nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

文明が進むほど、家事育児は大変になるんじゃないか?

今日は一日、掃除と娘の為の裁縫で終わってしまった。
久しぶりに布団を干して掃除機を掛けたのだ。
この、『布団やマットを干して取り込んで掃除機を掛ける』という家事(以下、『布団掃除機掛け』と呼称)、自分にとっては、もん〜〜〜〜〜〜のすごく大変なのであるが、皆さん、どれくらいの頻度でやっていらっしゃるのだろうか?
私の両親は戦前戦中の雪国寒村生まれであるが、布団掃除機掛けを行う習慣は過去も現在も無い。
そもそも、彼らの育った家には掃除機は無かったと思われる。

私も、上の子供が産まれるまで、布団掃除機掛けはやっていなかった。
知識としては、現代の家事としてそういう事をするものらしい、とは薄々知っていたのだが、『そんな大変な事、まさか、嘘でしょう?』と思っていた。
また、夫婦ともに超長時間労働をしていた為、実質無理でもあった。
しかし、上の子の妊娠出産に伴い私が会社を辞め、また、赤ちゃんもいる事だし、やらなくてはいけないかな、と思い直し、ほぼ毎日やり始めた。

しかしこれが大変だった。
子供の機動力が低いうちはまだ可能だが、ハイハイや歩き始めなど、機動力が上がってくると、子供は親の視界に入ろうと、親が注視している場所(つまり掃除機を掛けている場所や、掛けようとしている場所)に突進してくるのだ。
いつもと違う配置の布団に興奮して飛び込んでくる子供。
大笑いして布団の上を転げ回る子供。

全く捗らない。

かといって子供の昼寝の時間に行えば掃除機の起動音で起きてしまうし、起きてる時間に別の部屋に隔離すれば、寂しがってギャン泣きする。

無理なのだ。

それでも頑張ってほぼ毎日掛けていたが、下の子が誕生するともうお手上げで、今は、夫も居て特に何の予定も無い休日、せいぜい月1回くらいでしか行わなくなってしまった。
たまにやっても、本当に大変過ぎて心が折れそうになる。

本当にこんな事やらなくてはいけないのか? と思って色々検索すると、
『布団はダニの糞や屍骸でいっぱいで、掃除機を掛けないとダニに噛まれたり子供が喘息になる恐れがあります』
とか、
『確実にダニを吸い取る為に、天日で干した後、表と裏に、縦方向、横方向、交互にゆっくり掃除機を掛けましょう』

などど書いてある情報ばかりにぶつかり、あ〜ぁ、やっぱりやらないとダメなのか、とげんなりする。
子供を人質に取られているようなものだ。

夫は、そんなことは別にやらなくて良いという。
布団に限らず、掃除自体に必要性を感じない人なのだ。
尚、夫の布団は特に何枚も重ねてあり、下から、マット、吸湿マット、低反発マット、敷布団、掛け布団、毛布の計6枚体制である為、一枚ずつめくって表裏に掃除機を掛けるのがシぬほど大変である。
私は『地獄のミルフィー』と呼称している。
しかし、子供の布団の隣に夫の布団がある以上、夫の布団のダニが子供の布団に移動して……などと考えてしまい、結局やっている。

ここでちょっと計算してみよう。
以下は一般的な布団のサイズ及び面積である。

掛布団
150×210cm = 3.15 平方メートル
敷布団
100×210cm = 2.1 平方メートル

四人家族で、各人が敷布団一枚、掛布団一枚、掛毛布一枚を使用しているとする。
一人分の布団及び毛布の総面積は、以下の式で表せる。

( 3.15 × 1 ) + ( 2.1 × 2 ) = 7.35 平方メートル

これが4人分で
7.35 × 4 = 29.4 平方メートル

そして、表裏があるので
29.4 × 2 = 58.8 平方メートル

そして、縦方向と横方向、交互に掃除機を掛けるとすると
58.8 × 2 = 117.6 平方メートル

117.6 平方メートル !!???

