nicesliceのブログ

子供を見るか、子供の視線のその先を見るか

ピアノその後

以前、CASIO のキーボード LK-511 を購入したと書いた。
自分でも三日坊主になると予想していたのであるが、なんと吃驚、殆ど毎日練習できている。
ただし、まとまった時間など取れるはずもなく、通りすがりに一回、二回と弾き、子供に呼ばれ中断し、という感じである。
本物のピアノと違い、蓋を開けて、フェルトのカバーを外して、楽譜を立てて、という手間がなく、本当に通りすがりにささっと弾けるので、練習に取り掛かるまでの心理的ハードルが低いのだ。

普通の楽譜の『Fly me to the Moon』(難しいけど格好良いアレンジ)をメインで練習し、息抜きとして CASIO のソングバンクプラスでダウンロード購入した光るキーボード対応の『Fly me to the Moon』(前者に比べると簡単)を練習していると書いたが、後者が割と通して弾けるようになってきてしまったので、今はそちらをメインに弾いている。
やはり、キーボードが光るというのはUIとして分かりやすいのだ。

ちなみに、私がピアノを習っていた子供時代に最後に弾いた曲は『人形の夢と目覚め』であった。
その曲が LK-511 に入っていたので、弾いてみた。
まあまあ弾けたのだが、いやもうこれが実につまらなかった。
ピアノの練習曲というのはどうしてこう、優等生っぽいというか何というか、色気がないのだろうか。
『この曲を弾けるようになりたい!』という気が全く湧いてこない。
この手の曲を好きな人はご気分が悪くなるだろうが、全て私の主観という事でお許しください。
子供の頃の自分よ、よくこの曲を我慢して練習したな、と思うのである。
クラシック音楽は元々嫌いではなく、中でもバロック音楽などは好きなくらいである筈なのだが、バイエルをはじめとした、ピアノ練習曲全般の色気のなさは一体何なのだろうか。
簡単な曲だから色気がないのだろうか。
いやいや、『簡単=色気がない』ということはない筈だ。

『色気』の反対は『禁欲』である。
禁欲といえばヴィクトリア朝である。
もしかしてこれらのピアノ練習曲、ヴィクトリア朝の影響下で書かれたものなのでは!?
と思い、調べてみたところ、『人形の夢と目覚め』も『バイエル教則本』も、年代的には一致していたが、どちらも国がイギリスではなくドイツであった。
しかしドイツといえばプロテスタント発祥の国である。
プロテスタントといえば、やはり禁欲のイメージがある。
バイエルに至っては、神学校で音楽を学んだという。

そうか!
ピアノ練習曲の色気の無さは、プロテスタントの真面目さと装飾嫌いと禁欲が根底にあるのか!
(単純な言葉遊びと連想ゲームなので、真に受けないでください。)

中世、西洋音楽は、ロマや吟遊詩人など、流浪の民が受け継ぎ育ててきた。
彼ら自体蔑視された存在(貴族であった吟遊詩人、トゥルバドゥール達を除き)であり、音楽自体俗っぽく決して上品なものとは捉えられなかっただろう。
近世以降、音楽は『高尚な趣味』となり、貴族がサロンで嗜むものとなった。
私は、そのような上品な曲ではなく、大衆が場末の酒場で女を口説きながら聴くような曲が好きなのだろう。
ロマの娘がカスティーリャを叩きながら失恋を踊る、または戦争帰りのアフリカ系アメリカ人が貧しさの中でピアノを弾く、そういうところに音楽としての『色気』を感じるのかも知れない。

因みに最近娘は、LK−511 に初めから入っていた『千本桜』が何故か気に入ったらしく、繰り返し聴きながら鏡の前で踊り狂っている。
息子はそれを見ながら激しいリズムで屈伸運動をしている。

 

 

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中世賎民の宇宙―ヨーロッパ原点への旅 (ちくま学芸文庫)

中世賎民の宇宙―ヨーロッパ原点への旅 (ちくま学芸文庫)

 

 

文明が進むほど、家事育児は大変になるんじゃないか?

