nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

ルールバカの頭の中

私は、正義感が強い。
遵法精神が強い。
夫曰く、「ルールバカ」だそうだ。

幼稚園バスのバス停への道の途中、単身者向けアパートがあるのだが、そこのゴミ捨て場から、毎朝ゴミが溢れて道路の真ん中近くまでハミだしていた時期があった。
住人のゴミ捨てスキルが異常に低いためだろう、分別や曜日が不完全で、回収されないゴミが山となって道路まで崩れ出していたのだ。
ゴミを避けて迂回すると、道の真ん中近くを歩かなくてはならない。
その道は、朝は制限速度違反の車が多く通る道で、子供と歩くにはただでさえ怖い道だ。
はみ出したゴミを避けて道の真ん中を歩くのは危険であるため、そのような状況になる度、そこのアパートの管理会社に電話をして、状況及び危険性を伝え、片付けて貰うようお願いしていた。
もちろんすぐには片付けて貰えないため、やむを得ず、危険をおかして道の中央近くまで迂回して歩いていた。
そのことを世間話として夫に話したところ、
「道の左側を歩けば良いのではないか」
と言われた。
なんだって!?
その発想は無かった!
なぜならその道には、路側帯が無い。
路側帯が無い道では、歩行者は右側を通行することが、道交法第10条により定められている。
だからその案は採用できない。
自分が違反をしてしまうと、事故時に過失が発生してしまう。
そう言った私に夫が授けた称号が、「ルールバカ」なのである。

私が頑なにペーパードライバーであり続ける理由も、ルールバカである事に一因があると言える。
車を運転するには、制限速度を違反する必要があると聞いたことがある。
違反しないと、流れを乱す奴として糾弾されるという。
そんな馬鹿な!
法律を守っているほうが責められるなんて!
実際、田舎で制限速度を守って車の練習をしていたら、煽られた事もある。
では一体どうしたら良いのか、一体何キロ違反したら良いのか、違反して捕まったら一体誰が責任をとってくれるのか。
そういう事が全く分からないため、運転は無理だと思ってしまう。
他の人は、何キロ違反したら良いか分かるのだろうか。

私がルールに依存するのは、そもそもが、自分が生きるにあたり人間のフリをしていて、うまく人間のフリをするために言語化されたルールが必要であるからなのかも知れない。
「これさえ守っていればあなたも善良な人間ですよ」
という保証が欲しいのだ。
言語化されたルールによらずとも人間としての生活を送れる人は、道路の右側にゴミがはみ出ていたら左側を歩き、車を運転する時には何キロ違反すれば良いか分かるのだろうか。
なんかこんな事を書いているとにわかに厨二病的な色彩を帯びてくるのであるが、不惑にもなって真剣に困惑する日々である。

あーあ、自動運転車ばかりが路上を走り、全員が制限速度を守るために渋滞の発生が抑えられ、誰もがスムーズに目的地へ到着する、そんな時代が早く来ないかな。