nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

子供の視線のその先を見る

私が幼稚園児の頃、スーパーで買い物する母にねだって、ぴえろ魔法少女シリーズの うちわ を買って貰ったことがある。
変身前後のヒロインが、ステージの上でポーズをとっている構図であった。
丸いボール紙からプラスチックの柄が生えている、現在でもよく見られる簡易な造りのキャラクター商品である。

私は帰宅後早速、柄の接合部の少し上のボール紙部分を折り曲げ、写真立てのように床の上に置き、自分も寝そべり絵に見入った。
私は、いわばステージの立体模型のようなものを作って、空想でもってその中に入り込む遊びをしたかったのだ。

頭の中でヒロイン達はまばゆいスポットライトを浴び、キラキラとステージ上を舞っていた。
私は見惚れ、陶酔した。

そして母に叱られた。
母の目に映るのは、ねだられて、仕方なく買った商品を即日いきなり破壊して寝そべっている私である。
母にとっては、うちわはあおいで涼をとる為のものである。
折ればその機能は失われ、ゴミになる。

勿論わたしは、自分がなぜそうしたのか、母に充分伝わるレベルで口頭で説明することは出来なかった。

数十年経ち、いま私は、『子供』を見ているだろうか、それとも、『子供の視線のその先』を見ているだろうか。