今日は一日、掃除と娘の為の裁縫で終わってしまった。
久しぶりに布団を干して掃除機を掛けたのだ。
この、『布団やマットを干して取り込んで掃除機を掛ける』という家事(以下、『布団掃除機掛け』と呼称)、自分にとっては、もん〜〜〜〜〜〜のすごく大変なのであるが、皆さん、どれくらいの頻度でやっていらっしゃるのだろうか?
私の両親は戦前戦中の雪国寒村生まれであるが、布団掃除機掛けを行う習慣は過去も現在も無い。
そもそも、彼らの育った家には掃除機は無かったと思われる。

私も、上の子供が産まれるまで、布団掃除機掛けはやっていなかった。
知識としては、現代の家事としてそういう事をするものらしい、とは薄々知っていたのだが、『そんな大変な事、まさか、嘘でしょう?』と思っていた。
また、夫婦ともに超長時間労働をしていた為、実質無理でもあった。
しかし、上の子の妊娠出産に伴い私が会社を辞め、また、赤ちゃんもいる事だし、やらなくてはいけないかな、と思い直し、ほぼ毎日やり始めた。

しかしこれが大変だった。
子供の機動力が低いうちはまだ可能だが、ハイハイや歩き始めなど、機動力が上がってくると、子供は親の視界に入ろうと、親が注視している場所(つまり掃除機を掛けている場所や、掛けようとしている場所)に突進してくるのだ。
いつもと違う配置の布団に興奮して飛び込んでくる子供。
大笑いして布団の上を転げ回る子供。

全く捗らない。

かといって子供の昼寝の時間に行えば掃除機の起動音で起きてしまうし、起きてる時間に別の部屋に隔離すれば、寂しがってギャン泣きする。

無理なのだ。

それでも頑張ってほぼ毎日掛けていたが、下の子が誕生するともうお手上げで、今は、夫も居て特に何の予定も無い休日、せいぜい月1回くらいでしか行わなくなってしまった。
たまにやっても、本当に大変過ぎて心が折れそうになる。

本当にこんな事やらなくてはいけないのか? と思って色々検索すると、
『布団はダニの糞や屍骸でいっぱいで、掃除機を掛けないとダニに噛まれたり子供が喘息になる恐れがあります』
とか、
『確実にダニを吸い取る為に、天日で干した後、表と裏に、縦方向、横方向、交互にゆっくり掃除機を掛けましょう』

などど書いてある情報ばかりにぶつかり、あ〜ぁ、やっぱりやらないとダメなのか、とげんなりする。
子供を人質に取られているようなものだ。

夫は、そんなことは別にやらなくて良いという。
布団に限らず、掃除自体に必要性を感じない人なのだ。
尚、夫の布団は特に何枚も重ねてあり、下から、マット、吸湿マット、低反発マット、敷布団、掛け布団、毛布の計6枚体制である為、一枚ずつめくって表裏に掃除機を掛けるのがシぬほど大変である。
私は『地獄のミルフィー』と呼称している。
しかし、子供の布団の隣に夫の布団がある以上、夫の布団のダニが子供の布団に移動して……などと考えてしまい、結局やっている。

ここでちょっと計算してみよう。
以下は一般的な布団のサイズ及び面積である。

掛布団
150×210cm = 3.15 平方メートル
敷布団
100×210cm = 2.1 平方メートル

四人家族で、各人が敷布団一枚、掛布団一枚、掛毛布一枚を使用しているとする。
一人分の布団及び毛布の総面積は、以下の式で表せる。

( 3.15 × 1 ) + ( 2.1 × 2 ) = 7.35 平方メートル

これが4人分で
7.35 × 4 = 29.4 平方メートル

そして、表裏があるので
29.4 × 2 = 58.8 平方メートル

そして、縦方向と横方向、交互に掃除機を掛けるとすると
58.8 × 2 = 117.6 平方メートル

117.6 平方メートル !!???

ちょっと田舎の広い家 一軒分やんけ!?
参考)https://allabout.co.jp/gm/gc/394169/

布団やマットだけでこれだけの面積に掃除機を掛けなくてはならないのだ。
床の他に、である。
しかも、床と違って、一枚一枚運んだり、裏返したり、畳んだり延ばしたりをしながらの作業である。

ちょっと!
最初に布団掃除機掛けをしなきゃだめとか言い出した人、これ分かって言ったんですか!?

