nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

子供の荷物は何故多い

突然噴水に突っ込んでいく

何故かオシッコが横漏れする

何故か水を飲むだけでびしょ濡れになる

びしょ濡れになった直後に砂の上を転げ回る

びしょ濡れになった直後に土の上を転げ回る

びしょ濡れになった直後に枯葉の上を転げ回る

食べこぼしがものすごい

暑さ寒さが我慢できない

おむつ(足りないと大変なことになる)

ティッシュ(ティシュー)

おしりふき

タオル

おやつ

帽子

水筒(0.5kg × 人数分)

泣き止ませグッズ

お気に入りのぬいぐるみ

おんぶひも

ベビーカー

 

そんなこんなで、一日レジャーに行くだけで大変な荷物になるのである。

 

ひとりQ&A:服を着たがらない

私の子育ての悩みを私が斬る。

 

Q. 服をいやがります

1歳になる子が服を着るのを嫌がります。

 

A. 写真に撮っておけ

裸での様々な生活シーンを写真に撮っておきなさい。

4歳になる娘は、1歳当時の自分の写真が殆ど裸ばかりなのを見て爆笑しているわ。

 

剥き出しの白鳥【期間限定無料】 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

剥き出しの白鳥【期間限定無料】 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

niceslice.hatenablog.com

 

 

niceslice.hatenablog.com

 

 

niceslice.hatenablog.com

 

 

 

niceslice.hatenablog.com

 

ランドセルのコストを考える

ランドセルの中心価格帯は6万円くらいらしい。

https://kakaku.com/randoseru/

6年間使うとしたら、1年間あたり1万円。

長期休みなどで実質10ヶ月登校するとして、1月あたり 1,000円。

実際、一年間の登校日数は 200日くらいらしいので、1日あたり 50円。

高いと見るか、安いと見るか。

子供の残飯を食べるのは母親のタスクか?

以前、何かのニュースで、家庭での食品ロスは月 ¥5,000 分もあるとかいう話を耳にした。
当時、「うちは絶対そんなに無い」と思った。
事実、子供を産むまでは、殆ど食品ロスは発生していなかったと思う。
しかし、子供を産んでからは、流石に ¥5,000 分ほどでは無いが、以前より確実に食品ロスは増えたと思う。

子供、特に上の子は、とにかく食べない子供であった。
霞でも食べて生きているのかと思うほどに食べなかった。
給食の量をごまかしていた保育園に関する報道で、
「こんなに給食の量が少ないんですよ」
「えー!ひどーい!」
などと言い合うニュース映像を観て、夫と、
「ウチの娘はこんな沢山の量食べた事ないぞ」
とざわざわとなった程である。
しかし、食べない事が分かっているからと言って、作らない、出さないというわけにはいかないのである。
稀にまあまあの量を食べる事もあったし、何より、本当に娘の食べる量しか用意しなかったら第三者からは虐待かと思われたであろう。

そうして残されたものは、大抵私が食べるのである。
汚い話で恐縮であるが、食べ散らかされ周りに落ちた食べ物も、捨てるに躊躇するような大きな塊(ほぼ丸のままの唐揚げなど)は、私が拾って食べていた。

子供用の食事とはいえ、ほぼ全て残されたものを食べると、結構お腹が膨れる。
私は結構大食いで、自分の食事は自分の食事で沢山食べる。
よく、「食育の為、子供に先に食べさせるのではなく、一緒に食べましょう」などと言われる。
しかし、一緒に食べたら確実に私が先に食べ終わり、満腹の上に更に子供の残飯を詰め込む事になる。
それ以前に、隙あらば食べ散らかし零しまくる子供を牽制しつつ、その子供に食べさせながら自分も食べるというような器用で忙しい真似、なかなか出来ないのである。
そんなわけで、まず子供に食べさせ、残り物を私が食べ、その後自分の食事をする、という流れになっている。

