nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

猫舌として生きる

すごくどうでも良い話。

私は猫舌である。
たぶん、結構重度の猫舌である。

熱いものを飲むと、下手すると2〜3日も舌が火傷で痛い。
ガスコンロにせよ電子レンジにせよ、調理した直後の飲食物は熱すぎるため、『如何に早く冷ますか』を生涯かけて追及してきた。
スープなど液状のものは、濃いめにつくって氷を入れたり、溶け出さない氷キューブを利用したりする。
たこ焼きなど固形物は、熱伝導率の高い金属製バット(料理用のほう)に置いて冷ましたり、あらかじめ食器を冷やしておいたりする。
外食で、外がカリカリ、中がトロトロのたこ焼きを食べる時などは、最初から全てのたこ焼きを割り、内部の熱を並列で速やかに排出することに努める。
インスタントコーヒーやコーンスープは、蛇口から出るぬるま湯で作る、といった具合である。

旅行先で、特急の発車まであと数分だが駅そばを食べたい、どうしようかと夫に相談したことがある。
夫は、駅そばはすぐ出てくるから食べてきても大丈夫だという。
そこで子供達を任せて急いで食べに行った(夫は既に食べた後であった)。
しかし、出てきたそばは熱かった。
あまりの熱さに全く歯が立たず、ほとんど手付かずのまま謝りながら店を出てホームに戻ったのである。
そばには悪いことをした。

若い頃は、飲み会などで「猫舌なので」と長く冷ましていたりすると、ぶりっ子キャラでないくせにぶりっ子していると思われるようなこともあり、内心、『バカヤロウ! こちとら死活問題なんだよ!』と思ったものである。

なんで世の中こんなに熱いものばかりなのだ!
と時に若干の怒りをもってGoogle先生にお尋ねすると、猫舌の人は、熱さを感じる部分である舌先を巧く丸めて飲食することが出来ないだの、フーフーと息で飲食物を冷ましてから口に入れれば良いだの、空気と一緒にすすると良いだの、酷いものでは、猫舌の人は熱いものを美味しく食べられないから可哀想だのという意見が Hitする。

舌先を丸める?
意味がわからない。
私のいいかげんなソースによると、タンパク質は42度で凝固を始めるという。
舌先をいくら丸めようとも関係ない。

フーフー冷ます?
空気と一緒に吸い込む?
私が子供の頃読んだマナーの本に、息を吹きかけて冷ますのはいけないことだ、ズルズルと音を立てて液体をすするのは良くないことだと書かれていた。
私は物事を言葉通り受け止める傾向があり、また融通が効かない性格であるので、この縛りを覆すことは出来ない。

幸い、熱い液体に氷を入れて冷ますことや、たこ焼きをバットに乗せて冷やすことを禁じる書物には出会ったことがない。
出会ったら別の方法を考えるかもしれない。
ハンディ扇風機で冷ますとか。
冷却スプレーを吹きかけるとか。

熱いものを食べられないから可哀想?
余計なお世話とは正にこの事だ。

一方、夫は熱いものが好きである。
そして、美食に関して独自のこだわりを持っており、時にそれを家族に対しても善意から勧めてくることがある。
夫の趣味であるところの料理を振る舞ってくれることがよくあるが、たいてい熱い。
ある時、料理というほどではないが、インスタント味噌汁を出してくれるというので

「お願いだからガスコンロで沸かした熱湯ではなく、蛇口をひねると出てくる給湯器のぬるま湯で作って」

と再三訴えたにも関わらず、夫は『沸かしていないぬるま湯で作るのはカルキ臭がうんたらかんたらだし、熱いものは熱いまま食べる方が絶対美味しいから』などという理由で熱湯で作られたことがあった。
私は、せっかく夫が出してくれたものだしと我慢してそのまま飲み、案の定3日ほど舌が火傷で痛く、その間、断続的に夫に文句を言うこととなった。
文句を言うくらいなら初めから我慢して飲まなければ良いのだ。
私には、『相手に悪いからと我慢して無理し、後から文句を言う』という悪癖があるようだ。
夫に「これくらい食べられるでしょ」ととんでもない量の食事を出され、これまた夫に悪いからと完食し、後からお腹が痛くなって文句を言うというパターンもある。

今後は、断固、自分の体の声を優先するスタイルで行きたい。
お互いのためにも。

時に、実家に帰ると熱い料理は出ない。
両親はじめ、私を含む実家の面々は、食事を完全に生命維持のためのものと割り切っており、温かい料理や、作りたての料理を希求する心は持っていない。
夫と出会い、食事にそういう価値観を求める人も世の中には居るのだと知り、若干その考えに染まったあとで実家に帰ると、時に驚くことがある。
例えば、夕方出かける用事があるという母が、正午ごろ家族の夕飯用のアジの開きを焼いておき、夜までグリルの中に放置しようとしていたことがあった。
それを見た私が、