そして、羽根布団などは、折角干してフッカフカになったのに、掃除機を掛けるとみるみるうちにペッタンコのションボリ布団になってしまうのだが、これ、本当に合っているのか?
ウチの羽根布団が安いから? えぇそうかも知れませんけど。

なんか、70年代以降、子供の死亡率が下がるとともに喘息やらアレルギーやらが問題となって、それなら布団にも掃除機を掛けて、より清潔な生活をしなくちゃね、みたいな流れになり、今は喘息やアレルギーじゃなくても予防のために皆布団掃除機掛けをした方がいいよ、みたいなノリになったんじゃないですかねー。

掃除機の登場と、より健康的で清潔な生活への希求が、家一軒分の新たな掃除対象を生んだのである。

各種家電の登場により家事は楽になった面もあるのかも知れないが、文明の発達に伴い、より清潔で、より安全で、より健康的な生活を求める欲が生まれ、それに伴う出費や手間(家事)は確実に増えているよな、と思う。

昔、という言い方は曖昧過ぎて嫌いだが、自分の5〜10代前の祖先(恐らく寒村の住民)がどんな暮らしをしていたかを想像してみよう。

板間や、藁を重ねた上に寝て、食器は食事の最後にちょっとすすぐだけで終わり。
子供はかなり小さい頃から外で子供同士だけで遊ばせる。
少し成長したら労働力の一員。
おもちゃも絵本も無いので散らからない。
服はシーズンで1着ほどしか持たないので散らかりようが無い。
などなど。

いやいや、分かっていますよ。
その代わり、最低限の生命維持の為の活動(主に食糧生産)に共同体の全リソースを投入せねばならないし、乳幼児は事故や病気で死亡率がハンパ無いし、大人も子供も飢えと戦わなくてはならないし、洗濯機もガスコンロも無いから、おしめを洗うだけでも、調理をするだけでも、もう超絶大変であったであろうことは。
当時に比べれば、現代は極めて低コストで生命維持の可能な夢の時代であることは。

でも、『安全で清潔で便利な生活』が当たり前になると、生命だけでなく、それらを維持しなくては、人間は気が済まなくなる。
皿洗いも、布団掃除機掛けも、おもちゃの片付けも、朝から晩まで子供につきっきりでおままごとなど遊びの相手をすることも、『安全で清潔で便利な生活』が当たり前となった為に発生した新しいタスクである。

私が子供の頃、幼稚園や学校に行く子供たちは、水道の水を直接飲んでいた。
今は、水筒を持たせるのが普通である。
毎朝お茶を淹れ、水筒にいくつものパッキンやら紐やらを付けて組み立て、子供に持たせる。
帰ってきたらまた紐を外し、細々したパッキンを外し、洗って乾かす。
毎日毎日、である。
水道の水なんて不潔?
感染症になる?
そうまでして清潔でなくてはならないのだ。

また今、子供を産む事に対するハードルはとても高い。
人々の子供に対する期待が、『生きて働いて次代を産んで老後を看させる』どころではなく、『品行方正で、当人がより豊かな人生を送る』になり、その為に教育コストをいくら掛けても足りない気持ちになっている。

いくらテクノロジーが発達し、個々の家事が楽になったとしても、人の求める『安全で清潔で便利な生活』もエスカレートしていくので、その為の新たな家事が生まれたり、新たなコストが掛かったりするのだなぁ、と、家族4人分の布団掃除機掛けで疲れ果てた体を休めながら考えたのである。

 

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CTの検査を受た話

先週のこと。
娘が自宅トイレで派手に転び、子供用踏み台に顔を強打した。
顔に濃いめの痣が出来て心配だった為、近所の形成外科に予約をとり、相談をしたところ、痣は心配無いが顔の内部に骨折が無いか確認する為CTを撮りましょうとのこと。
すぐさま検査となったのだが、CT室での娘の抵抗が凄かった。
特に痛いことをするわけでも無いのに、嫌だ嫌だ、怖い怖いとギャンギャン泣き叫び、3、4人いらっしゃる検査技師の方と私、皆で説得するも頑として検査ベッド(?)に寝転ばない。
壁に描かれた魚やら動物やらを指差し、

「ほらほら、可愛いお魚さんだよ!