それでも食品ロスは出る。
子供と生活していると、食べ残しを避ける事は出来ない。
特に甘い菓子類は、私が苦手としているのでどうしても残る。
子供自身が「食べたい」と言って買ったものの、一口しか食べなかったものも多い。
まだ、少ない経験の中から『何が美味しいのか』『何が安全か』をいろいろと試している段階なのだ。

NHKクローズアップ現代で、食品ロスをテーマとする回があった。

www.nhk.or.jp


コメンテーター曰く、

「なぜ食品ロスが生まれるのかというと、(中略)子どもが残したものを、お母さんが太るから食べない。それは家で余ってしまいますよね。」

との事である。
子供の残飯を食べるのは、母親のタスクなのだろうか?
母親は子供の胃袋の調整弁なのだろうか?
私はまだよい。
食べようと思えば白飯2合くらいならなんとかいける。
でも、多くの他の母親はどうか?
無理して胃を拡張していないか?

個々の倫理観に合う範囲で、子供の残したものを捨ててしまうのは仕方ないのではないだろうか。
そんな事まで母親のタスクにして、責めないでくれよ、と思う。

確かに、この番組の指摘には、『本来母親が残飯を食べるべきだ』との明確な定義は含まれていない。
言外にそれを感じてしまうだけである。

と、ここまで書いて、ふしぎなことに気がついた。

同世代の女性
「ほら、私たちの母親の頃ってさ、子供の残り物を母親が食べてたじゃない?
 でも今自分がやろうとすると結構キツいよね、自分の食べる量コントロール出来なくなるから。
 だからつい食品を捨てちゃうっていうの、あるよね」
「ワカルワカルゥ〜」
あれ、あんまりむかつかない。

一方、
コメンテーターとかいう知らないおっさん
「なぜ食品ロスが生まれるのかというと、(中略)子どもが残したものを、お母さんが太るから食べない。」
あれれ、殆ど同じ事を言っているのにめっちゃ反論したくなる。

色々言葉を並べ立てても、私も理屈より共感を求める人間であったということか。
それとも流行りの「言い方! 言い方!」というやつなのか。
よく分からない結論に至って(至らなくて)しまった。

 

 

niceslice.hatenablog.com

 

 

niceslice.hatenablog.com

 

 

niceslice.hatenablog.com

 

娘のおにぎり

4歳の娘のこと。
娘が、おにぎりを作ってくれるようになった。
ラップで包んだ一口おにぎりである。
なんかね、3年前は、食事の度に物凄く食べこぼしていたわけですよ。
コップの水でも味噌汁でもなんでもひっくり返して、辺り一面ぐっちゃぐちゃにしてたんですよ。
大人の介助無しでは食事も碌に出来ていなかったんですよ。
去年は、弟が産まれたことによる赤ちゃん返りで、朝から晩まで泣き喚いていたんですよ。

それが、
「お母さんは弟くんに食べさせるので大変だから、はいどーぞ!」
とか言って、夫と私におにぎりを作ってくれるのである。
更に、
「弟くんももっと食べたさそうだから、はいどーぞ!」
とか言って、息子にも作って食べさせてくれるのである。
そして、気がつけば娘が自分でコップを用意して冷蔵庫から牛乳を取り出して注いで飲んでいるのである。

もう、優しすぎて素敵すぎて泣ける。
大人にとっての三年間など、ぼーっとしてたら何の進歩も無く過ぎ去ってしまうのである。
それが、子供の持つこの成長のスピードは一体何なのだ。
やれ食べさせが大変だ、やれ夜泣きが大変だ、一体いつ楽になるんだと思い続けて、ふと気がつくと楽になっていて、やれやれと思っていたら、『あれ、そういえばあの赤ちゃんは一体どこに?』などと思うのである。
今日の可愛さが明日あるとは限らない。
代わりに新たな可愛さや喜びがやってくるのであるが、これもあっという間に消えていってしまうのだろうから、もう可能な限り全てを味わい尽くしていこうと思う次第である。

