nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

自転車ヘルメットとマスクと同調欲求

自転車乗車時のヘルメット着用が努力義務化された。
私は、もちろん着用している。
努力義務というのは努力が義務という事である。
自分の状況からすると、ほんの少しの努力で着用が可能であった。
努力らしい努力など、殆ど必要なかったと言っても良いくらいである。

しかし、私の住む地域では、ヘルメットを被って自転車に乗っている人は滅多に見ない。
スポーツタイプの自転車に乗っている人が被っているのを見るくらいだ。

不思議である。
ヘルメットを購入して被る程度の作業に、そんなにも多大な努力が必要なのだろうかと思う。
やってみたら分かるが、めちゃくちゃ簡単なのだ。
量販店や通販サイトで購入して、頭に乗せ、ストラップを締めるだけである。
本当に、努力などほぼ要らないのだ。

更に不思議なのは、ヘルメットをしていない人の多くが、マスクはしているのである。
マスク着用は元々法的義務ではなかったが、令和5年3月13日以降、明確に個人の判断となった。
私は今、多くの場面でマスクはしていない。
努力義務が課されているヘルメットをせず、個人の自由であるマスクをしている人々。
彼ら彼女らは、一体、命が大切なのか、どうでも良いのか、どちらなのだろうか。
事故で命や身体機能を損なう事は受け入れられるが、感染症に罹るのは受け入れられないという事なのだろうか。

もしかして、本当にもしかして、なのだが、ヘルメットは着用している人が少ないから着用せず、マスクは着用している人が多いから着用するという判断が、各人の中で行われているのではなかろうか?

自分が自分の命をどうするかを、左右の人を見て決める。
自分が法を守るか否かを、左右の人を見て決める(重ねて言うが、ヘルメット着用の努力は義務なのである)。
なんだかそれは、想像するだけでゾワッとする。

同調圧力という言葉がある。
この言葉は、本当は自分は同調したくないのに、周りが『同調しろ』と圧力を掛けてくる時に使うのだろう。
私は、今までの人生で同調圧力が生じるシーンに出くわしたことはなかったので、どのような場面で生じる力なのか分からない。
または、実際は多々出くわしていたが、圧力センサーが壊れていて気づかなかったのかも知れない。
あれ、もしかしたら、夫が私にPTAをやらせない理由(「主婦社会における『機微』を読めない人間が参画出来る組織ではない」との由)や、私が日系企業に勤めていた頃に『社内の不問律』的な存在に散々苦労させられた原因も、このセンサーが壊れていることに起因するのではあるまいか。

まぁどうでもいいか。

もし、ヘルメット不着用とマスク着用という、私から見ると矛盾した状態が、左右の人を見て判断及び決定されたものだとしたら、それは、同調圧力の影響なのだろうか?
私の壊れた圧力センサーには感じられない何かを、他の人は感じているのだろうか?
えー、でもなー、そんな圧力、あるとは信じられないなー。
むしろ、圧力なんて存在しないのに自分から進んで周りに同調しに行っているように見える。
『同調欲求』とでも言おうか。
こう名付けてみると、色んな事が腑に落ちる。
多くの人間が、安全性や法ではなく、同調欲求により自らの行動を決定しているとしたら!
ヘルメット不着用かつマスク着用という状態は、本人にとっては何ら矛盾していないということになる。
安全性や法は関係無く、同調欲求という唯一の指針により行動決定しているのだ。

私が『ゾワッ』と感じている、『左右の人を見て行動を決める』という機序に、同調欲求という名前を付けてみると、「そういうメカニズムを持った人なんだな」と納得し、違う価値観をより深く認め合える気がする。