 全然怖くないよ!」

などとやるも、全く耳に入らない状態だ。
廊下ではきっと、他の方もお待ちだろうに、娘にこんなに時間を掛けて頂いてはいけない。

検査技師の方々にも手間をお掛けして申し訳ない。
もう検査を受けず帰ろうか??
しかし骨折していたら??
焦りが募る。

……仕方ない。
私は意を決した。

「じゃあ、私が寝〜ちゃお〜〜!」

私は自ら検査ベッドに寝転んだ。

「わぁ〜〜〜!
 なにこのプリンセスベッド、めっちゃフカフカ〜〜〜!(←恍惚の笑みでグレーの硬いクッション面を撫で回しながら)
 私、ずっとこのプリンセスベッドに寝てみたかったんだぁ!
 あら、もしかして頭上のあれは噂のプリンセストンネル
 あれをくぐるとプリンセスになれるんじゃない?(自分でも何を言っているのか分からなくなってくる)」

ここで、若い女性技師さんの援護射撃が入る。

「ほらほら、○ちゃん、ピンクのプリンセスまくらもあるのよ!」

「聞いた!? プリンセスまくらだって!
 わぁ〜、めっちゃ素敵!
 え? 娘ちゃん寝ないの?
 プリンセスベッドなのに?
 じゃあこのプリンセスベッドは私だけのねぇ〜〜〜」

もう、他の検査技師の方の視線などはどうでも良い。
廊下で待っている皆様に声が漏れていても構わない。
私の一時の恥などかきすてである。

お母さん、どいてぇ!

 わたしが寝るうぅ〜〜〜!」

ギャン泣きの娘がギャン泣きのままそう叫んで突進してきたところで、私はベッドから降り、検査技師の方にお詫びして検査室を出た。

検査結果は異常なしであった。

娘の食べ方、息子の食べ方

超少食な4歳娘と、食欲旺盛な1歳の息子。

 

娘は、生まれてすぐ、新生児室にいた時から、あまりミルクを飲まなかった。

「ミルクの飲みが悪い」という理由で、母子同室になるのが1日ほど遅れた。

息子は、生まれた翌日からゴッキュゴッキュ飲みまくり、ミルク飲み人形を思わせる一気飲みスタイルであった。

 

娘は、よだれというものを全く垂らさず、私はよだれかけというものを、ファッションアイテムか、ミルク吐き戻し対策か、食べこぼし対策のいずれかの為の存在であると思い込んでいた。

したがって、外出先でよだれかけをした赤ちゃんを見ると、私は

 

「外でよだれかけするなんて、オシャレね」

 

などと感心していた。

 

息子はよだれが滝のようで、よだれかぶれに今も悩まされている。

 

普通の食事を摂るようになると、娘はひとくち口に入れると、ずーーーーーーっと咀嚼し続けた。

見ているこちらが退屈になるので、咀嚼している間に別のタスクを始めたくなるほどであった。

娘自身も咀嚼の間が退屈らしく、ひとくち口に入れては席を立ち、咀嚼しながらフラフラ遊びまわり、いつまで経っても食べ終わらない。

食事の間は着席させておく、ということを教えるのに物凄く苦労した。

一方息子は、口に入れたそばから次から次へと飲み込み、後から後からひょいひょいと口に入れてやらないと「もっともっと」と要求がすごい。

「私、わんこそばの人なのかな」と思うほどだ。

 

多分、遺伝子レベルで消化液の分泌能力が違うのだと思う。

それぞれ自分のペースで食べていって欲しい。

 

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人はこうして「食べる」を学ぶ

人はこうして「食べる」を学ぶ

 

 

とうとうピアノを……

知らぬ間に足の甲をどこかに強打したらしく、5cm四方の正方形の範囲が、紺、ピンク、紫、緑といったギャラクシーデザインになってしまった。
ゆめかわいい!


