の内

withnews.jp



子どもへはなぜ「愛情弁当」? 共働き増えても、愛情論が再生産

withnews.jp



昭和のサラリーマンのように働きながら、昭和の主婦のように家事をしなくてはと、時短料理に罪悪感を抱いているようでは、本当に自ら潰れてしまうと思う。
お弁当も、もっと簡単で良いと思う。

1990年代、一部のスーパーウーマン達が男性の労働市場に進出。
家事育児仕事を全て担い始める

2000年代、景気悪化から、結婚出産しても働き続けるスタイルが普及。
多くの普通の女性が、両立を試みる。

2010年代、スーパーウーマン以外には全ての両立は不可能だと判明。
男性にも家事育児を行うよう圧力が掛かるように。

さて。
全体のタスク量を変えないまま男性を家事育児というステージに引っ張り込んでやらせてみても、やっぱりそうそうどこの家庭でも『平等に』上手くいくってことは、あまり無かったのかなぁ、と思う。
全世界を見回しても、家事労働を含め全てが男女平等に、というのは、理想ではあるけれどもなかなか難しいようであるし(ソース無くてすみません)。
何より私自身、ホルモンの変動や、筋肉量や、おっぱいが出るか否かなど、男女間でどうしても差異があり、それに従った作業の向き不向きというのはあるだろうと思っている。

だから、2020年代は、家事育児をふくめた全体のタスク量をいかに減らすか、というのが大きなテーマになると思う。

以前、確か『沸騰ジパング』というテレビ番組で、シンガポールの家族の一日を取材するというような特集を観た。
その時、三食全てを外食で済ませるという一家に対して、インタビュアーが理由を問うていた。
それに対して一家は、当たり前のように平然と、

「だってうちは皆働いているから」

と答えていた。
そうだよ、大人が全員外で働いていたら、外食になるのは当たり前なんだよ!
と、当時目から鱗が落ちた思いであった。

ただでさえ就業時間が長いと言われる日本で、女性の就業率を上げようというのならば、家事育児介護負担軽減へ向けた官民挙げての意識改革への取り組みが必要だ。
現在、女性誌やCMでは

『働く母はステキ!』

『働くママは輝いてる!』

とコピーを打ってる。
それと同じように、

『もう決めた?

 職場復帰直前対策!

 家事外注先徹底レビュー!』

や、

『平日の子連れプチディナーでインスタクイーンを狙え!』

など、イメージ操作を積極的に行っていって欲しい。
ちなみに私は、家事も育児も介護も『働く』という言葉に含まれるべきだと思っているのであるが。

家でなるべく料理をしないというのは、CO2削減の面からも良いのではないだろうか。
100軒の家で一斉に天ぷらを作るより、1軒のスーパーでまとめて作った方が、いろいろな無駄が省ける気がする。
実際にどうであるかは知らないが、

「今、夕飯を惣菜で済まそうとしている私は、CO2削減に貢献しているのよ!」

と思えば、日本の意識高い女性達の罪悪感も少しは軽減されようというものだ。

「そんなことでは日本の食文化、食育は破綻してしまう!」

と思う人が多いようであれば、そもそも我が国で女性の就業率UPを目指すのは早すぎた、という事だ。

私は裁縫の類が大好きで、喜ばれるのであれば人の為にリソースを提供する事に吝かではないが、そうでない人は裁縫などというコスパの悪い作業を無理にやらなくて良いと思う。
私はいつか来る PTA への参加が恐ろしくて仕方ないが、そういう事が好きな人が存在することは知っている。
皆の時間的リソースが限られている中、皆が自分に合った方法で、家族と周囲に貢献し、それが愛情として認められる社会であって欲しいと思う。

 

 

ピアノと習い事

嫌な夢を見た。
ピアノを弾く夢だ。

私は幼い頃、ピアノを習っていた。
ピアノに興味はなかった。
憧れもなかった。
才能もなく、楽しいと思って弾いたことはなかった。
ピアノは母の趣味だった。
母はクラシック音楽が大好きで、ピアノが大好きだ。

もしかしたら、母に「ピアノを習いたい?」と聞かれ、「うん」などと返事をしたのかも知れない。
だが小さい子がその言葉を、どれだけ重く受け止め、未来を見通し、条件を比較し、熟考して返事を出来ていたのかは分からない。