「時間が経つと硬くて美味しくなくなっちゃうから夕方私が焼くよ」

と言うと、

「美味しさなんてどうでもいい!」

と母はピシャリと言い放ったのである。

『美味しさなんて、どうでもいい』。
なんというパワーワード
何かのCMにしたい。

また、食事を温かい状態で出すという価値観が実家には存在しないため、冷めてもよいサラダなどを先に作り、温かい料理を後から作るという工夫は不要だ。
母は肉などのメインディッシュを先に作り、最後にサラダなど副菜を作るので、肉は食事開始時から既に冷めている。
父にしても、何か電気工作や回路図などに熱中していると食事を後回しにするし、1秒でも早く作業に戻るために『いかに早く食べるか』を追及するような人であるので、それで誰も困らないのであった。
さらに母は少食であり、びろんびろんに延びきった麺料理を数時間〜数日かけて食べる猛者でもある。

私は私で、昭和生まれの鍵っ子として食事は自分でなんとかするという意識が強く、割と早い時期から電子レンジで冷食を温めて食べるという手段を獲得していた。
しかし、当時の実家の電子レンジは父が70年代だかにアメリカから持ち帰ったと伝えられる、デザインもUIも癖のある代物で、調理時間表示が3桁のデジタル数字なのは良いが、そこに『 分 秒』や『 : 』などの気の利いた単位表示はなかった。
その事が10進数であることを示していると勘違いした幼い私は、わざわざ60進数を10進数に変換してから入力していたのである。
つまり、冷食のパッケージに4分10秒と書いてあったら、それを250秒と変換し、『250』と入力していたのだ。
「なんという面倒さ……」
など思いながら。
アメリカではきっと冷食の調理時間表示は10進数がスタンダードなのだろう、日本の冷食を調理するには、オペレーターである私がそのギャップを埋めなければ、と思いこんでいたのだ。
ちょっと挙動を見ていれば分かるはずなのだが、当該のレンジは、単位表示がないだけで、60進表示であった。
つまり、250の入力は、2分50秒として処理されていたのだ。

そう、私は長年、温め不全の冷食を食べ続けて育ってきたのである。

それで何も不都合を感じなかったのである。
このように振り返ってみると、私が猫舌であるのももっともであると言えよう。

ではこのように、食に嗜好的重きを置かない実家が何に重きを置いていたかと言うと、旅行だったのだと思う。
食費を掛けることを良しとしない代わりに、旅行にはよく連れていって貰った。

各家庭によって、何に時間とお金を掛けるかというのは実にさまざまであるということを、結婚によって知ることができたのは幸いであった。

夫の実家は、旅行ではなく、食事に価値を置く。
私の実家は、食事ではなく、旅行に価値を置く。
結婚前後、夫が私の実家を招いて豪華な食事会でもしようと言い始めたのを受け私実家が
「え!? 一体何のために!?」
となり、私の実家が夫の実家を招いてイタリアにでも行こうなどと言い始めたのを受け夫が
「え!? 一体何のために!?」
となった。
お互い、
「美食に興味ない人なんてこの世に存在するの!?」
「旅行に興味ない人なんてこの世に存在するの!?」
という新鮮な驚きに満ち溢れた。
なお、実家では、旅行にいくと大体ずっとホットドッグかマックを食べ続ける。
多くの国にあり、どこの国でも出てくるものが大体分かって安心だからである。
その土地々々の美食や名物を食べるために時間とお金を使おうなどという話には、全くならない。
夫は、海外旅行など行きたくもないが、現地のワインや名物を味わうような旅行ならまぁいいかもなどと言う。

食事に時間とお金をかける人は、そうでない人から見ると狂気の沙汰であり、旅行に時間とお金をかける人もまた、そうでない人から見ると狂気の沙汰である。
親戚に、車に時間とお金をかける人がいるが、私から見ると狂気の沙汰である。
夫から見れば、たこ焼きをバットに乗せて冷ます私は狂ってるだろうし、私から見ればアツアツの液体を平気で流し込む夫はどうかしている。
洗濯物を干すスイートスポットの開発と、DIYによる収納場所の拡張に情熱を燃やす私も、誰かから見れば狂気の沙汰なのかもしれない。
まあ、各人、好きにすれば良いのである。