そんな中、CASIOのキーボード、LK-511を購入してみた。

 

CASIO 61鍵盤 電子キーボード 光ナビゲーション LK-511

CASIO 61鍵盤 電子キーボード 光ナビゲーション LK-511

 

 
こんな過去記事

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を書いている私が、再びピアノ(キーボードだが)を弾く日が来ることになろうとは思わなかった。
ではなぜ買ったかと言うと、一つ目には、娘がもうずっとピアノをやってみたいと言い続けている事がある。
幼稚園の先生の弾く様などをみて憧れを持ったようだが、私は、子供にピアノを習わせる事に不安がある。
ピアノは、他の習い事と比べ、家庭での練習を特に必要とするからだ。
子供が習いたいと自分で言っても、苦難と忍耐を乗り越えて自分だけの気力でやり遂げるのは難しいと思う。
私が毎日のように、

「ピアノの練習しなさい!
 いつまで遊んでるの!
 明後日レッスンでしょう!」

などと言い続けなくてはならなくなる事は目に見えている。

それが嫌だ。

私はピアノ自体好きではないのに、なぜ、そんなことの為に大好きな娘と言い合いをしなくてはならないのだ。
嫌われるリスクは、もっと、『絶対に身に付けさなくてはならない事』の為に取りたい。

第一、私自身が必要性を感じていないことを「やれ」と命令してたところで、何の説得力も無いではないか。

かといって、私の偏った考えの為に、娘のやりたがっていることを制限するのはよくない。
というわけで、いずれは習わせるにしても、まずは機材を買い、自分で再度やってみる事にした。
『苦難と忍耐は、まずは自分が』、である。


二つ目には、私が、NHKの番組『駅ピアノ』『空港ピアノ』を観たからである(単純……)。

 

空港ピアノ・駅ピアノ - NHK


この番組は、海外の大きな駅や空港に設置された、『誰でも弾いて良いピアノ』を、通りすがりの一般人が弾く様をひたすら映す番組である。
クラシック、Jazz、映画主題歌など、様々な曲が演奏される。
簡単なインタビューや字幕にて、各人のピアノへの想いや現在の生活状況が説明される事もある。
母が実家のアップライトピアノを弾くのを聴く限りにおいては、自分はピアノの音自体が大嫌いだと思っていたのだが、この番組は結構好きであった。
この番組を観ると、ピアノを習い始めるのが遅い人が多い事に驚く。
ハイティーン以降や、大人になってから始めた、という人が結構いるのだ。
そして、そういう人もなかなか上手い。
やはり、自分の中で『こうなりたい』という思いがあると、上達するものだなと思う。
私が子供の頃は、それが無かったのだ。

私は、前述した過去記事に書いたような理由からクラシック音楽とピアノの組み合わせは嫌いであるが、ピアノジャズは大好きだ。
多分、大野雄二氏(アニメ『新ルパン三世』以降のルパン三世シリーズの音楽を担当)の影響だと思う。
また、Bill Evans も大好きだ。
そういうジャズミュージックを弾けるようになったら、楽しいだろうなと思う。
一曲くらい、好きなジャズナンバーをピアノで弾けるようになれれば、あの駅ピアノに出ている人たちのように人前で弾く事もできるのかもしれない。
そう思った。

三つ目には、このキーボードを使用すると、音ゲーのようなプレイが出来るらしいからだ。
以下のブログを読んで、元々音ゲーは好きであったので、自分でも楽しめるかな、と思ったのだ。

curo.jp


上記のブログの方は、LK-228という機種を使用されているが、最新のLK-511では、Synthesia の他に、CASIO製の音ゲーアプリ『ソングバンクプラス』と連携する事も出来る。
ただし、ソングバンクプラスは現在ジャズのレパートリーが少なく、更にジャズとディズニー系など一部の曲では、肝心の音ゲー的部分(音符が流れ落ちてくる)が、権利の関係上表示されないので、ジャズ好きにはやや、しょんぼりである。

ソングバンクプラス 追加曲リスト

https://web.casio.com/app/ja/songbankplus/file/songlist_01.pdf


しかし、キーボードが光る機能や伴奏機能、反復レッスンをする機能はジャズであっても利用できるので、そういう部分は楽しめる。

ただ、弾いてみて気付いたのだが、やはり、楽譜が欲しくなる。
鍵盤が光るというのは、確かに自分のように譜読みが苦手な人間にとっては大変便利なのだが、それだけでは、どうにも流れが掴みづらいというか、憶えられない。
だから楽譜も欲しくなるのだが、ソングバンクプラスでは楽譜はダウンロードできないのだ。
どうやら自分にとっては、

