nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

行かせるべきか、休ませるべきか。

寒くなってきた。
それに伴い、娘が幼稚園をさぼりたがる頻度が上がってきた。
幼稚園の時間になると毎朝、脚先やら膝やらどこかが痛いと言い出し、休みたがるのだ。
そうだよね、息子は朝は寝てるし、夫はもうずっとリモートワークだし、我が家で一番勤勉に毎日外に通園しているのは、娘だけだもの。
自分も家で弟と遊んだりポケモンやったりしていたいのだろう。

以前も書いたが、私は、時々は幼稚園をさぼったって良いと思っている。

 

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辛ければ辞めたっていいと思っている。
実際、脚がダルいだの疲れただの訳の分からない理由でしばしばさぼらせている。
行かせることもある。
昨日休んだのだから今日は行ったほうが良いとか、今日は幼稚園で開講される習い事の日だから行って、などと言って送り出す。
本当は、私のさじ加減ではなく話し合って何かルールを作ったほうが娘も納得するのだろうが、さぼるためのルールというのもなんだかなぁ、と思い、至っていない。
そして行かせると、ほぼ間違いなく娘の不調はすぐさま解消し、「今日すっごい楽しかった!」と言って帰ってくるのである。

もしもいじめや教師との相性の悪さなど、何か深刻な理由があるならば、私も問題の解消に向けて対処のしようがあるし、それでも解消できなければいくら休んでも良いし、転園や退園をしても良い。
また、こんなにも親を好きでいてくれる期間はとても短いのであるから、家でゆっくり甘えさせてあげたいという気持ちもある。
これから何十年も、組織に属して勤勉であることを求められ、分刻みで時間に追われる日々が続くのだから、この数年くらいゆっくりさせてあげたい気持ちもある。
娘と息子が家で大盛り上がりして遊んでいたり、娘が息子を可愛い可愛いとなでていたりするのを見ると、仲の良い今だけはこういう時間を多く取ってあげたいとも思う。
せっかく平日に休むなら一緒にレジャーに行こうと誘い、行くことすらある。

しかし、そんな中でもなんとか登園して、結果的に友達に囲まれ大笑いして遊んでいる娘を見ると、「そんなに楽しいなら登園してくれよ!」とも思うのだ。

今朝、娘は歯が痛い、休みたいと言い出した。
歯が痛いとは珍しい。
以前から娘には、さぼりたければ場合によってはさぼったって良いから、体に関することで嘘はつくなと言っている(不要な通院を避けるため)。
歯を触ってみると、なるほど、グラグラしている。
生え変わりの兆候である。
朝ごはんも食べにくいほど痛いという。
どうしよう?
休ませる?
生え変わりの際の痛みは人それぞれだという。
とりあえず、娘には、それは生え変わりが原因の痛みであることを伝え、

「大丈夫だよ、みんな……」

(みんな、これくらい我慢して幼稚園行ってるんだから)

と言いかけて、慌てて言葉を飲み込んだ。

他の人が我慢して行っているからと言って、一体何だというのだ。
娘は娘である。
私は娘の痛みを共有していない。
痛みの強さや感じかたは人それぞれであるし、他人が我慢できて娘が我慢できない痛みもあれば、逆もある。
性的虐待を受けた子供が、「他の子供も同じことをされているものだと思っていた、だから自分も我慢しなくてはいけないと思った」と言うことがあるという。
別に、他の人が我慢していようがいまいが、自分が我慢できなければヘルプを上げて良いのだ。

「他の社員もサービス残業してるんだから」
「昔は皆殴られて大きくなったんだから」
「あの人だって仕事家事育児介護全部完璧にやってるんだから」
「女性は皆、尊い痛みを乗り越えて、無麻酔で子供産んでるんだから」
「皆、皆、みんな……」

あっぶね!
危うく娘に、くだらない同調圧力の種を植え付けるとこだった!

飲み込んだ言葉の代わりに、

「あなたは将来、家で出来るお仕事を探すといいのかもしれないね」

と言う。

「でも、自分の好きな仕事に就くには、たくさん勉強しないとね」

とも続ける。
娘が、

「分かった!
 子供の頃たくさん勉強すると、後で好きな仕事をやれて、子供の頃勉強しないと、後で人に決められた仕事をしなきゃいけないってことでしょ?」

と言う。
う、うん、と返したものの、私自身はそれを半分ほどしか信じていない。

夜中まで勉強することで有名だったTくんは、睡眠大好きな私の通った高校を落ちた。
当の高校では、入学早々教師が「努力の量が必ずしも結果と比例しないという事は君たちももう充分分かっていると思う」と高らかに宣言していた(綺麗事を言わず、生徒を大人扱いする良い教師だ)。
また、自称、義務教育を一週間でドロップアウトしてバイクを乗り回す青春を送っていたというNちゃんは、大検を受けて難関大学に受かり、社会人になってからも学問を続け、難関資格を取得しそれを生かして働いている。
アートやデザインなど、人気商売の世界を見回せば、努力が報われない場合の方が多い。
現役で美大藝大に受かる人もいれば、何浪しても受からない人もいる。
現役で受かったからといってその後が順調とも限らない。
諦めて選んだ別の道が良い結果をもたらすこともある。
子供の頃から親に全てを決められて、努力して順調に良い大学を出たのにその後の人生を自分で決められなくなる人もいる。
人の一生は、娘の言うような単純なものではない。

以前、何日か掛けて、Nちゃんのパソコン購入とセットアップを手伝ったことがある。
私は、超初心者のNちゃんに、具体的なやり方を一切教えなかった。
はじめに、HDが、メモリが、CPUが、OSが、それぞれ何なのかを教え、そのあとは、『やりたいことの調べ方』を教えることに終始した。
分からないことは一生現れ続けるが、その時、隣に私は居ないからだ。
Nちゃんは『自分で調べてやれる人』になった。

子供達には、学びたい時に学ぶ方法を知っておいて欲しい。
なりたい姿になるために、何が必要なのかを調べ、考え、それに応じて自分をアップデートしていける人になって欲しい。

私は、子供時代は、大人から見るとくだらないような本人の好きなことに存分に打ち込み、自分が何を好きで何なら苦にならないかを見極め、内面世界を豊かにすることに専念してほしいと思っている。
幼稚園をサボらずに行くと将来勤勉になりそれが即ち幸福に繋がるというエビデンスは無いように思う。
幼児教育が将来の年収に影響するという調査結果は聞いたことがあるが、経済的要素と遺伝的要素を排除出来ていないのではないかと思わなくもない。

でも同時に、同じ年代の子の中で交流して欲しいし、親以外からも色々なことを教わって欲しいし、より多くの大人の姿を見せたいとも思う。
グラッグラ、ブレッブレである。
娘からすれば、行けと言ったり休んで良いと言ったり、どっちなんだよという気持ちであろう。

毎日、悩む。

そうこうしているうちに痛み止めが効いたらしく、娘はそこそこ元気に幼稚園に向かっていった。

  

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