とにかく私はピアノを習い、ピアノ教師に毎回叩かれ、毎回自信やプライドを粉々にされ、毎回泣いて過ごした。
3年間か4年間程習っただろうか。
その間、一度ピアノ教師が変わったが、新しいピアノ教師もそんな感じだったので、私は未だにピアノ教師というものは子供や生徒を泣かせ叩く存在だと思っている(そうではないピアノ教師の方がもしいたらすみません)。
私がピアノを大嫌いで、余り練習せずに通っていた為だと思うが、教師もやっていられなかったと思う。

そんなある日、ピアノ教師が私に聞いてきた。

「今度、ピアノの発表会があるけれど、出る?」

そう聞かれても、小学校低学年の自分には判断出来ないと感じた。
理由は以下の通りである。

  • 前年のピアノ発表会には出ていたが、そもそも生徒側に決定権があると思っていなかったのでいきなり聞かれても戸惑う。
  • そもそも自分の意思で通っているわけではない(と感じている)ため、自分に決定権があると思っていない。
  • 参加する為にお金がいくら掛かるのか分からないので、自分だけでは判断出来ない。
  • 発表会の会場まで恐らく自分一人で行けないので、親の都合も確認せねばならない。


そこで、母に相談します、と言って帰ったわけだが、それを報告した母の反応はこうだった。

「それくらい自分で決めなさい!」

私は面喰らった。
自分の意思でやっているわけではないことなのに、どうしたいか決められるわけがないではないか。
何故母は、上記のような事情が絡むことを、低学年の子供が一人で、しかも即座に決める事が出来ると思ったのだろう。
全く分からなかった。
でも今は予想できる。
きっと母は私にこう言って欲しかったのだ。

「お母さん、今度ピアノの発表会があるんだって!
 私、頑張る!
 だから出させて!」

そして今は、自分がなんと言えば良かったのか分かる。

「お母さん、私、もうピアノやめたい!」

そして発表会当日、電車を乗り継いで小一時間掛かる会場に母は私を連れて行った。
電車から降り、なぜか怒りながらこう言った。

「全くもう、お母さんがあなたくらいの頃は、自分で電車を調べて一人でこれくらい出掛けていたわよ!」

この発言については今でも意味が分からない。
何故、好きでやっている事ではないのに、低学年の子供が、自ら進んで、電車を調べて小一時間の距離を一人で移動出来ると思ったのだろう。
もしかしたら、母は私にこう言って欲しかったのかも知れない。

「お母さん、発表会楽しみだなぁ!
 楽しみすぎて私、自分で電車調べちゃった!
 次はこの電車だよ。
 早く早くぅ!」

そして今は、自分がなんと言えば良かったのか分かる。

「お母さん、私、もうピアノやめたい!」

実際私は、何度かやめたいと言っていたと思うのだ。
しかし、大人になると忘れてしまうのだが、子供というのは運命に対してとても受動的なのだ。
何か理不尽な事が起こっても、それを自分で変えることが出来るだとか、それに対して怒っても良いのだという考えは、そもそも発想として湧かないのだ。
私は、習い事というのは自分で選べるものでは無いと半ば思っていた。
そして、習い事というのは苦しいもので、楽しさや興味の追求の為に行うものでは無いと認識していた。

私は一度、母にバイオリンを習いたいと言った事があった。
小学校の音楽の時間にバイオリンを持ってきた子がいて、少しだけ弾かせてもらったのだ。
その時の音がとても心地よく、好きで、もっと弾いてみたいと思ったのだ。
母はこう言った。

「バイオリンなんて、最初は全然音が出ないのよ。
 半年間音が出ないのよ。
 半年間も音が出ないのに、頑張れるの?」

私は、音を出したのに。
あの音をもっと聞きたいのに。

私はバイオリンを習う事を諦めた。
母がどんなデータを根拠にそう言ったのかは分らない。
バイオリンは大層お金が掛かると聞くから、それを心配したのかも知れない。
近くに教室が無いのではないかと思ったのかも知れない(実際は有った)。
そういう理由であれば、そう言ってくれれば、子供としても納得出来るのだ。
しかし、何も調べず、即座に上記の回答を出したところを見るに、単に母の好みに合わなかったのだろう。
母は本当にピアノが好きなのだ。