・楽譜

と、それと対応し譜読みを助ける

・光るキーボード(ひいては、Synthesia に読み込ませる為の MIDIファイル)

の二つがあるのが良いらしい。

しかし、楽譜と全く対応するMIDIファイルを用意するのが大層大変なのだ。
上記のブログの方は、Kawai の『スコアメーカー』というソフトを使用して楽譜をMIDI化されているので、真似してやってみたのだが、まずこのスコアメーカーが、下手するとキーボード本体よりも高価なのだ。
しかも、体験版を使用して2曲ばかりMIDI化してみたが、どちらもあまり正確にできず、調子外れ、音外れなMIDIファイルになってしまった。
おそらく色々修正や調整をすれば良いのだろうが、そんな時間は勿体ない。
挙げ句の果てには2ファイルとも Synthesia が認識せず、要因を探るのも面倒で、断念してしまった。

結局自分は、楽譜販売サイトから購入した、難しいが格好良いアレンジの『Fly me to the Moon』を練習し、難しすぎて飽きた時に、ソングバンクプラスで購入した伴奏付き且つ光るキーボード機能対応且つやや簡単な『Fly me to the Moon』を弾いて息抜きする、という方法でピアノライフを送っている。

娘はといえば、私作のキュアセレーネの衣装一式を身に付け、ノリノリで LK-511 に内蔵されたプリキュアのテーマソングを弾く真似をして楽しんでいる。
その間は私は、

「お母さんはキュアマシェリね!
 弟くんはハグたん!
 今日はプリキュアたちの演奏会よ!」

などと言われ、ツインラブギターで弾く真似をする係に甘んじているのである。
アラフォーなのに、である。

 

HUG(はぐ)っと!プリキュア ツインラブギター

HUG(はぐ)っと!プリキュア ツインラブギター

 

 

 

LUPIN THE THIRD 「JAZZ」?the 2nd?

LUPIN THE THIRD 「JAZZ」?the 2nd?

 

 

 

ワルツ・フォー・デビイ

ワルツ・フォー・デビイ

 

 

 

スマホで平仮名を覚えた話

数ヶ月前から、年少の娘に平仮名を教えている。
元々、特に子供に早く平仮名を覚えて欲しいという気持ちは無く、年中や年長になってから幼稚園で教えて貰えばいいや、くらいに考えていた。
その為、のびのび系だけれども読み書きの教育はしっかりやります、という幼稚園を選んでいた。

しかし、同級生の園児の書いた手紙を貰ったりするうち、
「あれ、3〜4歳でみんな読み書きするの?」
と気付き、同時に、一人で絵本が読めれば娘自身も面白いだろうと思い、なんとなく平仮名くらい今のうちに教えておくか、という考えに至った。
使用した教材は概ね以下のようなものである。

・あいうえお積み木

ミッフィー ブルーナ 文字あそび DB2210

ミッフィー ブルーナ 文字あそび DB2210

 

 
・学研のディズニープリンセスのあいうえお絵本

ディズニープリンセス あいうえお

ディズニープリンセス あいうえお

 

 
・マグネットペンで描くお絵かきボード

パイロット 磁気メモボード ジッキースーパーライト JB-05-SG ソフトグリーン
 

 
・なぞり書きするタイプの各種ワークブック
ライトボックス(なぞり書き練習の為)
・めばえの学習用 DVD
・文字の描かれたボタンを押すと「あ」「い」などと発音するおもちゃ

上記で、まあまあ効果があったかな、というのは、あいうえお絵本とお絵かきボードであった。
あいうえお絵本で文字の紹介をした後、私がお絵かきボードに娘の好きそうな単語を書き、読みながら教えたり、クイズ形式で当てさせたりした。
これで、50音の半分くらいは読めるようになったが、娘が飽きてグズったり、私が『文字を見て発音を当てるのと、文字および単語の連なりとしての文章を読めるようになるのとの間には、発達上、割と大きなステップの差がある。前者だけ急いでも仕方ない』という事に思い至ったりして、しばらく中断していた。