怒りと悲しみで眠れない

夫の趣味は料理である。
夕方、子供の相手のため料理の手を止めた私の代わりに、ポテトサラダを仕上げてくれた。
出来上がったポテトサラダは、マヨネーズとは違う臭みとしつこさがあった。
動揺を隠しつつ
「あれ、マヨネーズもう無かった?」
と聞くと、
「チーズ入れてみたんだ。美味しい?」
と聞かれた。

私は、食に関して極めて無頓着且つ保守的である。
「これはこういう味だろうな」と無意識に期待して食べたものが、全く違う味だった時。
平静を装って完食するが、内心物凄く動揺する。
夫は、味の冒険をしまくる。
市販のカレールーであっても何かしらのアレンジを加えねば気が済まず、ホールトマト缶を投入して殆どトマト味となったバーモントカレーを作ったりする。
それらは、確かに一般的には美味しいのであろう。
一手間加える事で新しい美味しさを見つけているのであろう。
食に精通し、仕事が忙しい中でも料理を進んでしてくれる、優しくて素敵な夫である。
こんな夫を悪く言うのは良く無い。
偏った考えを持つ私の方が悪い。

でも、私は味の冒険なんてしたくないんだよ!!
味のサプライズなんて要らないんだよ!
こちとら、お子ちゃま舌の貧乏舌なんだよ!
最低、サバ味噌煮缶と梅干しを、炊いた米に乗せて食べてれば満足なんだよ!
ポテサラはマヨネーズオンリー、バーモントカレーはただのバーモントカレーとして食べたいんだよ!
世間で稀に見る、サラダにレーズン&リンゴだの、そうめんだかヒヤムギだかにフルーツなんてのは舌への暴力なんだよ!

トマト味バーモントカレーの時点で、出来れば今後あまりアレンジをしないで欲しいな、とソフトに伝えたので、最近は派手なアレンジを控えてくれていたのであるが、何故か今回は、

・一週間分のまとめ買いした食材の中から
・子供のリクエストのポテサラを
・私の好物でもあり楽しみにしている中
・途中までは一生懸命作っていたのに
・ちょっと子供の相手をしている間に
・確かに仕上げをお願いしたのは私だけど
・最後の最後で
・自分の分だけではなく材料分全て
・まったく無断で
・チーズ味に塗り替えた
・いつもはポテサラ好きでモリモリ食べる子供たちが、キュウリ部分くらいしか食べない
・爆食王息子も殆ど食べない

という事をしてくれた。
「美味しいけど、やっぱりいつものマヨネーズ味が好きかな。
 アレンジするにしても、自分の分だけとか」
と返すと、
「やっぱりそうだよね、ごめんね!」
と言われた。
私もその場では納得してそれきりにしたのであるが、娘を寝かしている最中、娘から微かにチーズの臭気を感じ、思い出して「私のポテサラが!」とムカムカしてきてしまい、眠れず今に至る次第である。

いや、我ながらくだらない事でエネルギーを使っているものである。

しかし、これで食べ物に関する恨みの蓋が開いてしまった。
眠れない。

世の中には、外食をした際に、注文したものをなんでもシェアする人々がいる。
食習慣は人それぞれであるので、それが悪い事だとは言わない。
居酒屋で頼んだものや、中華料理店などでは取り分け合うのが普通でもある。
しかし、あくまでも私の感覚では、パスタ屋のパスタは、シェアする対象ではない。

大昔、独身の頃、ある友人とパスタ屋に行った際、
「私のこれ半分あげるー。あなたのそれも貰っていい?」
「え? あ、、あ、うぅん?」
と言う間に、あれよあれよと私の有頭エビのトマトクリームパスタと、彼女のバジルソースパスタが、スプーンとフォークを使用した美しいサーブにより鮮やかにくるくるとハーフ&ハーフにされてしまった事があった。
2尾あった有頭エビも1尾になってしまった。