大きくなり、私が働くようになってから、母はしばしばこう言うようになった。

「あなたもあなたの姉も、全然ピアノを弾かないから、仕方なしに私が時々弾いているのよ」

私は当時、大人になってさえ、ピアノを嫌いな、ピアノを弾かない自分が悪いと思っていた。
自分のことを、自分からやりたいと言って習わせて貰っていたのに、すぐに飽きてしまった怠惰な人間であるかのように誤認していた。
そこで、罪悪感を感じながらただ黙っていた。
若しくは、「時々一人で弾いているよ」などと答えていた。
しかし今は、自分がなんと言えば良かったのか分かる。

「お母さん、私、ピアノなんて大っ嫌い!
 小さい頃からずっとずっと大っ嫌い!
 いますぐそのピアノ、斧で滅茶苦茶にぶっ壊したい!!

そう、ピアノを嫌いな人間は、ピアノを弾かなくてもいいのだ!!!
ピアノを弾かないという事に、罪悪感を抱く必要などないのだ!!!
私はその事に、子供を産むまで気がつかなかった。

さて、私は結婚して家を出て、里帰り出産をした。
その頃母は、毎日のようにピアノを弾いていた。

私はピアノの音が嫌いだ。
辛いレッスンを思い出すからだ。
更に、家のピアノは一度も調律したことがない。
更に、母の選曲は私が嫌いなものばかりだ。
母がピアノを弾きだすと私は物凄く辛くなるのだが、それが、調律が狂っているせいなのか、人から指導を一度も受けたことのない母の、叩きつけるような自己流の弾き方のせいなのか、選曲のせいなのか、その全てのせいなのかは分らない。
とにかく我慢できないくらい辛いので、母がピアノを弾きだすと私は臨月のお腹を抱えて、暑い車の中に逃げたりしていた。
それでも音は追いかけてきた。
子供が産まれてからは、乳児が寝ている隣でピアノを弾きだすなど、本当に毎日嫌であったが、居候の身なので我慢していた。

私は、母にこう言いたいのだ。

母がピアノを習えばいい。
ピアノを好きなのは母なのに、なぜ、自分で習わずに、子供にばかり習わせるのだ。
ピアノを習うことはとても辛いことなのだから、そんなに好きならば人にやらせずに母が習えば良いではないか。

育児に一度も失敗しない人間はいないと思うが、皆、こういった思いをどう処理しているのだろう。
世界標準から見たら贅沢な不満であると、良い事だけを思い出し、親に感謝して過ごしているのだろうか。
喜寿を迎えた母にこの思いをぶつけるのは、幼い浅はかな行為だろうか。
ブログに吐露して黙っているのが良いのだろうか。
分からないでいる。

 

 

ピアノのおけいこ (うさぎのルー絵本 (1))

ピアノのおけいこ (うさぎのルー絵本 (1))

 

 

超少食だった娘が食べるようになった理由

過去記事でも書いた通り、娘は食が細い
霞でも食べて生きてんのか、ってくらい細い。

 

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その娘が、最近結構よく食べるようになった。
試したことは一つだ。

ジュースを与えるのをやめたのだ。

意識高い系の親御さんからは怒られるであろうが、私は子供に甘い物を与える事にはそれほど反対ではない。
食事の前に菓子を食べる事と、食事を殆ど食べないでデザートを食べる事は駄目だと言っているくらいだ。

何故かというと、一つ目には、厳しい制限を与えた結果、友人宅等でがっつかれると嫌だ、ということ。

二つ目には、糖は脳にとっては良い栄養であるから、である。
おそらく娘は、私や姉や私の母に似て、消化器の発達がよくない。
吸収効率も、余り良くない可能性がある。
私は一日3~4合の米を食べるが、痩せ型である。
姉も一回の食事で米とパンと麺を各一人前食べるが、超痩せ型である。
勿論、過食嘔吐などはしていない。
娘は、キャパの少ない消化器官で、効率的にカロリーを摂取出来る方法を、無意識のうちに選んでいるのだと思う。
それすらも制限してしまえば、脳に栄養がいかないのではないか、と思い、余り制限していないのだ。

そのような感じでジュースも特に制限せずに与えていたのだが、たまたま買い置きを切らせてしまったのを機に、ジュースを与えるのをやめてみた。
娘は、特に怒るようなことはなかった。
元々、ジュースと同じくらい水が好きな子であったため、あっさりと水オンリーに移行した。

すると、食事を結構普通の量、食べるようになったのだ。
給食はまだ食べきれないようであるし、食欲旺盛な1歳の息子の方が4歳の娘よりも沢山食べる事に変わりはないのだが、「霞食べて生きてんのか」というような状況ではなくなった。
そうか、霞ではなく、ジュースを飲んで生きていたのか!