しかしある日、そういえば私、昔システム屋だったじゃん、それどころかユーザーインターフェースのコンサルとかやってたじゃん、なんでこういう時にスマホ先輩に頼らないんだと思い到り、早速、それらしいアプリをいくつか試してみた。
良いものがなければ自分で作ろうと思っていたが、幸い、とても素晴らしいアプリが見つかった。

レインボーミミズ『ひらがな』

https://www.rainbowmimizu.com/fun_hiragana_jp/

 
これは以下の点が素晴らしい。

・なぞり書きをしながら読み上げ音声が流れるので、読み/書きが同時に学習できる。
・アニメーションを駆使して書き順を表現している。
・動物など、モチーフが可愛く、子供が興味を持ちやすい。
・とにかく事あるごとに褒めて褒めて褒め上げてくれる。

鉛筆の持ち方にも慣れさせたかったので、タッチペンを購入し、スマホとともに娘に貸し与えてみたところ、楽しんで自分でやっていた。
かといってハマり過ぎて何時間も連続してやるわけではなく、10分ほどやっては飽きてやめ、しばらくしてまたやる、という具合であった。
程良い詰まらなさも備えた良いアプリと言えよう。
そうしてしばらくすると、娘は街中の看板やら、絵本やら、菓子の箱やらのひらがな部分を普通に読めるようになっていた。
それどころか、たどたどしい文字で私に手紙を書いて渡してくれるようになった。

「だいすきだよおかあん(原文ママ)」

と!!
かわいい!!!

あんなに色々教材を買ったのはなんだったのだろうか。
グズる娘に躍起になって教えようとしたのはなんだったのだろうか。
アプリを一つ買えばよかったのだ。

スマホを子供に触らせる事に懸念を持つ人は多いと思う。
ジョブズ氏も自分の子供にはスマホを持たせない主義であったと聞いたこともある。
しかし、私は、スマホはただの道具だと思う。

文字を学習する上で、タッチパネルは素晴らしいデバイスである。
動的なアニメーションで書き順を表現できるし、すぐさま、ユーザーによる反復練習とその評価を行う事が出来る。

石板、粘土板、パピルス、羊皮紙、紙、と入出力の手段が進化してきて、今、タッチパネルなのだ。
道具の表現力が上がるほど、ユーザーインターフェースも向上する余地が生まれる。
実際に向上するかはコンテンツのデザイン次第だが。
必ずしも、古いもの、古い学習方法ほど優れているということはない。
ある目的を達するために、より多くの苦労が伴う方がその人の為になる、という事も無いと思う。
今回の私の目的が、『幼い頃から学習する習慣を付けさせたい』ではなく、『とりあえず平仮名を読めるようにさせたい』であった為、スマホアプリの利用は最適であった。

 

 

 

そろそろ、『家事の放棄』を許容しないか?

某サイトで、とある女性の話を読んだ。
簡単に述べると、彼女は共働きで子供を育てており、全ての家事を放棄して、以下のようなライフスタイルを続けていたところ、夫に離婚を切り出されたという。

・平日、仕事が終わったら、子供を迎えに行き、公園に連れて行く。
・夕食は、外食か惣菜。
・朝食は夫が作る。
・その他の家事は週末に夫がやる(家事代行の利用を夫が嫌がる為)。

一方の話しか読めないため、どちらが良くてどちらが悪いかなどは分らないし、私はそれを判断する立場にないが、国を挙げて女性の就業率を上げようとするのであれば、上記のようなライフスタイルを、家族や周囲が受け入れなくてはならないと思う。

上記のようなライフスタイル(料理を含めた家事のタスクを最小限に抑える)は、女性就業率の高い多くの国では一般的な事である。
日本はかつて、専業主婦に支えられた男性が、100%のリソースで外で働く、というスタイルで成長してきた。
未だに、個人のリソースを100%振り分けられる前提で就業スタイルが成り立っており、周囲も、サラリーマンとして働く以上は仕事が何よりも優先されるべきであると期待している。
そして、家庭内に於いては、これまた100%リソースを家事育児に振り分けられる前提として、昭和並の家事育児が期待されている。
誰が期待しているのか?
夫もそうだろうし、周囲の外野もそうであろう。
でも何よりも、妻本人が、昭和の主婦のようで在ろうと自分に期待、いや、自分を束縛しすぎているのではないか。

