nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

呆けた母は誰なのか

幾度か記事にしているように、母は特に育児の得意な人ではなかった。
今でも孫などの小さな子供をそれほど好きな様子はなく、表面上はにこやかに孫に接するものの、なるべくならば関わりたくない、相手をしたくないという態度がありありと見て取れる。
母が子供を産んだ頃はまだ、女性本人が子供を嫌いだろうが、仕事や趣味が命だろうが、育児に向いていなかろうが、誰であれ結婚して子供を持つということが当たり前であり、社会的な圧力であった。
であるから母は子供を産んだのだろうが、現代のように子を産むか否かが完全に自由な(=自己責任の)趣味として扱われる世の中であれば、おそらく我々姉妹は影も形もなかったであろう。
そんな母であるが、裁縫が得意であった母は、幼い姉にリトルツインターズのララ風の服を縫い、姉と私に黄色い星のアップリケの付いた、やはりリトルツインターズ風のエプロンを縫ってくれた。
大好きなララのコスプレをして嬉しそうにはしゃぐ、小さかった頃の姉の写真を見たことがある。
母は喉が弱く、年中咳をしていたが、そんな中でも切ればホコリの出るボア生地で、ぬいぐるみを作ってくれたこともある。
当時はよくそういうキットが売られていたのである。
とにかく、良い思い出も確かに少しはあるのだ。

しかし、母はそれらすべてを憶えていない。
幼かった私のバレエの発表会のために母が作ってくれた衣装を見て、

「これを私が作ったの?
 嘘でしょう?
 全然憶えてない」

と言い、私が子供に作ったぬいぐるみを見て、

「よくこんなの作れるね!
 私絶対作れないよ」

と言う。
そんな筈はない、幼かった私に裁縫を教えてくれたのは母ではないか、と言っても、全く記憶にないと言う。

私は、母の作るハンバーグが好きだった。
合挽きを使わず、豚挽きのみを使うことが特徴で、かつて教えてもらったそれを私は今でもよく作る。
私の子供達も、自作の『ハンバーグの歌』を私の調理中にずっと歌っているほど好きなものである。

息子「はやくたべたい ハンバーグ♩」
娘 「はーやくたべたい ハンバーグ♩」
息子「おなかすーいたー♩」
娘 「たーべたーいーなー♩」

というものだ。

母は、かつて私や姉にハンバーグを作ってくれていたことも忘れていた。

かくて、母に昔受けたマルトリートメントについて真意を問おうとしても、また逆に、良い思い出についてともに語ろうとしても、母は何も憶えていないので、私の言葉はむなしく空を切るばかりなのである。

昔のことのみならず、現在のことも憶えていない。
帰省するたびに母はいつも母自身の服を何着か持ちだしてきて、

「この服あなたの?
 なぜか私のタンスにあるのだけど、処分していいのかしら」

などと言う。
それは私の服ではなく、母のものだと説明するのであるが、

「うそ。
 私こんな服ぜったい買わない。
 じゃあ(姉)のかしら」

とまた仕舞い込む。
帰省するたびに同じ服達についてこれをやるので、ある時私はそれらの服すべてにガムテープを貼り、

『これは(筆者)の物ではない。20xx/mm/dd』

とマジックペンで書いた。
母は、

「今聞いたからそんなことしなくてもちゃんと分かったわよ」

と嗤った。
自分が今聞いたばかりのことを忘れ、次回も同じことをするとは微塵も思っていないのだ。
ともかくこの処置により、同じ服について何度も聞かれることはなくなった。
しばらくして、別の服を提示されたが、そこには今度はハギレが縫い付けられ、