まぁ、これで一見めでたしめでたしなのであるが、実は私の心の中では、
だから、なに?
という思いが拭いきれない。

娘はジュースでカロリーを摂っていた。
ジュースを止めたら食事を沢山食べるようになった。
これからもずっとジュースはやめましょう……。

でも、ジュースってそんなに悪いものなのだろうか?

話は変わるが、私は甘い物がとても苦手で、可能なら辛い物と酸っぱい物としょっぱいものだけ食べて生きていきたいと思っている。
それでも、甘酸っぱい柑橘系のジュースは好きで、夏の疲れた時や、旅行で外食が何日も続いた時などは、オレンジジュースがとても欲しくなる。
それはやはり、体がジュースを(果物を)必要としているからではないのだろうか?
昔、ビタミンが壊れるからジュースは駄目だ、などというナンセンスな説を聞いた事もあるが、少し検索した限りでは、今はそんな事はあまり言わないようだ。

壊血病』という本を読んでほしい(下部リンクを参照)。
人類が、長期の航海に出るにあたり、壊血病に悩まされ、戦い、勝利する過程を描いた本なのであるが、オレンジジュースまじ最高!万歳!ってなるから。

子供が糖を摂ると性的に早熟になる、なんているトンデモ説も見た事があるが、エビデンスを持ってこいやぁ、エビデンスをぉぉ!と思う。
よしんばそれが事実であるとしても、栄養が満ち足りた結果として生殖可能な時期が早まるのは、生物としてあたりまえじゃね、としか思わない。
生殖可能であることと、生殖を行う事は全く別の事だから、心配だとも思わない。
因みに私は18歳まで、女性としての月々の患いはなかった。
ガリガリだったからなー。
受験もプールも体育も、そういう意味では男子並みに楽だったワケである。
女性ホルモンに妨げられる事なく背も割と伸びた。
でも、親として、そっちの方が心配じゃないですか?

大人って、子供が好きである物を制限する為には、平気で嘘をつく。
フライドポテトを食べると癌になるとか、コーラを飲むと骨が溶けるとか、ハンバーガーの肉はミ○ズで出来ているとか……。

そんな事を思いながら、久しぶりにオレンジジュースを買おうと決めた。

 

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人はこうして「食べる」を学ぶ

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壊血病 医学の謎に挑んだ男たち (希望の医療シリーズ)

壊血病 医学の謎に挑んだ男たち (希望の医療シリーズ)

 

 

スマホはもう、デジタルガラガラと呼べば良い

先日、所用があって上野駅を利用した。
上野駅の構内には、たくさんのレストランが入っている。
その中のひとつに入り昼食を食べていたところ、不意に、近くのテーブルから音楽が流れてきた。
見ると、先ほど入店してきたらしき、1歳になるかならないかの双子の男の子を連れた夫婦が、双子たちにスマホを渡して、動画か何かを観せている様子であった。
音はそれほど大きいとは言えなかったが、やはり店内であるため、私を含め周りの人々が「なんだ?」という様子でチラホラとそちらを見ていた。
夫婦も周りの目が気になるようで、音量を小さくしようとしたり、無音にしようとしたりしていたが、そうするとたちまち双子たちがグズって泣き出し、元々のスマホの音量よりも泣き声の方がずっとうるさくなり、夫婦は申し訳なさそうに、焦ったような感じで急いで荷物をまとめ、双子たちを連れて退店していった。
注文した料理はテーブルにあったが、滞店時間からみても、まだ殆ど手をつけられていなかったのではないだろうか。