私は、メニューを選ぶときは常に本気だ。
どれを一番食べたいか。
選んだもの以外に一切の興味は無い。
バジルソースパスタなど全く食べたくなかった。
私が食べるはずだった有頭エビ……。
卑しいと言われようとも、このときの悔しさは忘れられない。

夫のことは愛しているし、友人のことも尊敬しているが、それとこれとは別なのである。

しかしこうして書いてみるとやっぱりくだらない。
斯様なくだらない事で心乱されない人間になりたい。
おおらかな人でありたい。

そろそろやっと眠れそうである。

-----------------

追記

ブログ書いてたらお腹が空いたので、件のポテサラにツナマヨをプラスしてごはんに乗せて食べたら、ツナの力強い風味がチーズの臭みとしつこさを打ち消してお互いに引き立て合い、めっちゃ美味しかったことをお伝えすると共にここにお詫びいたします。

ごめんね夫。

直接怒ったりしなくて良かったです。

 

完璧な人間しか親になれないのか?

私は、「毒親に育てられました」という人のエッセイ漫画をたまに読む事がある(以下、毒親系漫画)。
かつて子供であった自分と重ねて、『うちはここまでじゃなくて良かった』と思いながら読んだり、現在親である自分と重ねて、『なるほど、こういう風にはならない様にしなくては』と自戒して読んだりする。
しかし、色々な作者の様々なエピソードの中には、『この程度のことで毒親と言われるのか! 避け切れる自信がない!』とショックを受けるものもある。

それぞれ具体的な書籍名は避けるが、例えば、子供が母親の為にサプライズでケーキを作ろうとしたがうまくいかず、モタモタしていたら、母親がキッチンに飛んできて、怒りながら完成させて「もうこんなことするな!」と言われた、というエピソードである。

はたまた、子供が皿洗い中の母親に「見て見て、ねぇ見て〜」と話しかけたら、

「今皿洗い中だろうが!」

と怒鳴られた、というエピソードである。

いやぁ〜〜……。
これらのエピソード、確かに子供にとってはとても悲しく理不尽な出来事であっただろうし、避けるべき言動ではあったとは思うのだが、乳幼児の親としては、母親の気持ちも分かりすぎてしまうのである。

例えば一つ目のエピソード。
子供の年齢が書かれていないが、一人では上手く料理のできない年齢の子供が、一人でモタモタとキッチンで粉や白い液体を使用している状況。
親にとってはちょっとした恐怖である。
自分なら、それを見た瞬間

・粉が散乱する地獄
・クリームでぐちゃぐちゃの台所
・数時間単位で占拠されるキッチン、からの〜、
 遅れる洗い物、からの〜、
 遅れるご飯の準備、からの〜、
 子供達の愚図り

が、次々と頭に浮かび、早くなんとかしなくては!という義務感に駆られそうである。
「あらあら、何作ってるのかしら、楽しみね、ウフフ〜」
などとはとても言えない予感がする。

そして二つ目のエピソード。
皿洗いをしている最中に「見て見て!」をやられる。
漫画には描かれていないが、子供はず〜〜〜〜〜〜っと「見て見て!」と言っているものである。
この漫画家さん、子持ちか否かは知らないが、是非、漫画を描いている最中に1分おきに「見て見て!」をやられてみて欲しいものである。
絶対、

「今漫画描いてんだろうが!」

と怒鳴りたくなるから。

とにかく、子供に一切毒親と思わせないよう、ギャルゲーのごとく全て正解の選択肢を選択していくことは難しい。
かつてはほとんどの人間が親となっていたのだろうが、全員が児童心理学を勉強していたとは思えない。
かといって子供が理不尽に悲しい思いをするのは良くないのは勿論である。
より多くの大人たちが子供に関わるようにする、ということが、解決の一つとなるのかもしれない。
しかしそれも、よくない大人と関わるリスクを高めることもあるし、助けにならないかもしれない。
結局、「親にされた嫌なことは子にやらない」「親にされた良いことは子にもする」を繰り返していくしかないのであろう。

 

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)