こんな記事もある。

時短料理「手抜きでは」 家族7人分、毎日手作りする女性の胸の内

withnews.jp



子どもへはなぜ「愛情弁当」? 共働き増えても、愛情論が再生産

withnews.jp



昭和のサラリーマンのように働きながら、昭和の主婦のように家事をしなくてはと、時短料理に罪悪感を抱いているようでは、本当に自ら潰れてしまうと思う。
お弁当も、もっと簡単で良いと思う。

1990年代、一部のスーパーウーマン達が男性の労働市場に進出。
家事育児仕事を全て担い始める

2000年代、景気悪化から、結婚出産しても働き続けるスタイルが普及。
多くの普通の女性が、両立を試みる。

2010年代、スーパーウーマン以外には全ての両立は不可能だと判明。
男性にも家事育児を行うよう圧力が掛かるように。

さて。
全体のタスク量を変えないまま男性を家事育児というステージに引っ張り込んでやらせてみても、やっぱりそうそうどこの家庭でも『平等に』上手くいくってことは、あまり無かったのかなぁ、と思う。
全世界を見回しても、家事労働を含め全てが男女平等に、というのは、理想ではあるけれどもなかなか難しいようであるし(ソース無くてすみません)。
何より私自身、ホルモンの変動や、筋肉量や、おっぱいが出るか否かなど、男女間でどうしても差異があり、それに従った作業の向き不向きというのはあるだろうと思っている。

だから、2020年代は、家事育児をふくめた全体のタスク量をいかに減らすか、というのが大きなテーマになると思う。

以前、確か『沸騰ジパング』というテレビ番組で、シンガポールの家族の一日を取材するというような特集を観た。
その時、三食全てを外食で済ませるという一家に対して、インタビュアーが理由を問うていた。
それに対して一家は、当たり前のように平然と、

「だってうちは皆働いているから」

と答えていた。
そうだよ、大人が全員外で働いていたら、外食になるのは当たり前なんだよ!
と、当時目から鱗が落ちた思いであった。

ただでさえ就業時間が長いと言われる日本で、女性の就業率を上げようというのならば、家事育児介護負担軽減へ向けた官民挙げての意識改革への取り組みが必要だ。
現在、女性誌やCMでは

『働く母はステキ!』

『働くママは輝いてる!』

とコピーを打ってる。
それと同じように、

『もう決めた?

 職場復帰直前対策!

 家事外注先徹底レビュー!』

や、

『平日の子連れプチディナーでインスタクイーンを狙え!』

など、イメージ操作を積極的に行っていって欲しい。
ちなみに私は、家事も育児も介護も『働く』という言葉に含まれるべきだと思っているのであるが。

家でなるべく料理をしないというのは、CO2削減の面からも良いのではないだろうか。
100軒の家で一斉に天ぷらを作るより、1軒のスーパーでまとめて作った方が、いろいろな無駄が省ける気がする。
実際にどうであるかは知らないが、

「今、夕飯を惣菜で済まそうとしている私は、CO2削減に貢献しているのよ!」

と思えば、日本の意識高い女性達の罪悪感も少しは軽減されようというものだ。

「そんなことでは日本の食文化、食育は破綻してしまう!」

と思う人が多いようであれば、そもそも我が国で女性の就業率UPを目指すのは早すぎた、という事だ。

私は裁縫の類が大好きで、喜ばれるのであれば人の為にリソースを提供する事に吝かではないが、そうでない人は裁縫などというコスパの悪い作業を無理にやらなくて良いと思う。
私はいつか来る PTA への参加が恐ろしくて仕方ないが、そういう事が好きな人が存在することは知っている。
皆の時間的リソースが限られている中、皆が自分に合った方法で、家族と周囲に貢献し、それが愛情として認められる社会であって欲しいと思う。