私は、この光景をみて、あの夫婦は一体どうしたら良かったのだろうかと考えさせられた。
1歳児を連れて出先で食事するというのは、物凄く、物凄く、ものすごく!!!大変だ
私は今の所、子供達が1歳の時にそういう必要が生じた事はないが、3歳の時分の娘を連れてレストランに行った事はあるし、機動力の低い0歳の頃の息子と、夫も含めて4人で外食をした事もある。
それらの際は、空いてる時間帯を狙い、子供の存在を許容して貰いやすいファミリーレストランで、子供がグズったらすぐに連れ出す、それが可能なだけの人員を伴っていく等、とにかく気を付けて行ったが、それでも余りに大変過ぎ、とてもゆっくり食事を楽しむ、という状態ではなかった。
何故なら、子供に食べさせている間は、大人が食べる暇はほぼ無いと言って良いし、子供は大人が食べ終わるまで待てないからだ。
ましてや、1歳の男児二人を夫婦だけで連れて、レストランで食事をするというミッションは、あまりに困難である。

しかし、生きていればそういう必要が生じる事もあるだろう。
あの一家は、朝からずっと公共交通機関で移動していて、午後もまた移動が必要で、どうしても上野駅で食事を摂る必要があったのかもしれない。
子供連れでレストランに入るのは迷惑だろうかと考えたところで、あの近辺で安全に食事をする場所があるかと言われると、上野は不案内でもない私でも、思いつかない。
ましてや遠方から来た人であれば、レストランに入るくらいしか思い浮かばなくても無理は無い。

上野公園まで行きパンでも齧る?
寒空の下?

どちらかがレストランの外で子供を見ている間に、もう片方が交代で食事を摂る?
それも無理だ。
あの夫婦はベビーカーを持ってきていない様子だった。
抱っこ紐を使用しても、一人で二人を抱っこする事は出来ない
ちなみに、交通機関の都合により、ベビーカーを持っていくと却って大変になるから持っていかない、という選択は普通に取られ得る。
なにより、それでは子供たち自体が食事を摂れない。

そう考えると、子供たちにスマホで動画を観せながら食事を摂る、という以外、あの夫婦に選択肢はなかったのではないかと思う。
育児では、ベストな方法がとれず、その他の、何かしら問題のある選択肢から、いくらかマシな(ベターな)方法を選択せざるを得ない、という場面が多々有る。
周囲からみて悪手であると思われても、他の方法はもっと悪手かも知れないのだ。
あの夫婦が最初に取った行動は実はベターなものであったのだろうが、私も含めた周囲の人間がチラチラ見てしまった結果、それをやめ、結果として、もっと悪い事態に陥ってしまった。
あの夫婦は、周りの視線から、音を出してしまっている事に対する罪悪感以上の、『子供にスマホで動画を観せているバカ親』という意図を読み取ってしまったのではないか。

そもそも何故、スマホがこんなにも悪者として扱われているのだろうか。
大人は、特に子供の親とその周囲に居る人間は、新しいメディアやそれを提供するデバイスに対する警戒心が強い
面倒&うろ憶えなのでソースは出さないが、

新聞なんて子供に読ませるな

小説なんて害悪だ

ラジオに子守をさせないで!

子供にテレビを観せすぎるな

漫画、アニメが子供を犯罪に走らせる

ゲーム脳の恐怖

スマホに子守をさせないで!

みたいな感じで、明治維新からこっち、ずーーーーっと同じ事を言っているのではないか。
それこそ、楔型文字で粘土板に、「最近の若者はけしからん」と書かれていたように、おそらくもっと昔から。

時に私は、中学生時代、ゲームが大大大好きであった。
特に、剣と魔法の世界を旅するRPGが好きで好きでたまらなかった。
今はもう、ゲームをするだけの集中力も無いし、憧れの中世ヨーロッパに触れるなら、実際に現地に行くか、図書館で歴史の本を借りて読んだ方が、リアルで面白い。
しかしハマっていた当時は、本当に寝食を忘れる程で、その世界に対する憧れから、読書や、絵画や、更にはCGデザイナーやシステム屋という職業に対する憧れや興味など、あらゆる思考に影響が及んだ。
あの時期のあの体験がなければ、当時の体験を同世代の人間と共有する喜びも無く、現在の各方面への興味も無く、人生に於ける『Fun』は、かなり減少していた可能性が有る。
何なら就職も出来ていなかったかも知れない。

