nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

「お母さんこれ持っててー」をやめて欲しい

「お母さんこれ持っててー」をやめて欲しい

下の子のサングラスを失くした。
おそらくこれで4個目くらいである。
カニズムは明らかだ。
子供が、サングラスをして出かける。
出先で外して「お母さんこれ持っててー」と預けてくる。
私、どこに持てばいいのかわからない。
適当にどこかに仕舞う。
失くなる。

公園遊びやテーマパーク、旅行などにおける、子連れの荷物は膨大だ。
1つのリュックには収まらないことが多い。
小学生である上の子供には自分の荷物を自分で持たせることができるが、園児である下の子には難しく、最初から私が持ったり、途中から預かったりする。
また、上の子であっても、遊び回るタイミングでは荷物を私に預けてくることが多い。
そうすると、荷物の増減が起こる。
最初から『私の荷物はこれとこれ』と把握できていれば管理できるが、
「お母さんこれ持っててー」
「お母さんあれ出してー」
が絶え間なく発生し、お出かけの途中で荷物が増減する。
そうなるともうお手上げである。
水筒、リュック、体温調整の為の上着(全員分を持つとめちゃくちゃ嵩張る)、おもちゃ、途中で購入させられたくだらないガチャガチャ、そういったものが絶えず預けられ、また払い出される。
途中から増えた物には「ここに入れる」という住所が無い。
適当なところに放り込み、失くす。
今、何がどこにあるのか、誰が持っているのか、全部でいくつあるのか。
もはや全く把握しきれない。
「私はあなたたちの荷物持ちじゃない!!」
と叫びたくなるが、実際問題、荷物を持ったまま子供が遊び回るのは難しいので預かってしまうことになる。
もし私が荷物持ちなのであれば、荷物持ちだけに徹したい。
荷物の把握だけに集中すれば、なんとかなる気がする。
しかし、子連れのお出かけにおける保護者の主な仕事は、子供たちを安全に導くことである。
「これ持っててー」と言われた瞬間も、周りに注意を配っている。
預かった物になど一切注意を向けていられないのだ。
そうしてどこに持ったか忘れる。

考えてみれば、これはお出かけの時に限らないのだ。
家に居るときも同じである。
子供の物は膨大で、『何がどこにあるか』を完全に把握することは出来ないのだ。
子供は勝手に物を動かす。
私が物の住所を定めても、『自分はこうしたい』と勝手に変える。
そうして失くす。

私が特別、物を失くしやすいのだろうか?
人生を振り返っても、特にそういう記憶はない。
ただ、大人になってから、子供関連の書類は基本的には失くすなぁと思う。
一応、配布物は即、画像ファイル化してクラウド領域に上げるようにしているが、提出物は紙の状態で保管しておかなくてはならないので、失くす。
でも、子供の居る家庭で物が失くなるのは当たり前である。
だって常におもちゃが散らかっているし子供は物を勝手に動かす生き物だから。
さらに、紙の文書は検索も出来ない。
検索が出来ないから、どこにあるか分からない。
現実世界ではフォルダー階層なども作れない。
私は、いまだにペーパーメディアの使用を求めてくる方がどうかしている、くらいに思っている。
そういった、教育現場や行政現場におけるデジタル化の遅延によって余計な手間をかけさせられていることに対する怒りが、書類の扱いを軽んじさせるのかもしれない。

子供にはやはり、
「人はあなたの荷物持ちじゃないのだから、人に物を持ってもらう時は失くされても文句を言わない事。
 大事なものは自分で管理する事」
と言い続けるしかないか。