ちょっと田舎の広い家 一軒分やんけ!?
参考)https://allabout.co.jp/gm/gc/394169/

布団やマットだけでこれだけの面積に掃除機を掛けなくてはならないのだ。
床の他に、である。
しかも、床と違って、一枚一枚運んだり、裏返したり、畳んだり延ばしたりをしながらの作業である。

ちょっと!
最初に布団掃除機掛けをしなきゃだめとか言い出した人、これ分かって言ったんですか!?

そして、羽根布団などは、折角干してフッカフカになったのに、掃除機を掛けるとみるみるうちにペッタンコのションボリ布団になってしまうのだが、これ、本当に合っているのか?
ウチの羽根布団が安いから? えぇそうかも知れませんけど。

なんか、70年代以降、子供の死亡率が下がるとともに喘息やらアレルギーやらが問題となって、それなら布団にも掃除機を掛けて、より清潔な生活をしなくちゃね、みたいな流れになり、今は喘息やアレルギーじゃなくても予防のために皆布団掃除機掛けをした方がいいよ、みたいなノリになったんじゃないですかねー。

掃除機の登場と、より健康的で清潔な生活への希求が、家一軒分の新たな掃除対象を生んだのである。

各種家電の登場により家事は楽になった面もあるのかも知れないが、文明の発達に伴い、より清潔で、より安全で、より健康的な生活を求める欲が生まれ、それに伴う出費や手間(家事)は確実に増えているよな、と思う。

昔、という言い方は曖昧過ぎて嫌いだが、自分の5〜10代前の祖先(恐らく寒村の住民)がどんな暮らしをしていたかを想像してみよう。

板間や、藁を重ねた上に寝て、食器は食事の最後にちょっとすすぐだけで終わり。
子供はかなり小さい頃から外で子供同士だけで遊ばせる。
少し成長したら労働力の一員。
おもちゃも絵本も無いので散らからない。
服はシーズンで1着ほどしか持たないので散らかりようが無い。
などなど。

いやいや、分かっていますよ。
その代わり、最低限の生命維持の為の活動(主に食糧生産)に共同体の全リソースを投入せねばならないし、乳幼児は事故や病気で死亡率がハンパ無いし、大人も子供も飢えと戦わなくてはならないし、洗濯機もガスコンロも無いから、おしめを洗うだけでも、調理をするだけでも、もう超絶大変であったであろうことは。
当時に比べれば、現代は極めて低コストで生命維持の可能な夢の時代であることは。

でも、『安全で清潔で便利な生活』が当たり前になると、生命だけでなく、それらを維持しなくては、人間は気が済まなくなる。
皿洗いも、布団掃除機掛けも、おもちゃの片付けも、朝から晩まで子供につきっきりでおままごとなど遊びの相手をすることも、『安全で清潔で便利な生活』が当たり前となった為に発生した新しいタスクである。

私が子供の頃、幼稚園や学校に行く子供たちは、水道の水を直接飲んでいた。
今は、水筒を持たせるのが普通である。
毎朝お茶を淹れ、水筒にいくつものパッキンやら紐やらを付けて組み立て、子供に持たせる。
帰ってきたらまた紐を外し、細々したパッキンを外し、洗って乾かす。
毎日毎日、である。
水道の水なんて不潔?
感染症になる?
そうまでして清潔でなくてはならないのだ。

また今、子供を産む事に対するハードルはとても高い。
人々の子供に対する期待が、『生きて働いて次代を産んで老後を看させる』どころではなく、『品行方正で、当人がより豊かな人生を送る』になり、その為に教育コストをいくら掛けても足りない気持ちになっている。

いくらテクノロジーが発達し、個々の家事が楽になったとしても、人の求める『安全で清潔で便利な生活』もエスカレートしていくので、その為の新たな家事が生まれたり、新たなコストが掛かったりするのだなぁ、と、家族4人分の布団掃除機掛けで疲れ果てた体を休めながら考えたのである。

 

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