尚、私の父はゴリゴリのシステム屋であり、デジタルなモノに対する許容度はかなり高かった。
私が子供であった昭和の時代、まだ珍しかったパーソナルコンピューターで、タイピング練習用ソフトを使ったタイピングを教えて貰ったり、一太郎(懐かしい!)で文字を打ったり、花子(超懐かしい!)で CG(3Dじゃないよ)を作って年賀状にプリントしたり、Mac で上海などのゲームをさせて貰ったりした。
余談であるが、昭和の当時使用していたタイピング練習用ソフト(名称は忘れた)は、タイピングのタイムが遅いと

「遅いですね。
 足で打っているのですか?」

等と聞いてくる超失礼なヤツだった。
もちろん手で打っていた。

また、長じて私がゲーム好きになってからは、父は東京ゲームショウに連れて行ってくれたりもした。

父がラジコンを買ってくれれば、幼い私と姉は、どうしたらより電波が受信し易く、遠くまで走るようになるか試行錯誤したし、オルゴール盤を読み取りながら音楽を鳴らして走る汽車のおもちゃを与えられれば、私も姉も、付属のオルゴール盤を使用せずにオリジナルの音楽を鳴らすという挑戦に夢中になった。

上記の事柄との因果関係は分からないが、私も姉もシステム屋となった。
ちなみに、私は通勤は死ぬほど嫌いであるが、仕事は大大大好きだ。
システムを作ることは、大体において脳にとって甘くて美味しい体験だ。

だから、というわけでは無いが、新しいメディアやデジタルなものが一概に悪いとは、言えないのではないかと思う。

とはいえ、歴代の人類が警戒してきたメディア及びデバイスには、それなりに警戒するに足る理由はあると思う。
それは、時間を忘れてハマりやすいという点と、完全に受動的な体験となってしまいやすいという点だ。
しかし、寝食を忘れてハマるという体験は、悪い事ばかりではないと思うし、他に能動的なアウトプットをする場所があれば、受動的にインプットばかりする体験があっても良いだろう。
何にせよ、短時間の使用で人生に悪い影響が出るようなものでは無いと思う。
駅でちょっと見掛けただけの親が、子供にスマホを観せていたからと言って、彼らが家でもずっとそうであるとは限らない
すぐさま『バカ親』という目で見るのは、短慮なのかも知れないと、改めて自らを戒める体験であった。

ひとりQ&A:服へのこだわりが強すぎる

私の子育ての悩みを私が斬る。

Q. 娘の、服へのこだわりが強すぎます
4歳になる娘が、ヒラヒラしたお姫様みたいな服ばかり着たがります。
そして、それを着たまま食事をしたり、ねんど遊びをしたりするので、汚さないかひやひやします。
そういう時はエプロンを着けるように言いますが、聞いたり聞かなかったり、です。
児童館へ行く時や、買い物に行く時もその格好です。
道ゆくお年寄りは、「かわいいねぇ」などと目を細めてくれますが、人によっては、子供を着せ替え人形のように扱っているバカ親、と思われているかもしれません。
たまに公園に行く時などは、どうしてもと言い聞かせ、パンツスタイルにさせますが、それもこだわりが強く、なかなか服が決まりません。
毎朝服のことで言い合うのは嫌なので、幼稚園は制服のあるところにしました。
また、一日に何度も別のヒラヒラの服に「着替えたい」という日もあり、うんざりです。

A. 思いっきり着させなさい
うらやましいわー、娘さん。
毎日プリンセスみたいな服を着られるのね。
そういう服を着られるのは今だけよ!
今思いっきりやらせてあげないと、大きくなってから変な形でその思いを叶えようとしたりするんじゃない?

それに、娘さんは現状何も困ってないみたいじゃない。
問題はあなたの心の中だけで起こっているのよ!
子供が着ている服のことで、人にどう思われようといいじゃない。

シーズンごとに全く同じヒラヒラの服を2枚買って、毎日交互に着せてごらんなさい。
服を選ぶ手間がなくなるわ。

そして、どうせすぐサイズアウトするんだから、汚したって別にいいでしょ。

 

 

(ディズニー) Disney ソフィア ワンピース 332106005 パープル 100

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