『これは(姉)の物ではない。20xx/mm/dd』

とマジックペンで書かかれていたことには笑った。
やはり、姉も同じ事にフラストレーションを感じていたのである。

最近はテレビ電話で両親と私の子供が話すことがあるが、たった数日前に話したことを母は忘れているので、娘は不思議に思っている。

さて、突然だが、『24人のビリー・ミリガン』という懐かしい本をご存知だろうか。
アメリカのとある犯罪者についてのドキュメンタリーである。
ある男が犯罪を起こし、彼(の肉体)が逮捕される。
しかし、取り調べを進めるうちに、(自認するところの)名前も、年齢も、性別も、出身地も、記憶も異なる人格が次々と現れ、とうとう24人にも及んでしまう。
それは演技なのか、それとも真実なのか。
そして真実なのだとしたら、彼(ら)をどう裁くべきなのか——。

多重人格(現代では解離性同一性障害という)について広く世に知らしめたベストセラーである。

ここで言う『人格』とは、単に「あの人って二重人格だよね」「人が変わったみたいだよね」などと軽口を叩く際の『性格』ではなく、記憶の連続性と、それに裏打ちされた、自認するプロフィールのことである。
多重人格では、例えば、カセットテープを聴き始めたばかりなのに、瞬時に最後の曲になっていた。
間で私の肉体を動かしていたのは誰なのか。
はたまた、一人暮らしなのに知らぬ間に部屋の様子が変わっており、誰かが侵入した形跡もない。
誰が物を動かしたのか。
ということが起こりうる。

人格間でお互いを認識し、ある程度任意に人格を交代できる場合もある。
その場合例えば、ある人格が目覚めるとなぜかイギリスで車に乗っていた。
しかし自分はアメリカ人で左側通行は怖くて運転できないので、イギリス生まれ(を自認する)アイツの人格が出てくるまで引っ込んでいよう、ということが出来るという。

多重人格についてはその後研究が進み、新しい情報を記憶として振り分ける、脳の海馬という箇所が、大きなストレスを受けた際に特殊な働きをし、記憶を本来格納する箇所とは違う箇所に振り分けて格納する、という動きにより発生するらしいことが分かってきた。(注:素人のうろ覚えの情報であり、医療情報ではない)。
私は、1台のPCのハードディスクをパーテーション分割し、1パーテーション=1ユーザーとしてタイムシェアして使用しているようなものであると大まかに理解した。

例えば、幼少期に激しい虐待を受けたとする。
すると、人は自分を守るために、『虐待されているのは自分ではない』と思い込もうとする。
そうして、自分が認識している記憶の領域とは別の領域に虐待の記憶を格納する事で、『自分は虐待されなかった』という状態を作る。
以後、虐待されるたびにその記憶は別領域に格納され、やがて『虐待された記憶を持つ別の子』という人格が生まれる。
多重人格関連の書物をいくつか読んだが、多くの多重人格者は、

1.守られるべき弱い本人
2.虐待された記憶を持つ、深く傷付いた幼児
3.肉体がピンチの際に現れる、筋肉をうまく扱える粗暴な人格
4.それらをまとめ外界との折衝を行う、年嵩の知恵者

という人格を、少なくとも持つように思う。

話が逸れた。
ともかく、多重人格関連本が大好きな私が思うに、人格とは、『記憶の連続性』のことなのである。
一方で、母親として私を育てたことを憶えている人は、この世にいない。
そういう記憶を持つ人格は、存在しない。
母は一体どこへ消えたのだ。
帰省するたびに前回の帰省で起こったことを忘れているあの人は、毎回一体だれなのだ。
私は、過去の恨み言を誰に言えばよく、過去の嬉しかったことを、誰に感謝すれば良いのだ。

————

娘が4歳になったばかりの頃のことである。
幼稚園のバス停への道すがら、突然娘が言った。

娘「〇〇ちゃん(娘)が大きくなったら、おかあさんは、〇〇ちゃんが小さかった時の事を忘れてもいいんだよ。
  〇〇ちゃんが憶えていて、教えてあげる」

私「なんでそんなこというのかな?」

娘「だって〇〇ちゃん、おかあさんのこと大好きだからだよ」

私「私だって〇〇ちゃんのこと大好きだから、絶対忘れないよ」


私もかつて、母にこう言ったのだろうか。
母もかつては、忘れないつもりだったのだろうか。

 

 

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